日本中国伝統功夫研究会

馮志強老師の人格完成への道

 2004年12月31日。

 中国の年越しは旧正月(春節)なので、12月31日も1月1日も通常通り『北京・志強武館』にはたくさんの学生がいました。

 私は18歳で九州宮崎から上京してから、27歳で日本の修行道場に入ることになるまで約8年間、ずっと自分で「年末病」と呼んでいた「うつ状態」(年末に会社が休みになって周囲の人が実家へ帰ってしまうと、酷く落ち込んでしまう)になっていたので、中国の習慣はとても助かりました。

 といっても、2月になると中国も春節に入り、2週間の“放暇”(ファン ジィア=長期休み)になって、周囲の人たちは全員帰郷して「ガラ~ン」としてしまうのですが、私の感覚では「2月はお正月じゃないもん!」と思えたので、春節の2週間の休暇は、ただひたすら退屈な以外は、特に日本にいたときのような年末病にはなりませんでした。

 「お正月なのに、いつもと変らず武館に人が一杯いる!」

という状況が、私には新鮮やら嬉しいやらで、朝からウキウキしながら珍しく元気に『北京・志強武館』で混元太極拳の練習をしていると、武館の外から賑やかな人々の声が聞こえてきて、台湾から訪れた太極拳学習団の人たちが、大勢で武館に入って来ました。

 陳項(チェン シィアン)老師と事務所の人たちの様子が普段と違うので、

(どうしたのかな?)

と思っていると、なんと馮志強(ひょう しきょう)老師がお越しになりました。

 当時、『北京・志強武館』の創立者であり、また陳式太極拳第18代継承者、そして陳式心意混元太極拳の創始者でもある馮志強老師は、北京市内にあるご自宅から近い地壇公園を活動の拠点としており、武館にお越しになる機会は多くありませんでした。

 ですので、『北京・志強武館』で混元太極拳を学んでいる学生にとって、馮志強老師がお越しになる日は、それはそれは嬉しくて、毎回大イベントのような雰囲気になっていました。

 その日、武館に入ってこられた馮志強老師は、私を見かけると、

「横山(ホン シャン)、好好練!」
(横山さん、しっかり練習しなさいね)

と、優しい声を掛けてくださり、そして台湾の学習団の方々に向かって、

「小女孩儿、很能堅持!」
(この小さな女の子は、とても辛抱強い!)」

と語り掛けていらっしゃいました。

 当時、私は既に28歳だったので、馮志強老師に「小さい女の子」と呼ばれる度に、「もう大人です」とお答えしていたのですが、それでも馮志強老師は、

「うーむ、でもやはり横山は小女孩儿だ」

とおっしゃって、

「太極拳をしっかり練習すれば、大きくなれる!」

と言ってくださいました。

(実際にその数年後、本当に身体が一回り大きくなり、身長も2cm弱ほど伸びました)

 馮志強老師は、中国の伝統武術界でも非常に有名な太極拳の大家です。

 その功夫の深さと武徳の高さは、中国各地の何処を訪れても耳にする程でした。

 その日も、台湾から訪れた学習団の人たちは、馮志強老師にお会いできたことが嬉しくてたまらないといったご様子で、馮志強老師の一言一句も聞き逃すまいと、真剣な眼差しで講義を受けていました。

 私は武館の隅っこに座って見学をしていたのですが、突然、休憩時間にお土産のコーヒーをお飲みになられていた馮志強老師が、コーヒーカップを手にしたまま、鋭い眼光で私の方を見ました。

 馮志強老師の眼光にロックオンされた私は、蛇に睨まれた蛙の如く身動きが取れず、そして馮志強老師は、ゆっくりと歩きながら私の方に歩いてこられました。

 身動きが取れない私は、

 「ひょ、ひょ、ひょ、馮老師がこっちへ来る。ど、ど、ど、どうしたんだろう? 私、なにか失礼なことをしたんだろうか? え! ここ? もしかして、ここに座っていちゃいけなかったのだろうか? あああ、どうしよう…」

という状態になり、馮志強老師がまだ私に話しかけるまでの距離に至っていない時点で、既に蛇に睨まれた蛙どころの話ではなく、ライオンに睨まれた生まれたての小鹿の如く、立ったり座ったりキョロキョロしたりして、オロオロと狼狽しました。

