PTSDが「治る」ということについて

ペンは剣よりも強し(横山春光「手記」)

私は2018年1月より、本格的な複雑性PTSDの治療に取り組んでいます。

それまでずっと、専門知識がなかったり、制度を知らなかったりしたことで、ずいぶん長い間、生き辛い人生を送ってきました。

たぶん、日本人の殆どの方は、テレビで報道されるような大きな事件や事故は「自分の身には起こらないだろう…」と思って生きていると思います。

私も、2017年まで、自分の身に起きたことを自覚できていませんでした。

X JAPANのボーカリスト「Toshlさんのニュース」

でも書きましたが、純粋な人ほど傷つきやすいのかと思うと、被害者になってしまったToshlさんの今後のご活躍を、心から応援したい気持ちになります。

2017年、私の発作症状を不審に思い、会社を解雇されるまで欠勤して、私の症状の原因を解明してくれたパートナーに(現在は無事復職しています)、

「PTSDは専門治療で治せる」

と聞いたときも、なぜだか「怒り」という強い感情が湧いてきました。

「20代30代ならまだしも、40歳を過ぎて治ったって、もう何も取り戻せない!」

そういう絶望的な気持ちと、怒りで一杯でした。

うまく言葉に出来ませんが、「治療」という言葉を聞くと、

「自分が再び、誰かの何かの技術によって変えられてしまうんじゃないか」

そういう恐怖を感じるのです。

何度も何度も説得されて、「治療で苦しみがなくなる」という期待を持てるようになって、やっと被害者センターから紹介されたクリニックを予約して通えるようになりました。

あれから半年が経って、現在の気持ちとしては「治療して良かった」と思っています。

治療をするかどうかで葛藤していた頃に、ネットで読んだ記事がずっと印象に残っていたので、今日はそのことについて書きたいと思います。

その記事は、フリーランスライターの、みわよしこ氏の、

「トラウマ」やPTSDにとって、「治る」とはどういうことなのか?

というタイトルの記事です。

前半は「トラウマ」や「PTSD」という言葉が(2014年当時)、日本であまりに一般化し過ぎていることに危機感を感じているという内容ですが、後半は希望が持てる内容でした。

私がとても共感したのは、下記の2つでした。

①そもそも、「トラウマ」やPTSDが指す範囲は明確にできるのか

②治療はどこを目指すべきなのか

まず①について、

以下、みわよしこ氏の記事からの引用文です、

さらに加害者だって「自分だって傷ついている」とか言い、周囲の人々の同情を誘います。加害者は「似たもの同士」で、周囲に数多くの「強きを助け弱きを憎む」友人知人を持っています。味方を増やすのは容易です。

被害者の味方をすること、味方をしつづけることは、一般的にそれほど容易ではありません。被害者は容易に孤立します。

こうなると、誰が加害者で誰が被害者なのかを明確にすることさえ容易ではありません。

「言葉のプロ」であるライターの文章は、やはり分かりやすく的確だと感じました。

実際に私が「それ」を体験していた、ということもありますが、常識と現実をこれだけ短い文章で表現できる技術(功夫)には、痛快すら感じます。

ここからは、私の思索です。

良識があり、社会のルールを守って生きている人なら、

「悪いことをしている人の側には近づかない、巻き込まれるのが嫌だから」

と思うのではないかと思います。

(ですよね?)

しかし、私がある時期に体験したことは、真逆のことでした。

これが、みわよしこ氏の記事内に書かれてある、

加害者は周囲に数多くの「強きを助け弱きを憎む」友人知人を持っています。味方を増やすのは容易です。

ということなのだと思います。

「異常な状態になっていることを、周囲に相談しても取り合ってくれなかったのは、『似た者同士の集まり』だったからなんだ…

でも逆に、こうも考えられると思います。

「良識のある似た者同士の集まりも存在する」

「被害に遭った似た者同士の集まりも存在する」

だから、もし社会に絶望して孤立したとしても、自分の中の良心を信じて、諦めずに理解してくれる人を探し続けることが、生きるために絶対に必要なことだと思います。

上記の言葉は、アルコール外来のドクターも言っていました。

「お酒を飲まないと耐えられないほど辛いのなら、諦めないで協力者を探してください」

若くて、優しいドクターでした。

次に②の「治療はどこを目指すべきなのか」について。

以下、みわよしこ氏の記事からの引用文です、

その「治った」を目指すために役に立つものは、何でも使ったらいいと思います。

だらだらと長期間・大量ではない、メリハリをつけた向精神薬使用。

本人が納得できる方法・価格・期間でのカウンセリング。

書籍や雑誌で「知る」こと。

インターネット、スマートフォンや携帯電話で、「知る」「つながる」「語る」こと。

信頼できる、顔の見える関係。

元気になれる食事。

自信や自尊心、あるいは(または)居心地の裏付けとなる服装。

すべての人が必要としていることが、「トラウマ」やPTSDと関係ある人には、若干多く必要。

そうして「治った」人を増やすことで、地道に社会が変わっていけばいい。

私はそう考えています。

私が複雑性PTSDの治療に踏み出したきっかけは、この文章を読んだことにあります。

「トラウマ」は、そう簡単に治らない。

でも、方法は何でもいいから治った人が増えることで、社会を変えることができること。

ずばり、一刀両断に難しい問題を切り開く。

「ペンは剣よりも強し」とはこのことだなぁ、と思います。

私は中国武術の講師ですが、中国武術が最も栄えていた文革前から、大きく変化してしまった現代社会では、法律やライター(ブロガーさん含む)、そして各分野の専門家の方々の知識や技術(功夫)も必要なのだと思います。

もう7年も前のことになりますが、中国武術留学から帰国後、教室は盛り上がっていましたが、私が度々精神的に不安定になっていたことを、

「太極拳の講師だから、もう自分で治せるんじゃないの、治ったんじゃないの!」

と、ある人に言われて、とても傷ついたことがあります。

結論から言うと、太極拳だけでPTSDは完治しません。

私が中国に住んでいた頃は、中国伝統武術界に所属していたので、PTSDの症状は殆ど出ていませんでした。

正しく太極拳を学べる社会、または環境がなければ、太極拳だけでPTSDを治療することは不可能です。

「自分には条件も能力もない、つまり社会は弱肉強食なんだろう」

と思ってしまえば、生きる気力を失ってしまいます。

遅ればせながら、最近学んだアリストテレスの言葉、

「人間はポリス的動物である」

人間は、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(善く生きることを目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る。

これが実現できれば、私の理想論ですが、PTSDになる人は減ると思いますし、天災や、事故、愛する人との死別などでPTSDになったとしても、比較的早期に回復できるのではないかと思います。

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