日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

壮絶なまでの純粋性

 2005年の4月のある日、私は陳項(チェン シィアン)老師のお宅のリビングで、娘さんと一緒に中国語の勉強をしながら、窓の外を眺めていました。

 話は一ヶ月ほど遡り、2005年の2月末、日本から知人の太極拳学習訪中団が北京に訪れていました。

 久しぶりにお会いした知人は、私が履いているポケットが沢山あるダボダボのズボンを見ると、「そのポケットには何を入れているのですか?」と聞いてきました。

 そこで私は中にある物を一つ一つ挙げていきました。「はい、えっと、パスポートとか、部屋の鍵とか、外国人が中国に滞在する為の暫住証とか、人民元とか、日本円とか、緊急連絡先のメモとか、筆記用具とか・・・」

「ちょちょちょ、ちょっと、どうしてそんなに沢山の物を身に着けているんですか?」知人は大変驚いて、そのポケットの状況の理由を聞かれました。

 私は「中国に来てから、毎日毎日、貴重品の有無の確認行為が止まらなくなって、夜中だろうが、出かける前だろうが、武館で練習している時だろうが、気になりだすと不安でたまらなくなり、とても疲れるので、いっそのこと全部携帯する事にしたのです。」と訳を話すと、知人は悲しい顔をして「そんなに無理をしなくても」と呟かれたのですが、私の“一度決心をしたら納得するまで諦めない”という性格をよくご存知なせいか、それ以上は何も言いませんでした。

北京志強武館で陳項老師と  知人の訪中団が「北京志強武館」に滞在中、陳項老師が一つの提案をして下さいました。「娘の怡舫(イー フゥアン)が日本語を学びたいというので、横山(ホン シィアン)と交流学習をしてはどうか?週に数回、家に来たらいい、食事もできるし、横山も女の子の友達ができて寂しくないだろう。」

 知人は私に「いいね、是非そうしたら」といって、とても安心したように日本に帰って行きました。

 ・・・

 そして話は4月の陳項老師宅のリビングに戻ります。

 怡舫さんは大学四年生の女子大生で、とても頭が良く、私から日本語の文法を学びたがっていました。中国人にとって日本語の発音は難しくないので、文法さえマスターすれば日本語が話せるようになる、と考えていたのでしょう。

 しかし、日本語の文法など難しすぎて、中国語のままならない私には教える事など出来ません。大体そもそも、例え日本語を使ったとしても日本語の文法なんて説明できません。

 私は悟りました。私は日本語会話のトレーニングの相手はできるけれど、日本語を教える能力は無いのです。しかし怡舫さんは頑として文法を学びたがっています。

 おまけに、怡舫さんの中国語の発音は北京女性特有の、非常に“亮”な発声方法で、京劇のように響かせる発音に、中国語を学ぶ時間、私は毎回のように酸欠状態になっていました。

 遅々として進展しないこの交流学習に、お互いが辟易してしまい、焦る私はいつも怡舫さんが好きだという日本の漫画やアニメの話をしようとするのですが、怡舫さんが好きな、あだち充先生作『タッチ』や、和月伸宏先生作『るろうに剣心』という漫画は私は全然詳しくなく、中国でも沢山売られている日本の近代アニメなどの話は、これまた私は全くと言っていいほど知識が無かったので、話題は一向に盛り上がらず、また私が敬愛する日本が誇る巨匠“宮崎駿先生”も怡舫さんは興味が無く、最後の切り札『ドラゴンボール』ですら共感を得られず、もはや我々の友情の進展は望めませんでした。

興隆公園  もう私の口から発する事ができる言葉は、陳項老師へ対する尊敬の念と、中華伝統文化の結晶である太極拳がいかに素晴らしいか、を残すのみとなり、ところが思いの外、話してみたら怡舫さんの反応を得られ、「やっぱり本音を喋らないと響かないのね・・・」と今更ながら当たり前の事に気が付いていると、リビングの窓の外には、陳項老師が近くの公園からお弟子さん達との太極拳の練功を終え、一人で歩きながら帰って来られる姿が見えました。

 「あ、陳項老師だ、いいなぁ、私も公園で練習したいなぁ、今日はどんな練習をしたんだろう。」と思いながら、歩いてこられる姿を見ていると、怡舫さんが「私のお父さんは、とても優しくて、勉強熱心で、家にいる時はいつも易の本や中医学書や太極拳の古文を研究しているのよ。」と言いました。

 「そうなんですか」と言いかけて陳項老師を見ると、何だか様子が尋常ではありません。

 人気の少ない公園から自宅までの中庭を歩いて来られる陳項老師は、何やら両手を何度も何度も動かしています。

 途中でやめては首をかしげ、また最初から繰り返しています。

 だんだん歩いて近づいて来られると、動きがはっきりと見えてきました。

 なんと、その動きはいつも練習している混元太極拳の最初の動きである“起勢”でした。

 起勢というのは、とてもシンプルで、シンプルだからこそ難しいのですが、陳項老師ほどの名人が、たった今練習を終えたばかりなのに、家に帰るまでの時間を惜しんで研究をしているのです。

 普通私達は、起勢が大切だとわかっていても、なかなか取り組めないものです。

 陳項老師はマンションの下まで来られると、私達に気がつき、いつもの笑顔を浮かべて軽く手をふっておられました。

 私は、何と言うか感動したと言うか、それまで名人や達人という人物達は、生まれつき才能があって、幼い頃から特別な鍛錬を経ていて、とにかく特別な能力や経験があって初めて高い境地に達するのだろう、と思っていたのですが、陳項老師の姿を見て、その特殊さも必要かもしれないけれど、実は原動力になっているのは、もっとシンプルなものではないのだろうか、と思いました。

 きっと、陳項老師は太極拳が好きで好きで仕方がないのです。

 人が集中してそのものに成りきっている時、そして内と外と同時に精神が開かれた時、人は命の本質そのものになっているのだと思います。

 その後、中国で縁あって出会う事のできた偉大な武術家の先生方も、鍛錬に対する姿勢は非常にシンプルで現実的でした。

 誰よりも厳しいけれど、誰よりも優しい。誰よりも無邪気だけれど、誰よりも聡明である。誰よりも神経質であるけれど、誰よりも大らかである。そして誰よりも、その拳を愛している。その道を歩んでいる。

 そして、何歳になられても「どうして武術を修めて来られたのですか?」という弟子からの質問には、「結局続けてこられたのは、好きだったからだ。」と答えられます。

 ひたむきで、そして壮絶なまでに純粋な魂の持ち主が語る「好き」という言葉には、私達が普段被っている虚飾の一切を払わせる力がある、と思いました。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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