 しかし、依然として鋭い眼光のまま、馮老師は厳しい表情で私の方へ向かって歩いていてこられます。

 「あああ、きっと私は何か大変な過失を犯したのだ、馮老師に叱られるに違いない、これはもう素直に叱られよう」

と覚悟を決めた私は、目の前まで来てくださった馮志強老師が何かおっしゃるのを直立不動で待っていると、馮老師は、相変わらず鋭い眼光のまま、ゆっくりと右手に持たれていたコーヒーカップから一口コーヒーを飲んで、突然! 左手の親指を立てて、

「Good !」

のサインをすると、とても流暢な日本語で、

「美味しい!」

とおっしゃって、私にもコーヒーを飲むように遠くに置いてあったポットを指差すと、変らぬ表情のまま、またゆっくりと歩きながら皆さんの所へ戻って行かれました。

 ヘナヘナとその場に座り込んでしまた私は、すぐに、いつもの「馮志強老師のユーモア」であったことに気がつき、一人でポツンと見学していた私を、さりげなく気遣ってくださった馮志強老師のお心遣いに、コーヒーを飲む前からもう既に心が温かくなっていました。

 馮志強老師に、学生の皆さんがよく言っていた言葉に、

「細心」と「幽默」

というのがありました。

「細心(シー シン)」はきめ細やかな心遣いができるという意味で、「幽默(ヨウ モォ)」はユーモアという意味です。

 わずか40年間で世界を変えたという、仏教の開祖ブッダも、非常に高度なユーモアのセンスで、その深遠なる仏教の真理を、分かりやすく大衆に説いたと言われています。

 馮志強老師は、8歳の頃より童子功、通臂拳、朱砂掌を学び、1948年に心意拳の名家である胡耀貞先師に師事し、心意六合拳を学ばれました。

 その2年後、胡耀貞先師の勧めで、陳式太極拳17代継承者である陳発科先師に師事し「同時に二人の師に学ぶという」中国伝統武術界では稀な経歴を持っています(通常は、複数の師を同時期に拝師することはできません)

 そして、後に「養」「静」「内」を発展させた「陳式心意混元太極拳」を創始されました。

 中国を代表する太極拳の大家と呼ばれる馮志強老師ですが、一般の学生にはとても優しい老師でした。

 元気のない人がいれば、そっと側へ寄ってツボをゴリゴリと押して「ギャー!」と悲鳴を上げさせて、すっきりとした笑顔にさせてみたり、

 また、混元気功の練習中に、参加者の意念が強すぎると感じたら、「カー、カー」とたまたま近くにいたカラスの声を真似てみせて、一気に全体の雰囲気を和らげたり、

 そのユーモアの芸術的とも呼べるセンスと強弱は「さすが太極拳の大家だ!」と、馮志強老師にお会いしたことのある人なら、きっと全員が感じるだろうと私は思いました。

 馮志強老師は、生まれつきユーモアが好きだったかどうかは、私は存じ上げていません。

 しかし、馮志強老師のユーモアは、私たちが太極拳を練習しているときに陥りやすい「意念過度」の状態を適度に緩和させたり、ともすれば難解過ぎて、太極拳を学び続けることに挫折しかねない私たちに、色々な角度から活き活きとわかりやすく説明してくださろうとする、思いやりと、高度な指導法の一つなのではないか、と私は感じました。

 馮志強老師の指導は、ユーモアがあるからといって、決して皆でただ大笑いするという訳ではなく、集中とリラックスを繰り返す心地良いリズムで、温かい気場を作り出し、周りの人たちと穏やかに共鳴しているように見えました。

 世界中の太極拳愛好者に敬愛されていた馮志強老師は、2012年5月5日に享年84歳で他界されました。

陳式心意混元太極拳の創始者である馮志強(ひょう しきょう)老師が設立された『北京・志強武館』(横山春光の中国武術留学記)

 馮志強老師は、生前こうおっしゃっていました。

 「太極拳を学ぶということは、人格の完成を目指す道を歩むということである。そしてその道は直線的であってはならない。それは螺旋を描きながら周囲の人々や、大自然と共に、緩やかな円を描き、旋回しながら、ゆっくりと歩まなければならない」

 まさに偉大な太極拳の大家の言葉であると感じ、私はこの言葉に深く影響を受けました。

 つづく

中国武術留学記

中国へ渡ることになった経緯

你好,北京!

一度目の帰国

再び北京へ

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