日本中国伝統功夫研究会

虐待サバイバーとの出会い

 2004年12月中旬。

 私は、短期留学ビザの再取得のために、一時帰国をしなければならないタイムリミットが迫っていました。

 私が日本を発つときに取得した短期留学ビザは90日でした。

 追い詰められた私は、『北京・志強武館』の敷地内にある按摩学校の友人の小銭(シィアオ チィエン)に、日本に帰ったら私はどういう状況になるのかを、片言の中国語と身振り手振りで必死に伝えると、シィアオ チィエンは私の話を信じてくれました。

 「そんなの修行道場じゃないよ、なんて酷い目に遭ってたんだ、だからいつも辛そうな表情をしていたのか。よし、僕がなんとか中国に少しでも長く滞在できるように、考えてあげるよ。そして、どうすれば解決できるか、一緒に考えてあげる。きっとなんとかなるよ!」

 そう言ってくれました。

 私は約2年間、誰にも言えなかったことを話せて、協力者を得られたことで、嬉しくて泣いてしまいました。

 小銭(シィアオ チィエン)は数日後、名前は忘れましたが、ある機関に行って正式な手続きをすれば、90日ビザであれば比較的簡単な手続きで、30日まで延長できることを調べてくれました(2004年当時の制度です)

 「直ぐにでも行って延長の手続きをしよう、そうすれば、まだ考える時間が1か月以上できるよ」

 そう言ってくれたので、私たちは翌日、市内バスを乗り継いで、手続きを行う機関のある場所に行きました。

 そのときの記憶は曖昧です。大きな建物で、たくさんの外国の人たちが手続きのために、まるで空港のチェックインのように、大行列で並んでいました。

 私は、待ち時間の間中ずっと(もし延長できなかったら、もうすぐ日本に一時帰国しなければならなくなる)と思うと恐怖に襲われ、頭の中がフリーズしていました。

 なんとか小銭(シィアオ チィエン)に励まされて、丸一日かけて延長の手続きを無事完了しましたが、帰りのバスでは疲労でクタクタでした。

 翌日、小銭(シィアオ チィエン)は私に、こう言いました。

 「メイダイヅ(私の中国名)今は、中国語の勉強とか、太極拳の学習どころではないよ。君はまず身の安全を確保しなきゃならない。そして君の将来もだ。君が日本に帰っても誰にも相談できない状況は良く分かった。だけど僕は中国人だから、君が中国にいる間しか助けてあげられない。だから、少しでも長く中国に滞在できるよう、まず滞在費を最小限に抑えよう。まずは住居だ、旅館は高すぎる。警察署に行って正式な届を出せば、外国人でも賃貸アパートは借りられるから、一時帰国する前に、まず旅館暮らしをやめよう」

 それは私の望みでもあったので、何度も何度も小銭(シィアオ チィエン)に、「謝謝,謝謝」とお礼を言うと、小銭(シィアオ チィエン)は、「不要说谢谢」と言っていました。

 それから、『北京・志強武館』の老師方も、なぜ私が長期間北京に滞在して日本に帰らないのか、不思議がっていることも教えてくれました。

 「君はもう28歳だろう? 北京は都会だから晩婚の人もいるけれど、でもやっぱり中国では女性が28歳になると、もう結婚するには遅すぎると思われるんだ。君がいくら日本人だからって、こんなに長期間仕事もしないで、家にも帰らないで、太極拳ばかり学習していることには、なにか理由があるんじゃないかって、秀茜(シィウチエン)先生(馮志強老師の三女で武館の専属教練)も、心配して事務所でみんなに話してたよ」

 私は、そのことを聞いて、我に返りました。

 「そうだよね、そうだよね、私もおかしいと思っているの。でも、今はまだ、自分がどうしたらいいのか分からないの。私は太極拳の先生になりたい。太極拳の先生になって、自立して、良い教室を作りたい」

 片言の中国語と、身振り手振りで小銭(シィアオ チィエン)にそう言うと、

 「君の目標は素晴らしいよ、きっとできるよ。中国には素晴らしい老師がたくさんいる。でもそうでない老師もいる。僕は日常会話と日常生活の工夫しか教えてあげられないけど、君が中国語を話せるようになったら、大学の先生だって紹介してあげられるよ」

 私と小銭(シィアオ チィエン)は、それから何日も何日も話し合いました。

 小銭(シィアオ チィエン)は、故郷の黒竜江省で、許嫁(中国の地方では10代で両親に結婚相手を決められる習慣があるそうです)に、長い間虐待されていたことを打ち明けてくれました。

