小学校の保健室の先生

名前は憶えていません(ごめんなさい)

保健室の先生は、絵画クラブの先生でもありました。

私は絵画クラブに所属して、その先生にたくさん絵の描き方を教えてもらいました。

不登校気味だった私が、保健室に逃げ込んで「胃が痛い」と仮病を言っても(ストレス症状を言葉にできなかったので、いつも胃が痛いと言っていました)、心配してくれて、いつも「朝は何を食べてきたの?」と聞いてくれました。

私が「卵かけご飯」と言うと、「卵かけご飯は噛まないで飲んでしまうから、胃に悪いよ」と教えてくれました。

保健室の前には、たくさんの飲料のボトルと、その下に袋に入ったお砂糖がぶら下がっていて、炭酸飲料は体に良くないと書いてありました。今でもあまり飲まないようにしています。

私の母は夜の仕事をしていて、いつも朝は寝ていたので、朝食も土曜授業の日もお弁当を作ってはくれませんでした。

なので朝は母に言われていた通り、弟と2人で「卵かけご飯」や「きな粉かけご飯」を食べて小学校に行っていました。

保健室の先生は、私の卒業式の日に母親に「ぜひ絵の道に進ませてあげてください。とても絵の才能がある子ですから」と言ってくれました。私は新しい世界に行けるのではないかと少し期待しましたが、母は「横山家に絵の才能なんてある訳がない」と一笑しましたし、中学へ上がってからはまったく学校に行けなくなってしまいました。

今でもよく憶えているのは、保健室の先生に初めて絵を褒めてもらえた後に描いた、イカの絵の出来事です。

先生はその日、わざわざ半透明の新鮮なイカを準備してくれました。

課題は水彩画でした。

私は、また先生に褒めてもらいたくて、放課後まで残ってイカを描きました。

褒められたい一心で描いたせいか、いつもより時間がかかり過ぎたので、半透明だったイカはだんだん白く濁ってきて、私の絵も何度も塗りなおしたせいで、焼きイカのようになってしまいました。

描き終わって保健室に行ったら、もうドアが閉まっていたので、イカとイカの絵をドアの前に置いて家に帰りました。

家に帰ってから、イカが腐ってしまって先生に怒られるんじゃないか、と思って心臓がドキドキしましたが、次のときに会った先生は、イカのことは何も言わず、

「褒められたから上手く描こうとしたでしょ、上手く描こうと思ったら、いい絵にはならないのよ」と私に言いました。

そう言われても、私はいつも母親に叱られるような嫌な気持ちにはならなくて、代わりにとても嬉しい気持ちになりました。

「何も考えないでいいから、感じたままを素直に描けばいいよ」

幼い頃から、そんな風に振舞ったことはなかったし、感じたままを同級生に話すとなぜか嫌われるので、「絵を描く時はそうしてもいいのか。才能があることであれば、ありのまま振舞ってもいいのか」と思いました。

高校を卒業して東京に出てきて、対人恐怖症で倒れてしまった時も、仮住まいの部屋で、一晩中絵を描いて苦しさをやり過ごしたりしました。

保健室の先生が、あの頃の私に優しさと尊厳を与えてくれたことを、今でも深く感謝しています。

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