日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

実家の宮崎へ帰る

 2005年6月2日早朝、太極拳発祥の地『河南省』への留学準備と先日他界した祖父のお墓参りの為、私は北京空港から福岡空港へ向かいました。

 宮崎にある実家へは福岡空港から長距離バスで5時間もかかります。

 バスの窓から眺める6年ぶりの地元九州の景色は、まるで『日本昔話』に出てくる風景のように原生林がモコモコ、モコモコ、と生えていました。

 「なんともはや大自然あふれる土地で私は生まれ育ったのだろう・・・。」

 壮絶な半生を送ったせいか、まるで前世の景色でも見ているような気分で、呆然と5時間近くもバスに揺られていると、やがて日は落ち、真っ暗になった頃やっと実家まで辿り着きました。

 そして取るものも取り敢えず、まずは遺影の祖父にお線香をあげると、夕食をとりました。

 遺影の祖父の姿は、生前の厳格な凛々しい面持ちのままで、父親のいなかった私に与えてくれた毅然とした気質を改めて思い起こさせてくれました。

 鮎の里、そして蛍の里と称される私の生まれ故郷は、今や宮崎地鶏のブランドも加わっているほど海山川の幸に恵まれ、その夜に食べた地鶏と母の作ってくれた揚げ出し豆腐の味は、一瞬、無念無想の境地に至るほど身にしみる美味しさでした。

 食事を終えると、もう一度祖父の遺影の前に座り、集まった親戚のみんなと話をしました。

 親戚のおばさん曰く「おまえは小さい頃から子供らしくなくて、酷くお行儀の良過ぎる子で、うちに来てお菓子を食べなさいと言っても、決して手を付けないで、いいから遠慮しないで食べなさい、と言うと、じゃあ、一個だけ食べます、もう一個は弟にあげるから持って帰ります。と言って、本当に子供らしくなかった。」と自分の知らなかった子供の頃の自分の話を聞く事ができました。

 「どうりでOL時代に一生懸命仕事をしたって、誰にも気付いてもらえなかったハズだ・・・」我ながら『三つ子の魂百まで』という諺を思い出し、繁々と納得しました。

実家の黒猫ぶーちゃん  母は私が高校時代に宮崎駿監督の『魔女の宅急便』という映画に出てくる黒猫ジジが欲しくて、同級生から貰ってきた黒い子猫がきっかけで、大の愛猫家となり、その後、野良猫保護活動に勤しみ、家を改築して『猫ハウス』まで作ってしまい、私が実家にいた頃の部屋も完全に猫部屋と化していました。

 その時は2週間ほど実家に滞在したのですが、十数匹の猫にまみれ寝起きし、猫の毛の入ったご飯を食べ、昼間はアンモニア臭のする部屋で過ごし、夜には母の経営する食堂兼居酒屋で、ご近所のお馴染みさんとお喋りをしました。

 私は連夜「中国で太極拳やっちょるってや?ちっと見せてみね!」と絡むお馴染みさんに閉口しました。

 だって、当時私が習得していた『陳式心意混元太極拳』はあくまで気を練る功法であって、表演用の派手な型は無いのです。(※勿論大家の老師方の演武は美しく感動を覚えます)。しかし当時の私の技量では、やっている方は気持ちが良いのですが、見ている方は何がなんだかサッパリ分からない、と思ったのです。

 「いや、私はまだ未熟じゃから、見せられんとですよ。」

 と、あれこれ言い訳をして、お馴染みさんが諦めるまでやり過しました。

 毎夜毎夜、夕食を母の食堂で済ませて徒歩で寝泊りしている猫部屋へ帰る途中、夜空を見上げると昔と変わらない満天の星空でした。

 子供の頃、毎晩夜空を見上げながら銀河鉄道を待っていた頃の事を思い出しました。

 「いつか銀河鉄道に乗って宇宙を旅してみたい。」

 それが母子家庭で登校拒否児だった子供の頃の私の夢でした。

 29歳になった私は、また同じ夜空の星々を見上げながら、「私は今、飛行機に乗って日本と中国を旅している。これから何処へ行くのだろう。」心の奥でそう思いました。

 九州の大自然の中の小さな部落で育った私には、本物の大自然に正面から向かった時、癒されるという感覚はありません。私にとって大自然とは、抱擁と淘汰、清浄と汚濁、生と死、癒しというより寧ろ畏敬の念を感じます。

 約9万年前、2度に及ぶ熊本県の阿蘇山の大噴火で形成された高千穂峡の裾野で生まれた私は、大地の力と、夜空の星々の輝きに打ち震えながら、何かを強く感じで育ったのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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