日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

アパートを探しに

 私の最初の渡中ビザは短期留学の90日ビザでした。当時は簡単な手続きで延長が30日まで可能だったので(現在は保証金や警察署が発行する住所証明書等が必要です)、約4ヶ月程滞在して、一度ビザの再取得の為に日本に帰国する事になっていました。

 北京へ渡ってからずっと旅館暮らしだったので、一ヶ月ほど経ったころ経済的に心配になり、武館の事務所の方たちにアパートを探して欲しいとお願いした事があったのですが、安全面を考慮してか北京の中心地にある武館近くのマンションを薦められ、あまりの家賃の高さに断念した事がありました。しかし一時帰国を前にして、いよいよ焦った私は、按摩学校の生徒に頼んで一緒に安いアパートを探してもらう事にしました。

 これが中々難しく、安全そうなマンションは家賃が高いし、安いアパートはやっぱり安全面が心配だし、なんと言っても中国は7階建まではエレベーターが設備されていないのです。留学2年目には5階建てのアパートなら一気に駆け上がれるほど体力がついていたのですが、当時はそんな体力はまだ無く、友人が良い部屋を見つけてくれても“6階エレベーター無し”だったりすると、「疲れた日は辛いなぁ、風邪引いたりしたら部屋に戻るの無理だよぅ。」などと弱気になり、何だかんだ言って断ってしまうので、友人は頭を抱え、私も負けずに頭を抱え、毎日毎日朝から晩まで部屋探しに明け暮れました。

 その頃はもう武館では毎日授業を受けていませんでした。何故かというと後から分かったのですが、武館の先生方は私が長期留学だと思っていなかったらしいのです。確かに日本にいる時に、日本でお世話になっていた太極拳の師匠から武館宛に「長期的に留学して太極拳を学ばせてください。」という内容の紹介文を送ってもらったハズなのですが、「女の子がそんなに長く居られるわけがないだろう・・・。」という常識がこちら側の要望を打ち消してしまったらしく、3ヶ月が過ぎた頃には「横山はまだ居るのか?親は心配しないのか?毎日一人で寂しくないのか?どうして帰らないんだ?」と言われるようになりました。その度に「いえ、私は長期的に太極拳を学びたいのです。」と説明はしていたのですが、明らかに「ポカン」という表情をされ、その反応に出くわすたびに、「意を決して北京まで来たのに、私の意気込みは先生方に伝わっていなかったのか。」と落ち込んでいました。

油条と茴香(ウイキョウ)包子  何はともあれ、自由な時間ができた私は、気を取り直し“アパート探し”という大義名分を自分に与え、毎日朝から大好きな“茴香(ウイキョウ)包子”と油条(揚げパン)をお腹一杯食べて、薄い薄い豆乳をガブガブと飲み、バスの路線表を片手に友人と一緒に北京市内を疾走しました。

 北京を訪れてからずっと、太極拳と按摩を学んでいる人にしか接触した事がなかった私には、このアパート探しの一連の流れで出会った不動産屋の人や、大家さんや、引越し作業中の色々な住民の人達は、正にカルチャーショックでした。

 不動産屋の人は中国の東北地方から来た黒いスーツに身を包んだ、よく体を揺すり地団太を踏む人でした。各アパートの大家さんに至っては、イスラム教から、大金持ちから、学校の先生から、一般の主婦から、老北京人(日本で言う生粋の江戸っ子のような人)から色々な人達がいました。

 武館の外の世界はあまりよく知らなかったので、言葉がよく聞き取れなかったのですが、はっきりと伝わってくるのは、まだ中国には“人情”がある、という事でした。

 その話し方や表情や身振りは温かく、バラエティに富んで、見ているだけでとても楽しい気分になりました。

 その光景を見て、ふと陳項老師や仲間が公園で呟いていた「皮毛都学不到」という言葉を思い出しました。「もし外国人が中国を訪れ、太極拳の型だけを学び、中国人の心を学ばなかったら、太極拳の皮や毛ほども学ぶことはできないだろう。」

 その言葉に私は最初心の中で反発していました。「太極拳は世界の財産で人類の財産ではないのか?その境地に至るのに、何故わざわざ中国人の心を学ばないといけないのだろうか?何故そこまで強く断言するのだろうか?」

 日本には素晴らしく解説された太極拳論の本が沢山あります。日本で十分に古より伝わる太極理論を頭に詰め込んできた、と(浅はかにも)思っていた私には、現代の中国人の考え方や生活習慣を知る事が、そんなに太極拳学習に必要不可欠な事だとは、どうしても思えなかったのです。

 しかし、実際に北京の街へ出て、北京市内の古い歴史の面影を残す街並みや、色々な生活を送る中国の人々を見ていると、改めて自分がちっちゃく、ちっちゃく思えてきました。カチカチの頭で、自分の国がどういう国かもちゃんと理解していないくせに、自分勝手な思い込みで深遠な太極拳の真髄を勝手に解釈しているような気がしてきたのです。

 一日中歩き廻って、足が棒のようになって、夕日が斜めに街角の古い建物の赤い柱を染めるのを見ながら、友人が買ってくれた“肉餅”を食べている時、はじめて、ふっと、心が開いたような気がしました。そして「文化は人の心で受け継いでいく」という思いが浮かんできました。

 どれくらい中国に居られるかわからないけれど、どれくらい学べるかわからないけど、体と心と、自分全部で、今の中国を生きてみよう!太極拳のありがたい古文の中だけではなく、今生きている中国から沢山の事を学べるはずだ!

 当時、まだまだヨロヨロだった足腰とは対照的に、心の中で私は強く強くそう思ったのです。

-後日談-
 この時の思いから、私は6年半の留学生活の中で、一度も日本人のいる寮には入らず、現地の日本人とも交流しませんでした。普通に中国の街でアパートに住み、市場で野菜を買い、病気になったら地元の病院に行き、中国の服を着て、方言も覚え、できるだけ今の中国の息づかいを感じられるように生活しました。太極拳留学生の多くの外国人達は、プライベートでは一般の中国人に交わろうとはしませんでしたが、私はなるべく中国の友人達と多く時間を過ごすようにしました。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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