3歳で弟を育てる ~母親の育児放棄~

両親が離婚

私の両親は、私が3歳のときに離婚しました。

祖母(母親の母親)が、父親の暴力、不労などを理由に、母親に離婚を勧めたそうです。

母親は祖母に「母子家庭になっても、孫(私と弟)はお婆ちゃんが面倒を見るから」と説得されたそうです。

しかし、祖母は両親の離婚後、すぐに亡くなりました。

祖父は、祖母が死んだ精神的ショックで、現実を受け止められず、毎晩お酒を飲むようになったそうです。

離婚した父親は、貧困から養育費を支払えない状況だったそうです。

母親は私と弟を連れて、何度も家庭裁判所に養育費の請求の手続きに通っていましたが、家庭裁判所の人に「子供たちが可哀そうだから、諦めたほうがいい」と言われ、夜の仕事を始めたそうです。

母親の育児放棄(ネグレクト)

横山春光「生い立ちと半生」ネグレクトについて

当時の両親に対して、私は何も感情がありません。

ただ、弟への感情は強くあります。私の中でずっと「愛」と思える感情は、弟に対する愛情だけでした。

母は、私に弟のおむつを取り換えさせたり、鼻水を吸わせるなど、母自身が「汚いからやりたくない」という弟の世話をさせたそうですが、私には記憶がありません。

劣悪な家庭環境の中で、私は必死で弟を守り続けました。

弟が小学校の中学年になるまで、昼夜を問わず、母の母親らしからぬ振る舞いを弟に見せないように、気を張って見張っていました。

母はそのことについていつも笑いながら、「弟は姉が育てた、私は子育てはしていない」と言っていました。

大人になって分かったこと

今になって思えば、3歳から18歳まで弟の母親代わりをするということは、とても大変なことだったと思います。

生きていくのが辛いことだらけだった中で、姉弟関係は私にとってかけがえのない唯一の幸福な思い出になっていました。

30代後半になって、そのことについてメンタルクリニックの医師に話したところ、

「そんなのムリムリ! 3歳の子供が子供を育てるなんて、絶対に無理、出来る訳がない。あなたはそれを普通だって思っているかもしれないけど、普通じゃないから。普通は夜はお父さんか、お母さんか、もしくは誰か代わりの大人が側にいてくれて、子供の面倒を見てくれるのが当たり前だから」

と言われ、初めて「普通ではない幼児期」だったことを自覚しました。

他にも知人には「高校卒業まで15年間も「子育て」って労働させられてたんだよ。それはひどい」と言われましたが、いまだに実感がありません。

その後の弟との関係

必死で守り続けた弟も、大人になってから生き辛さや、色々な症状に苦しんだようで、私とは徐々に疎遠になり、最終的には一切連絡が取れなくなりました。

横山春光「生い立ちと半生」生き別れになった弟

子供の頃は、とても仲の良かった姉弟だったので、心の傷が原因で生き別れになった弟を想うと胸が痛みます。

「機能不全家族で育った方々へ」

それぞれ環境や心の傷の深さは違うと思います。ただ、恐怖心は似ていると思います。

生まれた瞬間から、または生後、どこかの時点で多くのものを失って、不安と恐怖の中で頑張って、それでも生きてきたのだと思います。

もうそれだけで、本当に凄いことだと思います。

自尊心も勇気も希望も持てないときも、多かったと思います。

「頑張って」なんて誰にも言えないと思います。それは一生懸命必死に頑張って生きてきた方々に違いないからです。

私はメンタルクリニックの医師に、「あなたのような境遇の人は、30歳まで生きられない人が多いんだよ、みんな自暴自棄になって死んでしまう人も多いから」と言われました。

私はそのときにはじめて、肩の力が抜けました。

機能不全家族で育ち、必死に頑張って生きている人には、そのような言葉がむしろ応援になるのだと思いました。

しかし、応援だけでは解決しない心の傷もあります。私は被害者相談センターに紹介していただいたPTSD専門治療クリニックでカウンセリング治療を受けられたことで、短期間で生き辛さが回復しました。

どうか、幸せに生きることを諦めないで、生きてください。

2018年4月10日 加筆訂正(未完成 執筆中)