日本中国伝統功夫研究会

故宮博物院へ観光に行く

 ビザの更新のために、一時帰国を控えた2004年12月下旬。

 ちょうど北京で借りた賃貸アパートで「シックハウス症候群」になっていた頃、河南省に住んでいる知人の息子さんから電話が掛かってきました。

 「喂! 我是“冬東”,週末我去北京。如果你有時間,我帯你去故宮吧!」
(もしもし! 僕は“トントン”です、週末北京に行くんだけど、もし時間があったら故宮を案内してあげるよ!)

 トントンとは“小名”で、本名は「程仁徳」という名前でした。

 小名とは中国の古い習慣で、現代では子供につける呼びやすいニックネームです。

 過去には、幼少期に不運から子供を守るために、石ころとか、犬ころとか、豆ころなど、日常生活に馴染んでいる目立たない名前で、子供を呼ぶ習慣があったそうです。

 冬東という「小名」の由来は、程仁徳さんがまだ幼い頃、ある年の冬に、お父さんが日本へ留学したので「冬に東へ旅立った父との絆」という意味で「冬東」と名付けられたそうです。

 中国語の発音では「ドォン ドォン」なのですが、日本の修行道場の人々は、彼を「トントン」と呼んでいたので、私もそう呼んでいました。

 トントンとは、その後、私が河南省に渡ることになってから数年間、交流する機会がありました。

 しかし当時、私はまだ彼とは数回しか顔を合わせたことがなかったので、彼の風貌(身長180cm以上、推定体重100kgの巨漢、おまけに仏頂面)が少し怖くて、一緒に故宮へ行くことを想像すると、

(えー、2人で故宮行くの、気が乗らないなぁ…)

と思いました。

 しかし、トントンの父親は、私の派遣元の日本の修行道場の指導者の元弟子だったので、今回の故宮観光への招待も、父親の計らいだと感じた私は、断るに断れず、また部屋にいてもシックハウスの異臭で発狂しそうなので、思い切って行くことにしました。

 週末、待ち合わせの『北京・志強武館』の門前に現れたトントンは、絵に描いたような仏頂面でニコリともしていませんでした。

(後に知りましたが、中国人は意味もなく愛想笑いをしません。個性もありますが、トントンは誠実な性格の青年でした)

 その日は、トントンと一緒に、『北京・志強武館』から『故宮』まで、徒歩とバスを使って向かいましたが、トントンはその体格で、人混みも、満員バスも、 何者をも恐れず、ほぼ直線距離でずんずん前へ進んでいきました。

 道中、仁王のような表情をピクリとも変えないトントンを見ながら、私は、

(こんなに人が多くて、もうずいぶん長い時間歩いているのに、トントンは全然疲れないのかなぁ…)

と不思議に感じましたが、そう思うや否や、トントンは、

「僕はもう足が棒のようだ、春光は痩せてるからいいかもしれないけど、僕は体重が重いから、余計に疲れるんだよ」

と意外にも弱音を吐きました。

 「我也累了…」
 (私も疲れたよ…)

と、トントンに伝えると、トントンは途中で寄り道をしてくれて、『狗不理』という天津名物のお店に入ると、狗不理包子(日本のコンビニで売っている肉まんの半分の大きさ)を山ほど注文してくれました。

 トントンはハイスピードで肉まんを食べ、私も負けずに山ほど食べ、2人で「吃饱了(お腹一杯)」と言いながら、さらに歩いて、やっと故宮へ辿り着きました。

 しかし、故宮までの道のりで、トントンのネガティブトークが炸裂していたので、

(万里の長城なんて坂ばかりで疲れるだけだ、黄河なんてただの埃っぽい河だ、パンダなんて寝てばかりで可愛くない、など)

私は故宮に対して、すっかり期待感がなくなってしまい、やっとのことで辿り着いた故宮を見ても、

「なんだか、似たような赤い門が沢山あって、似たような字が沢山書いてあって、屋根の上には似たような小動物の飾りが沢山あって、どこもかしこも龍のモチーフばかりだ」

という感想以外、何の印象もなく、何の感動も覚えられませんでした。

 トントンは「さら~っと」故宮内を廻り、私はあっという間に『故宮博物院』を見終わり、気がつけばもう出口に近づいていました。

(後に知ったことですが、トントンは不愛想なのではなく、無口で実直な青年でした。大学を卒業して間もなく父親が他界したときも、葬儀で泣き崩れる母親を、しっかりとした表情で支えていました。若くして父親を失い、母親を支えるトントンの姿は、私にはとても気丈に見えました)

 出口を目の前にして、何の反応もない私を見たトントンは、さすがに「エンジョイする」という言葉を思い出したらしく、

「あっちに記念写真を撮るところがあるから、記念に一枚撮ったら?」

と言って、故宮の中にある、小さな写真館に私を案内してくれました。

 そこは、どうやら仮装写真館のようで、私は気恥ずかしくて尻込みをしたのですが、せっかく私を楽しませようと(たぶん)思ってくれているだろう「トントン」を、がっかりさせてはいけないと、またもや断るに断れず、店員の女の子にされるがままに着替えて、おとなしく写真を撮ってもらいました。

故宮博物院での記念写真(横山春光の中国武術留学記)

 写真を撮っているときに、カメラマンのおじさんが、

「この衣装は、昔のお姫さまの衣装だよ!」

と言っていたので、私はちょっぴり嬉しい気持ちになりました。

 記念写真を撮ったあと、もうトントンとは、何も話題がなくなってしまったので、私たちは故宮を出ました。

 中国語が殆ど話せない私にも原因があると思い、私は借りたばかりの賃貸アパートに戻るバスの中で、トントンに記念写真を見せながら、片言の中国語で、

「これは、何ていうお姫さまの衣装なの?」

と聞いてみました。

 しかし、あろうことかトントンは、

「知らない方がいいよ、そのお姫さまは残酷で、国民に恨まれていたから」

と言い放ち、私のかろうじて上りかけていたテンションは、また急降下してしまいました。

(なんだか故宮って全然面白くなかったなぁ…)

という感想を抱えて、引越したばかりの賃貸アパートへ帰ると、ドアを開けた瞬間!

「モワァ~~~!」

という、例の壁の塗料の臭いが噴出しました。

 本能的にドアを閉めてしまった私は、

「いや、でも帰るところはここしかないのだ!」

という事実を思い出し、ドアの背に隠れる体勢で、もう一度ドアを開け、室内が換気されることを願い、なんとか塗料臭の薄まった部屋に入り、この日を無事に終えました。

-後日談-
 その後、別の機会に友人の小銭(シィアオ チィエン)と故宮へ行ったことがあるのですが、彼は故宮を見ると、

「故宮に来ることができるなんて、一生に一度あるかないかの貴重な機会だよ!」

と大はしゃぎで、見るもの全てに感動し、故宮のムードに浸り、壁に書かれている一つ一つの字を目を輝かせて見ては、

「現代人は、こんな字はもう書けない!」

と感動していました。

 故宮博物院に展示されていた数々の彫刻を熱心に見入りながら、故宮の通路から吹かれてくる風を何度も何度も最高の笑顔で深呼吸し、最後には悠久の歴史を持つ中国の文化に感無量になったのか、涙すら浮かべていた小銭(シィアオ チィエン)を見て、私はやっと故宮の素晴らしさを感じることができました。

 この一件で、「同じ道を行くなら、その道を愛してやまない人か、その道の専門家に案内してもらおう」と心に誓いました。

(繰り返しになりますが、トントンはとても良い青年でした)

 つづく

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