 「僕も故郷には帰りたくない。みんな、痴話喧嘩だから我慢しろ、って言うんだ。でも彼女は僕を奴隷のように扱うんだ。ご飯を作ったり、掃除をしたり、マッサージをしたり、面倒を全部みなきゃならないんだ。彼女は友人と遊びに行くけど、僕が友人と出掛けると、彼女はいつも僕を殴るんだ。何度も何度も打たれるんだ。青痣になったって、みんな我慢しろ、としか言わないんだ。だから僕は家出したんだ。按摩師の資格を取って独立するんだ。故郷には二度と帰らない」

 私は、なぜ小銭(シィアオ チィエン)だけが、中国語の喋れない私を他の人のように面倒がらずに、親切にしてくれるのかを理解しました。

 私が中国語を殆ど理解できないため、話し合いは何日も何日も続きました。

 小銭(シィアオ チィエン)は、黒竜江省の農村出身だったので、そのことを良く思わない人もいて、私と小銭(シィアオ チィエン)が話をしていると、話すのをやめさせようとする人もいました。

 私は、秀茜(シィウチエン)先生に「滞在中は、いつでも練習できるように」というご厚意で『北京・志強武館』の鍵を渡していただいていたので、夜中に武館の鍵を開けて、小銭(シィアオ チィエン)と一緒に、他の人に見つからないように窓の下に体育座りをして、月の光を頼りに話しをしました。

 小銭(シィアオ チィエン)も、武館にいることが好きだと言っていました。いるだけで落ち着くと言っていました。

 私たちは、単語と独自の手話を使って、お互いの状況の詳細を伝えられるようになり、何日か経つと相互理解できるようになりました。

 作戦会議の最終日は『北京・志強武館』の中でした。

 私たちは、いくつかの具体的な行動を決めた後、晴れやかな気分になって、30分ほど世間話をしました。

 「メイダイヅ、明日は美味しい朝食の店に連れて行ってあげるよ、そこで君は自分でオーダーするんだ。教えてあげる、ライ イーワン ドウジィアン、言ってごらん、君の好きな温かい豆乳が飲めるよ。ライ イーワン ドウジィアン…」

中国の一般的な朝食の油条、野菜包子、豆乳(横山春光の中国武術留学記)

 ライ イーワン ドウジィアン…

 美しい響きでした。一生忘れられません。

 老板,来一碗豆浆。

 ラオバン、ライ イーワン ドウジィアン。

 店長、豆乳を一杯ください。

 ラオバン、ライ イーワン ドウジィアン。

 ラオバン、ライ イーワン ドウジィアン。

 ラオバン、ライ イーワン ドウジィアン。

 「ふふふふふっ」と、2人で笑いました。

 黒竜江省出身で満族の小銭(シィアオ チィエン)の発声。

 完璧なピンインと四音の、「ラオバン、ライ イーワン ドウジィアン」

 悲しみと、友情と、希望と、勇気と、未来。すべてを含むような響きでした。

 中国語の響きの美しさを初めて感じたのが、「老板,来一碗豆浆」という言葉でした。

 そして、痩せていて、小柄な小銭(シィアオ チィエン)は、武館の窓から零れる月の光と同じくらい、私には儚く見えました。

-後日談-
 私と小銭(シィアオ チィエン)は、お互い「虐待サバイバー」だったのだと思います。
 私は、幼い頃から父親のいない家庭で、育児放棄をした母親の代わりに弟の世話をさせられていました。
 それでも母には私を虐待し、そして私が愛していた弟は、大人になると私を嫌うようになり、最終的に私は天涯孤独になりました。
 私と小銭(シィアオ チィエン)は、幼い頃から報われない労働を課せられた、アダルトチルドレンだったのだと思います。
 子供なのに、大人の役割を課せられて生きてきたアダルトチルドレン達は、子供時代に必要な経験を積むことができません。
 私も小銭(シィアオ チィエン)も、子供なのに家庭の問題をサポートしなければならなかった「ケア・テイカー」(世話役)というタイプだったのだと思います。
 ケア・テイカーは、大人になってからも「誰かを保護しなければならない」と思い続け、その誰かを探し続けます。一方で、愛情を与えられた経験がないために、他人の好意を感知することができず、苦しみ続けます。
 その出口を見つけたのは、2018年1月に行った、PTSD専門治療クリニックでした。

 つづく

中国武術留学記

中国へ渡ることになった経緯

你好,北京!

教室のご案内

定期教室、イベント等で普及活動を行っています

学習用資料

中国伝統武術を学ぶための資料集

横山春光「手記」

会長 横山春光が等身大で綴るブログ

田中稜月「Social-Survivor」

代表 田中稜月が運営するブログ

ページのトップへ戻る