怪我を隠して「八卦連環掌」の伝承を受ける

眼窩底骨折(がんかていこっせつ)の受傷から1か月後の10月14日、私は「訪中八卦掌修行」が完治していないまま、師である麻林城老師に「八卦連環掌」を学ぶために、飛行機で北京に向かいました。

麻林城老師は、私の顔を見て、

「どうしたんだ?」

と聞かれました。

私は老師に嘘をつきたくなかったのですが、まさか、

「つい3か月前に麻林城老師に紹介した男性幹部に蹴られました。」

とは言えず、

「すみません、タクシーに乗っていたら急ブレーキをかけられてシートに顔をぶつけました。まだ腫れていますが練掌に支障はありません」

と、苦しい言い逃れをしました。

後にも先にも、師に嘘をついたのはこれ一度限りです。

私は必死に平気なふりをしました。

麻林城老師は、私の気持ちを察してか、それ以上は深く言及されませんでした。

滞在期間は15日間、移動日を省くと13日間です。

麻林城老師の指導は、仕事に向かわれる前の朝の5時台から始まります。

私は、早朝の3時半にはホテルで起床し、インスタントのおかゆを食べて、4時台には指定された公園の場所に到着して、自主練習をしていました。

指導時間はまちまちなので、長いときは5時間を超えることもありました。

早朝からの指導が終わると、昼食を摂って、なんとかホテルの部屋に戻り、ベッドに倒れ込む日々が続きました。

運悪く、それまで発勁動作のある動作の指導はなかったのですが、「八卦連環掌」には、高速の発勁動作がありました。

「推窗望月」という型の発勁動作には、なんとか耐えられましたが、第八掌「回身掌」の「回身盖掌」は、強い捻りを伴う高速の発勁動作だったので、「回身盖掌」だけを3時間ほど鍛錬しなければならなかった日は、ホテルに戻る頃には高熱を出していました。

おそらく、骨折が完治していない左目の周囲の組織が、炎症を起こしていたのだと思います。

私は、午後の指導に間に合うように、布団を被って、あえて熱を出して自己治癒に努めました。

悲壮な話ですが、でも私は幸せでした。

麻林城老師の八卦掌が学べるなら、死んだって本望です。

董海川一族の継承者になるためだったら、顔の一つや二つ、潰れても構わない。

普通は、そんな風には思わないのかもしれませんが、それだけ八卦掌第五代正統継承者である麻林城老師と、麻林城老師の武徳は素晴らしいものでした。

生まれてきて良かった。

そう思えるものでした。

私の人生が、不幸であったとしても、幸福であったとしても、そんなものはちっぽけに思えるほど、命の喜びを感じられるものでした。

辛かったのは、このときではありませんでした。

日本に帰国後、眼窩底骨折が「無かったことになっていた」ことと、あとは、事実とはまったく異なる噂、「自転車に乗っていて車にぶつけられた」「街中で酔っ払いに絡まれて死闘を繰り広げた怪我」が生徒さんの間で実しやかに語られていたことでした。

誰がそんな偽りの情報を流したのか分かりませんが、本当に悲しかったです。

つづく

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