過疎地の母子家庭で育つ

幼児期から高校卒業までの家族構成について

父方の家族構成は、詳しくは知りません。

2016年に聞いた情報では、みんな亡くなっていて今は誰も生きていないそうです。
(2018年現在、私は父がどこにいるのかも、生きているのか、死んでいるのかも分かりません)

私が幼い頃、家の近くにいた家族は、祖父、母、叔父(先天性の身体障碍者)だけでした。

母方の親戚は近所にいましたが、家に来ることはありませんでした。

当時の家族の状態

母親は夜の仕事で、夜は不在。昼は自室で寝ている状態でした。

母親が寝ているときにに物音を立てると、「眠れない、体がきつい、お母さんを殺す気か!」と怒鳴られるので、母親が自室のドアを閉めてテレビの音が聞こえないときは、母を起こさないように静かに息をひそめていました。トイレの水を流す音でも起きてしまうので、トイレにもいけない状態でした。

祖父は、祖母を50代で亡くした悲しみから、夜はお酒を飲みに出掛けてしまい、祖父の家(近所に住んでいました)には大抵不在で、帰宅は概ね深夜でした。

私と弟の顔を見に来ることは殆どなく、来てもたいてい酔っぱらっていました。

身体障碍者の叔父は、車の運転はできたようで、いつも遊び回っていました。

叔母は、遠方に住んでいて、たまに帰省したり、贈り物を送ってくれていました。

当時の私と弟の状態

私と弟は、側にいて見守ってくれる大人がいない環境で、ずっと2人きりで育ちました。

気まぐれに顔を見に来て、子供には理解できない行動や、明らかに子供の教育上不適切な発言をする母の親姉兄が嫌いでした。

母親に事あるごとに、「祖父、兄、姉はお前たちを可愛いがっている」と言われる度に、私も弟も絶望的な気持ちになっていました。

少なくとも私は、自由奔放な母親からは、一切の愛情を感じませんでした。

2018年4月10日 加筆修正(未完成 執筆中)