日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

先人を信じるな

 アパート探しに明け暮れて2週間ほど経ったある日、武館近くの食堂で一人で夕食を食べていると、居合わせた按摩学校の生徒に「今日、武館の事務室で横山が最近武館に来ないって噂になってたよ。」という話を聞きました。

 これは大変!と思い、翌日は朝早くから武館へ行き、事務局員のおばさんに「来月ビザの関係で一時帰国しますが、直ぐに北京に戻ってきて太極拳の学習を続けたいので、引き続き陳項老師にご指導を賜りたく思っています。」という内容を伝えました。伝えるといっても、つたない中国語と、身振り手振りと、絵や数字をノートに書いたりして伝えたのですが、どうやらうまく伝わっていたようでした。

 毎週土曜日の朝に公園で行われていた陳項(チェン・シィアン)老師のプライベートな練習会には出ていたのですが、武館で行われていた陳項老師の授業は、暫くアパート探しで市内へ出ていたせいか、スケジュールがわからず、何回か欠課してしまっていたようなのです。

 もうアパートの方もほぼ決まりそうで、精神的にも落ち着いてきたので、一時帰国までの残りの時間は武館に通い太極拳の学習に専念する事にしました。

北京の公園  しかし私は公園でお会いする時の陳項老師が好きでした。

 土の上に立ち、木漏れ日や風と共に練功する姿が、とても美しかったからかもしれません。

 しかし私は陳項老師の生徒という立場で北京に居るのではなく、武館へ来た留学生、という形で北京にいるので、武館へ行かないわけにはいきません。

 久しぶりに武館へ授業を受けに行くと、いつものように、数人の中国人の生徒の方達と一緒に陳項老師が訪れました。一緒に授業を受けてもいい、という事だったので、私は端っこで大人しく皆さんの授業に参加しました。

 その日は地方から来られたというその生徒の方々の最後の授業だったので、沢山の質問が出ていました。

 方言が聞き取れない私は、何をお話しているのかよくわからなかったのですが、なにやら難しそうな話題で、陳項老師の表情や口調も厳しかったので、少し緊張しました。

 ホテルのチェックアウトの時間があるというので、授業は早めに終わり、陳項老師はまだ時間があるという事で、私の練習を見て下さいました。

 賑やかだった空間が、急に中国語が上手く喋れない私だけになってしまい“シーン”としてしまったので、なんだか申し訳ない気持ちになった私は「何か質問をしなければ」という強迫観念にかられ、陳項老師に向かって思い切って質問をしようと口を開きました。

 「老師、我想問一下・・・」
 (先生、私は質問したい事があるのですが・・・)

 こましゃくれた質問をしようと思った私は、しかし、結局一言も何も出てきませんでした。

 モゴモゴしていると、陳項老師は突然、武館の壁に掛けてある先人達の写真や古い図案を指差すと、

 「不要相信他们!不要相信那些書!」
 (先人達を信じるな!古い書を信じるな!)

と私に向かって厳しい口調でおっしゃったのです。

 日頃から陳項老師は先人を敬い、武徳や礼節を非常に重んじ、時間があれば古文書を読み、常に学びの道を歩み続けている老師だったので、私は聞き間違ったのかと思い、呆然としました。

 困惑している私を見ると、陳項老師はまたいつもの穏やかな表情に戻り、ゆっくりと、一言ずつ、丁寧に、私が理解できるように説明して下さいました。

 「いいかい、先人達は実に偉大なものを発見し私達に遺してくれた。しかし先人達はもう死んでいるんだ、古文書は大昔に書かれたものだ。しかし、私達は今を生きている。横山、お前も生きている、私も生きている、いま生きている物を見るんだ。」

 私は全身全霊を集中して、陳項老師が伝えようとして下さっている事を理解しようとしました。

 きっと、伝統太極拳の継承とは、先人の肖像画や古文書を拝むのではなく、大昔の武人達の武勇伝に酔うのではなく、神秘的な迷信に囚われるのではなく、今、この時代を見つめ、この時を見つめ、この命を見つめ、この世界を見つめ、脈々と受け継がれる自然の法則を知るすべを学び、いかに今を生くべきか!その事を見つめよ。

 そう言いたかったのではないかと思いました。

 陳式太極拳代18代継承者、また陳式心意混元太極拳の創始者でもある馮志強老師が“意を得た弟子”と認めた陳項老師が「先人を信じるな」と言う、「先人が本当に伝えたかった事を見つめよ」と言う。いかに真剣に継承者としての道を歩んでいるか、深く感動したエピソードでした。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

ページのトップへ戻る