日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

北京を去る日

 2005年5月に北京太極拳学習留学を断念し、太極拳発祥地河南省への留学準備のため河南省鄭州市に向かっていた一週間、私の唯一の連絡手段であったPHS電話は、北京市の朝陽区に借りてあった部屋に置きっぱなしにしてありました。(PHSは市外では使用できない為)

 帰宅してみると、PHS電話には沢山の留守番伝メッセージが入っていました。

 その殆どが陳項(チェンシィアン)老師からのもので、内容は「横山、どうしたんだ、連絡が取れないから武館の人達も娘も大変心配しているから、連絡をするように。」というものでした。

 メッセージを聞いた私は、すぐに陳項老師に電話を掛けようと思いましたが、何をどう説明して良いのかわかりません。

 また言葉の行き違いから誤解が生じるのではないか?という不安な気持ちが出てきて、どうしても電話を掛ける事ができませんでした。

 私は散々考えて、最後はとうとう諦めて、日本の太極拳の師である山口禅師に連絡を取り、『北京・志強武館』の専属通訳である許さんにお願いをして、「横山さんは実家の都合で急遽帰国する事になりました」と伝えてもらう事にしました。

 前例の無い長期留学生を受け入れて頂き、食べ物から着る物までお世話をかけしてしまって大変申し訳ない気持ちと、私の中国語力の欠如のせいで、学費の問題や、双方「どうやったら太極拳学習を進められるのか」という難問が生じた事は、全て私の準備不足のせいだと深く反省しました。

 本来ならば、きちんと自分で武館へ出向き、お礼の言葉と帰国する報告をしなければならなかったのですが、どうしても、どうしても、言葉が通じないのが怖かったのです。

 北京へ来たばかりの頃、中国語が分からなくて授業中に泣き出してしまった私と一緒に泣いてくれた優しい卢春先生、ヒヨヒヨした私に剣の気を教えて下さり、武館の鍵まで渡して下さった秀茜先生、中華料理に馴染めず栄養失調になった私に養生スープを飲ませてくれた事務所の甄おばさん、登校拒否児だった私にもう一度同級生と過ごす楽しい時間を過ごさせてくれた按摩学校の生徒の皆さん、そして、私に初めて“天人合一”の境地を体現して見せて下さった陳項老師。

 私は、ただ、ただ、北京の裏路地を歩きながらその一つ一つを思い出し、滲んでくる涙と街並みが、その面影を私の心に刻んでいくのを眺める事しかできませんでした。

2005年北京の裏路地

 東京にいた頃のOL時代、心身共にどん底に陥った私に生きるすべを与えてくれた太極拳。山口禅師に勧められ、たくさん、たくさん練習した“陳式心意混元太極拳”、その心地よさの奥から感じる一筋の光を辿り中国の『北京・志強武館』に訪れ、言葉の壁に挫折した苦しさ。

 私を受け入れてくれ、そして支えてくれた北京の人達の優しさにすがりたくなりました、同時に中国語という言葉の壁の恐怖から、誰も彼もから逃げ出したくなりました、心は掻き乱されました。

 しかし、先日訪れた河南省『陳家溝太極拳館』で感じた直感、そして何より、『北京・志強武館』の創立者であり“陳式心意混元太極拳”の創始者である馮志強老師は、陳氏太極拳17世の陳発科老師より陳式太極拳を学ばれたのです。

 河南省へ行こう。

 根源を辿ってみよう。

 そうすれば、あの心地よい流れの奥に辿り着けるかもしれない。

 既に帰国の荷造りを終え、様々な思いを胸に北京の裏路地を半日も歩いた私は、祖父のお墓参りの為、一旦実家の宮崎県へ向かうべく、翌日の2005年7月2日に北京空港から福岡空港へ向かう飛行機に乗りました。

 -後日談-
 その数ヵ月後、中国語がなんとか話せるようになった私は、遅れ馳せながら『北京・志強武館』の皆さんにご挨拶に出向きました。お互いに誤解が解け、その後も交流が保てるようになり、ちゃんと相手に言葉で伝える事の大切さを痛いほど学びました。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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