日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌と太極拳の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

再執筆にあたって

 諸事情により、書けなかった内容がありましたので、2018年1月8日より再執筆することにいたしました。
 現在、中国伝統武術の多くの流派は継承者不足が原因で、失伝の危機に瀕しています。その世界に飛び込んだ私の決意と経緯、そして素晴らしい中国伝統武術の精神と、中国の老師方の紹介を、私の実体験を通じてご紹介いたします。

中国へ渡ることになった経緯 ~何があったのか~

 中国行きが決まったのは、2004年8月でした。当時私は、人里離れた修行道場で寝起きし、社会から隔絶された状態で生活をしていました。

 名目は「太極拳の修行のため」とされていましたが、「一大決心をして仕事やアパートを投げうって身を投じた」という美談とは程遠く、実際には訳も分からないうちに仕事もアパートもなくなって、気がついたらそのような場所で暮らしていました。

 当時の状況は、太極拳の指導は殆ど受けられず、ただ自主練習と生活をしているだけの日々でした。

 携帯電話の所持は認められていませんでした。修行道場の固定電話から外部の友人知人に電話をすると注意をされるので、誰にも連絡できない状態でした。そのような中で、友人知人とは徐々に疎遠になっていき、たまに許可される外出中に公衆電話から連絡しても、話がかみ合わなくなり、ついには友人も失いました。

 話ができるのは、数少ない内部の兄弟子や姉弟子、太極拳仲間でしたが、相談を持ち掛けても、当時私が苦しんでいた状況の全てを話すことはできず、その一部しか話せないことが原因で、解決しようのない状態でした。

 もともと天涯孤独だったことと、仕事もアパートも友人も失って既に2年ほど経っていたので、逃げ出しても帰る場所も貯金もありませんでした。

 おおよそ2年の月日を経てそのような状況になったのですが、私は日々、社会復帰できなくなる不安に怯え、平常心を保てる時間も減っていき、心身ともに衰弱して追い詰められていました。

 どうやら内部では、私の(実体のない)修行生活が美談として語られるようになっていたようで、その美談によって身動きが取れなくなっているのではないかと気づいた私は、ある日それを打ち破ろうとしました。

 私は気が付くと、修行道場内でこう叫んでいました。

 「このような偽りの生活はもう耐えられない、これ以上虚構で私の頭を塗りつぶすのであれば、事実をすべてマスコミに訴える。そうしてここから出られるようにする」

 追い詰められていた私は、とっさに、この特殊な状況は一般の人に話しても信じてもらえない、マスコミの人なら信じてくれるかもしれない、少なくとも話を真剣に聞いてくれるかもしれない、と思ったのだと思います。

 その翌日、私は1つの解決法と、2つの選択肢を与えられました。

 解決法は、3年後には安定的な社会生活を提供できるので、それまで待って欲しい、というものでした。

 選択肢は、以下の2つでした。

①自立できるまでの生活費を援助するので、以前のように東京でアパートを借りて、そこに住みながら前の仕事に戻ったうえで、太極拳の修行を続ける。
②自立できるまでの生活費と同額の費用を使って、中国に武術留学する。

 通常であれば、①を選ぶと思います。当時の私は既に28歳になっていました。生きていくための仕事を見つけることや、愛する人との出会い、恋愛、結婚、それが親の愛情を知らずに育ち、天涯孤独になってしまった自分にとって、とても大切なことだったからです。今であれば迷わず①を選択します。しかし当時の私には①を選べない理由がありました。

 その理由は、2年間社会と隔絶した環境の中で、「春光さんは社会では到底生きていけない、社会に出たら潰されて首をつることになる。結婚もしてはいけない、一般のサラリーマンと結婚したり子供を作ったりでもしたらノイローゼになって首をつってしまう、もしくは責任感の強い春光さんのことだから、子供と一緒に無理心中するかもしれない。春光さんは道を歩むべき人だから、修行だけしていればいい、修行者は飢えることはない。春光さんは指導者になるべき人だ、お金のことは心配しなくていい、私も修行時代には師匠にお金を出してもらっていた、この世界はそういう世界だ。お金は私に返さなくていいから、春光さんが将来みんなのリーダーになったら春光さんの弟子にそのお金を修行資金として出してあげなさい。春光さんは今は豆腐のように脆く弱っている、強くなって社会に出られるようになるまでここにいなければならない、私は指導者の責任として、道を歩める春光さんを絶対に潰すわけにはいかない。社会に出すわけにはいかない。修行資金を拒絶して道を歩むことから逃げるのは、道に反することになる」等々、事あるごとに延々と言われ続けていたからです。

 ですので、その本人から①の選択肢を提案された時、私は耳を疑いました。

 一対一で長期間言われ続けたことで、私は社会に対して身体症状が出るほどの強い恐怖心を感じていました。当時の私には恐ろしくて①を選ぶことができず、②を選びました。

 私はもう、訳の分からない状態でした。

 とにかく短期間でもここから出なければならない。そして落ち着いて考えなければならない。自分の思考を取り戻さなければならない。

 その時の私は、それしか考えられませんでした。

 もともと私は、web製作の会社に勤めていました。この状況になる2年前には、友人兄弟と私との3人でweb製作会社を立ち上げる準備をしており、既に着手していました。そして、誰にも頼らず自由意志で自分の生き方を探すために、自費で中国に太極拳を学びに行くことを目標にしていました。

 しかし、この時は中国留学云々よりも、ただただこの状況から避難したいという一心でした。

 こうして急遽、中国留学が決まり、何の準備もないまま私は中国に旅立ったのです。

 留学先への口利きをしてもらい、学費と最低限の生活費を渡されましたが、私は一体どこにいたら生きていけるのか、居場所を見つけられない不安な状態でした。

 つづく

中国武術留学記

中国へ渡ることになった経緯

你好,北京!

横山春光「手記」

会長 横山春光が等身大で綴る手記

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当会会員用学習資料

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