日本中国伝統功夫研究会

極寒の北京へ戻る

 時間は正確に過ぎて行き、2005年2月18日、私は再び北京へ戻る飛行機に乗りました。

 日本の修行道場の指導者は、いつものように私を成田空港まで見送りに来ました。

 私は、指導者の言葉は上の空で聞いていて、心の中で、

(あの保安検査場をくぐれば、再び4か月間、自由な時間を過ごすことができる)

 それだけを考えていました。

 列に並んでいるとき、ふと指導者の顔を見ると、しょんぼりとした表情をしていました。

 私は、また一瞬「かわいそう、側にいてあげないといけない」という正体不明の衝動に駆られましたが、4か月の北京滞在と、1か月の一時帰国の中で、少しだけ感情の区別をつけられるようになっていました。

(胸が引き裂かれるような正体不明の痛みは、どうやら私の心から生まれた感情ではない)

(もう一度、「自分が見つけた境地」を探すんだ、本物の師匠を探すんだ!)

 それが、自分の本当の気持ちであると分かるようになっていました。

 成田空港を出発した飛行機は、無事に北京空港に到着しました。

 濃厚な排気ガスの臭いが充満する、北京空港のタクシー乗り場へ向かうと、そこは中国語が飛び交う喧騒と、グズグズしているといつまで経ってもタクシーに乗れそうにない緊張感が漂っており、自然に私の体内の生存システムのスイッチが「ガッコン!」という音をたててONになりました。

 うつろだった目は焦点が定まり、力の抜けた背中はシャキンと伸び、蚊の鳴くような声はドスのきいた中国語モードになり、オリャオリャと人を掻き分けタクシー乗り場に向かうと、見事に大きなスーツケースごと、一台のタクシーに飛び込むことができました。

 運転手さんに向かって、北京市の朝陽区にある賃貸アパートの住所を告げると、自信に満ちた私とスーツケースを乗せたタクシーは、夜の高速道路へと滑り出しました。

 タクシーの窓から見える、漆黒の闇の向こうに輝く北京市は、なぜか私の心の中で確固としたリアル感がありました。

 日本で生きた28年間は、苦しさ意外には現実感がなく、いつも何処にいても自分の存在の非現実感に悩まされたのですが、中国にいるときの自分の存在感は、「私の前世はもしかして中国人だったのかな?」と思えるほど、「私はここにいる」という安定感がありました。

 そんなことをぼんやりと考えながら、ふと時計を見ると、夜の7時過ぎでした。

 「アパートに着く頃にはもう8時を過ぎているだろうなぁ、お腹が空いたなぁ、一旦スーツケースを部屋に置いたら、近所の“京客隆”(北京に沢山有るスーパー)に買出しに行こう」

 などと考え始め、そういう予定を立てると、ますますお腹が空いてきました。

 「そうだ、乾麺を買って、適当に卵とトマトと長ネギで『西红柿鸡蛋麺』でも作って食べよー」

と、すっかり北京での日常生活に頭が切り変ってくると、タクシーは私が借りていた賃貸アパートの向かいの大通りに停車しました。

 運転手さんに、100元と何枚かの10元札を払い、車のトランクに入れてあったスーツケースを降ろそうと、タクシーのドアを開け外に出た瞬間…

 ……

 突然! 松田優作さんの『太陽にほえろ!』の名セリフである、

 「なんじゃこりゃ~!!」

 が炸裂しました。

 「なんじゃこりゃ~! なんじゃこりゃ~! なんじゃこりゃ~! なんじゃこりゃ~! なんじゃ…(中略)」

 それ以外は「おおぉぉぉぅ~!」とか「ひぃぃぃぃぃ!」とかです。

 一体何が起こったのかというと、外の気温がとんでもない温度だったのです。

 寒い、というか痛いというか、それまで私の身体が体験したことのある「体温と外気温の差」のキャパシティを遥かに越えていた…、というか、何と表現すればよいのか、とにかく世界が引っ繰り返っていたのです。

 氷点下10度を下回っているのではないかという「極冷気の破壊力」を、更に数倍にしている強風が「氷刃」と化して、私の薄手のジーパンを貫き、太腿に金属的な痛みが走りました。

 それは、南国九州宮崎で生まれ育った私が、生まれて初めて体験する厳しい氷点下の世界でした。

 タクシーを降りた所から賃貸アパートの入口までは200mくらいしかなかったのですが、何の心構えもなく不意をつかれた私は、本気でショック死するかと思いました。

 中国北部で暮らす人々の越冬の必需品である防寒着を着ていなかった(当時はその存在すら知らなかった)ため、全身の骨が一気に「急速冷凍」されるような痛みと衝撃に襲われ、部屋にたどり着いたときには、もう恐ろしくて一歩も外に出られませんでした。

 たとえ頑張って外出して、寒さの恐怖を克服できたとしても、松田優作さんの「なんじゃこりゃ~!!」のリフレインにより、「スーパーへ行って買い物をして戻ってくるのは不可能である」と、私は判断しました。

 その夜は「お腹空いたよぅ、ひもじいよぅ、ううう…」とメソメソしながら、北京空港で買った水を飲んで寝ました。

 つづく

中国武術留学記

中国へ渡ることになった経緯

你好,北京!

一度目の帰国

再び北京へ

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