日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

混元太極剣との出会い

 卢春先生が武館へ訪れなくなってから数日後、アメリカへ太極拳の指導へ行っていた馮秀茜先生(馮志強老師の三女で武館の専属教練)が北京へ帰って来られました。

 秀茜(シィウ チエン)先生はとても標準的な美しい中国語を話される先生で、またお互い女性同士の感が通じるのか、私はところどころ単語を聞き取ることができました。

 「你練一遍二十四式吧!」(二十四式をやってみなさい!)
  ニー リィエン イー ビエン アール シー スー シー バ!

 秀茜先生は私にそう言うと、厳しいご表情で私が陳式心意混元太極拳二十四式を行うのを最後までじっと見てくださいました。

 父親譲りの鋭い眼光の秀茜先生に見据えられ、私は緊張やら恐ろしいやらで、小さい体がますます小さくなり、元々青白い顔は更に蒼白になり、息も絶え絶え『混元太極拳・二十四式』を最後まで練習し終えると、思いのほか秀茜先生は褒めてくださり、「混元二十四式は暫く自分自身で練りなさい」とおっしゃると、「あなたの体には剣が向いているから、今日から剣を指導します」と言って、武館に常備してある剣の中で一番軽い剣を私に貸してくださいました。

 北京へ来て、いきなり剣を学べるとは思っていなかったので、とても嬉しかったのですが、嬉しかったのは最初の30分くらいで、あとは「ヒーヒー、ゼーゼー」でした。

 秀茜先生は「横山はまるで“仔ネズミ”のようだ!」「怖がらないでもっと大胆に動きなさい!」と武館に響き渡るような中国語で私を指導してくださったのですが、言われれば言われるほど私は震え上がり、私が震え上がれば震え上がるほど秀茜先生の声は大きくなり、当時体力の無かった私はヘロヘロになり、朦朧とした意識の中で「これは一体どういうことなんだ、太極拳とはもっとゆったりとして気持ちのよいものではなかったのか!?」と驚愕し、頭が混乱しました。

北京市・志強武館にて(陳式心意混元太極剣)  そんな人生で初体験となるハードな特訓は毎日続き、体のあちこちが痛くなり、2時間の授業に耐える体力が無いことを知った私は、前日の練習終了後から、翌日の練習に向けて体調を調整するようになり、授業中も意識を消耗し過ぎないようにコントロールするようになり、練習態度を“がむしゃら一生懸命”から“淡々と集中系”にシフトし、どなられてオロオロして全力を出し切るのではなく、翌日の分を考えて冷静に体力と精神力を温存しながら集中できるように、少しずつ進歩していきました。

 この体験は当時の私にとって大きな気づきとなりました。それまでの私は何でも頭ばかりで考える性格でした。まず考えて納得するまで行動できないのです。行動に移っても一途な熱中型で、集中したら何日でも徹夜してしまうような悪い癖があり、ハイペースで事を達成しても、その後体力精神力を使い果たし、虚無的になり、その虚無感から逃れるためにまた思考に集中し、無理やり何かを見つけ没頭し、その後また虚無感に襲われるという、悪循環の癖があったのです。

 太極拳の練習もその体験を経るまでは「太極拳は運動であり労働ではない」「筋力を使うのではなく気で動く」といった“うんちく”が頭一杯に詰まっており、体ではなく頭ばかり使っていたのです。

 秀茜先生の特訓と、混元太極剣の不思議な円運動のおかげで、私は体と頭と精神のバランスを長期的に安定させ持続する、ということを無意識に実践し、本当に一番緩ませなくてはならないのは“心”なんだ、ということを頭ではなく体で知ることができました。

 そして、特訓の最終日に秀茜先生は「今日で私の指導は終わりです、一ヶ月後にみんなを集めて試験をしますから、これから一ヶ月間自分自身で自分の剣を練りなさい」とおっしゃって、少し厳しいけれど温かい目で私を見つめると、武館の鍵を私に渡してくださり「いつでも練習したい時に武館に来て練習しなさい」と言うと、そのまま武館を出て行かれました。

 鍵を渡され、西日の差す広い武館の中にポツンと一人残された私は、その時初めて「剣と私」という不思議な境地を味わったのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

ページのトップへ戻る