日本中国伝統功夫研究会

混乱の中で自分を見つける

 2005年1月10日の朝。

 私は早朝4時30分に起床し、ビザの更新をするための一時帰国の準備をしていました。

 これが最初の一時帰国でした。

 そして、私の心は不安で一杯でした。

 日本の修行道場に帰るのが、怖くて怖くて頭の中は真っ白で、心と体は緊張でガチガチになっていました。

 日本の修行道場に帰ったら、もう二度と中国へ戻れなくなるのではないだろうか?

 また何か、私の分からない理由で、私の身の振り方を決められてしまうのではないだろうか?

 そうなったら、自分は何も抵抗できない、と知っていた私は、まるでこれから悪い夢でも見に行くかのような暗い気持ちで、荷造りをしていました。

 当時、私には日本で連絡を取れる人は日本の修行道場の人々と、幼い頃から虐待やネグレクトをされてきた母親以外、誰もいませんでした。

 北京空港から成田空港へ到着すれば、あの日本の修行道場の指導者が私を待っています。

 そこから車で修行道場に運ばれて、ビザの再発行までの1か月を過ごさなければなりません。

 私の恐怖心は、日本を発った4か月前よりも、さらに強くなっていました。

 北京で過ごした4か月間で、『北京・志強武館』の関係者のみ、という限られた人間関係の中ではありましたが、それでも普通の日々を送ることができたことで、私は「自分の思考と感情」を取り戻していました。

 それは、「旅立ちの日」に飛行機の中で考えた、今回の北京滞在で「出さなければならない成果」の、「自分の思考を取り戻すこと」を達成したということだと、自分では感じました。

「我不能失去自己的思考能力,我不能失去自己的思考能力」
(私は自分の思考を失ってはいけない、私は自分の思考を失ってはいけない)

 荷造りをしながら、何度もそう呟いて、

「私は日本に帰るんじゃない、中国へ戻るために帰国するんだ。そして、私が行きたかった場所に行けるように、もう一度社会で自立できていた自分を取り戻すんだ!」と、自分の中に、まだあるのか、ないかも分からない勇気を奮い立たせようとしました。

 飛行機の中で考えていたことは、3つだけでした。

  1. 日本の修行道場から出なければならない
  2. 自分の今の状態では日本の社会では生きていけない
  3. なんとかして協力者となってくれた友人の小銭(シィアオ チィエン)のいる北京に戻らなければならない

 とりあえず、それ以外は考えないことにしよう、と自分に強く言い聞かせました。

 もう一度、短期ビザが取得できれば、また4か月間、北京で小銭(シィアオ チィエン)の協力を得て、じっくり解決策を考えることができる。

 日本にはまだ、私の居場所はない、生きていける場所がない。

 成田空港に到着するまでの約4時間、私はそのことだけを考えていました。

 飛行機は正午に成田空港に着陸し、到着出口には日本の修行道場の指導者が私を迎えに来ていました。

 指導者の表情は緊張していて、言葉も少なかったですが、車に乗って東京都内から遠く離れた修行道場に戻る頃には、少しリラックスした様子でした。

 しかし、私の頭の中は混乱していました。

 緊張してビクビクしている指導者の姿を見ると、「かわいそう」という感情が湧いてくるのです。

 私は混乱した頭の中で(違う違う、これがダメなんだ、そうじゃない、飛行機の中で考えたことを思い出すんだ!)と、なんとか自分の思考を働かせ、「かわいそう」だと思わないように努力しました。

(いつもいつも、そうだったじゃないか、母親のことも、何がなんだか分からないけど「かわいそう」だと思って、どんな虐待を受けも、自分が悪いんだと思って苦しんできたじゃないか! もうそれは25歳のときに自己改革をして, 既に「解決した」はずじゃないか! だから、太極拳を学ぼうと思い立ったんじゃないか! どうして私はまた「実は、かわいそうではない人」を「かわいそう」だと思おうとしているんだ。しっかりしろ! 自分!)

 頭は高速で回転しましたが、身体がついていかず、動悸や不安、それから自分が自分でないような感覚などの症状が出てしまった私は、自然にヒステリーを起こしました。

 それまで大抵は従順だったので、ヒステリーを起こしたということは、おそらく「健全な反応」を取り戻せたのだと思いました。

 私は、記憶力は良い方なのですが、その1か月間は、どう過ごしたのかはっきり憶えていません。

 胃痛や、動悸や、吐き気や、ヒステリーなど、そういう症状が頻繁に出ていたような気がする、という微かな記憶しかありません。

 歯みがきをしているときに、舌が真っ白になっていたことに気づいて、自分でビックリして発作を起こしたこと、連日治まらない胃の激痛に、床を転げまわって「病院へ連れて行ってください」と言ったこと、確かそんな記憶があります。

 辻褄の合わない話を聞いては、発作のように激怒していたような記憶もあります。

 ただ、はっきりと憶えている出来事があります。

 その日、私は何かの用事(おそらくビザの申請手続き)で東京駅にいました。

 私は公衆電話から修行道場に電話を掛けて、「修行道場に戻ることが怖い、でも日本には、もうどこにも私の居場所がない」という内容を、テレホンカードがなくなるまで、何枚も使ってかけ続けた記憶があります。

 その日は、一旦電話を切って、他に連絡が取れる人はいないだろうか、一生懸命に冷静になって考えました。

 一人だけ、思い浮かびました。

 その人は、『北京・志強武館』に訪れた日本の混元太極拳団体の会員で、北京市内で馮志強(ひょう しきょう)老師をお招きして開かれた会食の席で、隣り合わせた男性の学生した。

(そういえば、連絡先を交換したんだった!)

 そのことを思い出した私は、誰にも見つからないように、自分の財布の隠しポケットに入れていた、携帯の電話番号が書かれてある紙を見つけました。

 何度かためらったあと、私はその人に電話を掛けてみました。

(何から話せばいいのか分からないけれど、とにかく掛けてみなければ…、誰でも構わないから、とにかく第三者とのネットワークを作らなければ…)

 相手は、すぐに電話に出てくれました。

 私が自分の名前を名乗ると、すぐに思い出してくれました。

 「ああ、春光さんですね、お久しぶりです。どうかしましたか?」

 ストレートに聞かれた私は、やっぱり何を話したら良いのか分からず、突然正体の分からない恐怖心に襲われ、

 「す、すみません。なんでもないんです。いま東京駅で、テレホンカードももう残り少ないので、また掛けます」

 と言って、自分から電話を切ってしまいました。

 私は、茫然としました。

 やっぱり、誰にも話せない。

 私は、ここにいてはいけないんだ。

 私の存在は、もう自分のものではないんだ。

 修行道場に戻って、ビザの更新の手続きをして、私の身に起こったことの全てを話しても、協力者となってくれた友人の小銭(シィアオ チィエン)のいる北京に戻らなければならない。

 行動を起こすのは、それからだ。

 とにかく、北京へ戻らなければならない。

 その日、どうやって修行道場に戻ったのか、憶えていません。

 でも、1か月後の2月には、無事に北京に戻っていました。

 つづく

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