見えない傷を持つ辛さ

2012年9月16日未明に受けた、眼窩底骨折(がんかていこっせつ)

もうあれから、6年が経ちました(2018年7月13日現在)

1年目の後遺症は、

①内出血が「しこり化」したため、顔の左側の表情筋が動きにくくなったこと。

②同じく、顔の左側に感覚麻痺が出たこと。

③八卦掌の鍛錬や、日常生活の中で、何度も大小二つの光が、左下から上に向かて上がっていくこと。

④ふとした瞬間に「どうして何も悪いことしてないのに蹴られたのか」とフリーズすること。

⑤隠し事が出来てしまったことによる、罪悪感。自信喪失。

こんな感じでした。

いまある(2018年7月13日現在)後遺症は、天候によって、折れてしまった3か所の骨の周辺の感覚麻痺が出ることと、多少の痛みです。

加害者とは、2015年3月まで協力して会を運営していました。

なぜ、そのような関係になってしまったのか、それはきっと私が天涯孤独だったからだと思います。

加害者と被害者として、事件の直後に示談していれば、その時点で縁が切れたり、切れなかったとしても、お互い感情的になることを防げたのかもしれません。

でも当時の私にはできませんでした。

彼は、弟と同い年で、同じ名前で、誕生月まで同じ人でした。

頭蓋骨を蹴り割られても、会長と代表(現在の代表とは違う人です)として、共に中国武術を学んで、成長したかった…

そういう思いから、切り捨てることができませんでした。

しかし、2015年3月に彼は突然いなくなってしまいました。

加害者として、

「一生を懸けて償いをさせて欲しい、必ず春光先生を八卦掌の正統継承者にする」

と私に約束したことが、徐々に風化し、負担になってきたのだと思います。

その頃にはもう、私は頸椎脱臼骨折の手術の後遺症で、誰かの手助けがないと、会の運営も生活もできない状況でした。

人は、

①健康

②仕事

③愛情

この3つを失ったら、生きていけないそうです。

私は、必死に生きようとあがきましたが、時すでに遅く、会の大改革の真っ最中だったことと、同時に、NYに移住した麻林城老師のもとに修行に赴く訪米計画を立てていた真っ最中でもあったので、一人取り残された私の絞りだした勇気では、抱えきれない仕事の量と、恐怖と絶望に負けてしまいました。

過呼吸と、パニックと、目と頸椎の痛みに耐えて、代表が突然不在になった対応をするために、何度か教室に向かいましたが、なぜか加害者を庇い、私を非難する太極拳指導員の声があったことで、連日激しい自己嫌悪と身体症状に苦しみ、心身共に限界に至り、会の活動を停止する決意をせざるを得なくなりました。

これが真相です。

「全てが私の不徳といたすところ」

と格好の良い言葉で締めくくれば良いのでしょうが、私にはそう思えません。

なぜ私が、天涯孤独になったのか。

その理由は、日本のある太極拳団体の指導者に、8年以上もマインドコントロールを受け、被害を受け続けていたことがあるからです。

あの指導者に会うまでは、私には数は少ないですが、友人や先輩がいました。

8年以上もその団体と関わっていたことで、数えきれないほど傷つき、人間不信、社会不信に陥り、社会人としての正常な判断能力さえも失っていました。

これで、私の受けた眼窩底骨折(がんかていこっせつ)の話は終わりです。

心の傷も(複雑性PTSD)、眼窩底骨折も、頸椎脱臼骨折も、全て目には見えません。

頸椎脱臼骨折は、首の後ろ側と、腰に手術の痕がありますが、服を着てしまえば見えません。

誰しもが見えない傷を背負って生きていると思います。

社会がもっと生きやすくなるまで、ただ待つのか、それとも立ち上がるのか。

それは、個々の自由意思であると私は思っています。

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