日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

目覚めれば全身麻痺

 2005年11月、相変わらず河南省鄭州市の『陳家溝太極拳館』に通い詰めていた私は、ただ闇雲に練習するばかりの日々を送っていました。

 太極拳の本場の地にやってきて、太極拳界のダイヤモンドと呼ばれる「伝統 陳式太極拳 老架一路」を現地で学んでいるという己の状況が、非現実的であり、また切羽詰った紛れも無い事実でもあり、そのジリジリとしたプレッシャーが、私を焦らせていたのです。

 そもそも、何故その様な状況になったのかと思いをめぐらせれば、幼い頃から学校に馴染めず、馴染めないので虐められ、父親のいない緊張感ただよう家で育ち、登校拒否児になり、たくさんの人に迷惑をかけ、高校卒業後には情緒不安定なまま上京し、アルバイトをしながら「音楽で自己を実現するのだ!」というバンド活動の夢にも見事に挫折し、その後、友人の勧めで派遣社員のウェブ・デザイナーとなり、日進月歩のインターネット業界の技術に追いつく為の終わり無き“パソコン”との睨み合いに強度のストレスを受け、それでも頑張って3年勤めた後には、会社へ行って自分のデスクの椅子に座ると“無数の虫が背中を這いずり回り数秒とて耐えられぬ”という状況に陥り、その頃には既に「我慢」という二文字では到底乗り越えられないほど消耗し切ってしまい、「もう私は散々頑張った、もう生きるのを辞めてもいいのではないか、もう何も成す術など残っていないではないか、人は最後には死ぬのなら、この終わりの無い苦しみは一体何の為にあるというのだ!」という、七転八倒の苦しみの中、死と本気で向き合った末に体感した、あの“絶対的安心感=大自然界との共鳴”を、科学的かつ人道的に証明する為に、太極拳を学ぶことを決意したのです。

 勤めていた会社も、血の滲む様な努力で身につけたウェブ・デザイナーの技術も、ローンで買ったルイ・ヴィトンのバッグも、老後の心配も、一切合財を全てを投げ打って叩いた太極の門なのです。何があっても後へ引ける訳が無いのです、背水の陣なのです。

 ぼろアパートで、爪に火を灯す様な生活を送りながら、毎日毎日太極拳館へ通いました。

河南省鄭州市 住んでいたアパート

 授業中は教練の言葉が聞き慣れない河南省の方言だったので、太極拳の型を目で見て学ぶ事しかできませんでした。

 型を覚えた後は、それをどう深めていったら良いのか知りたかったのですが、言葉が通じません。

 しかし、太極拳館の雰囲気から察すると、私は圧倒的に体力不足と筋力不足である様な気がしたので、とにかく、それが自分の段階に必要か否かも考えず、必死に体を動かし、見よう見まねで闇雲に練習しました。その時はそれしか私にはできなかったのです。

 その頃から、夜な夜なスパルタな夢を見るようになりました。

 毎晩の様に、ジャッキー・チェンや、ブルース・リーや、ジェット・リーや、陳小旺老師(陳式太極拳“四天王”の一人)が代わる代わる夢に現れて、「もっと練習しろ!もっと練習しろ!」と、しごかれるのです。

 「うーん・・・、うーん・・・」

 毎朝、グッタリと疲れ果てて目が覚めては、また太極拳館へ向かいました。

 そして、ある朝、目が覚めると妙な違和感に包まれていました。

 あれ、金縛りかな?

 と、一瞬思ったのですが、目はしっかり開いています、意識もしっかりあります、部屋の天井のひび割れもちゃんといつもの通り見えます。

 しかし、全身が麻痺していて、手の小指一本動かせないのです。

 これは、さすがに怯えました。

 携帯電話はベッドの横のテーブルに、おおよそ手の位置から1メートル程の所に置いてあるのですが、全身麻痺の私には遥か数キロ先のように遠く感じました。

 頭は完全にパニックです。パニックになればなる程、全身が強固に麻痺していくように感じました。

 「落ち着け!落ち着くのだ!リラックス、そうだ、リラックスするのだ!放松、ファンソ~ン・・・」

 すると少しずつですが、携帯電話を置いてある側の左腕に感覚が戻ってきました。

 そのまま焦らず、30分程かけてじっくり精神を緩めて左腕の感覚に集中していると、やがて何とか動かせるようになってきました。

 左腕を動かし、半身になりベッドの横のテーブルの上の携帯電話を取ると、泣き出さんばかりの勢いで知り合いの通訳の裴さん(※『河南省の名通訳・裴さん』参照)に電話を掛け、「朝起きたら全身麻痺していたんです、病院へ連れて行ってください!」と頼むと、「それは“落枕”(寝違い)でしょう」と言われ、鄭州市内にある裴さん曰く“寝違い治療の名医”のいる病院へ連れて行ってくれました。

 その病院で発覚したのは、後頭部(玉枕というツボの部分)にできていた大きなしこりでした。

 「こりゃ、重症だね、按摩に通いながら太極拳の練習方法を変えなきゃ危ないよ。」とアドバイスを受け、家に帰ると情けないやら、どうしたらいいのか解からないやらで、困り果てました。

 後に、通っていた『陳家溝太極拳館』の創立者である陳正雷老師の講習会で知ったのですが、小周天(気が任脈と督脈を一周する事)を通す段階で、姿勢が歪んでいると、後頭部あたりで気が詰まってしまうそうです。

 しかし、それを知ったのはずっと後の事で、その時は、自分が焦って闇雲に練習に取り組んでいる事に自責の念を感じるばかりで、「一体どうやったら正しい練習方法を学べるのだろう」と、暗中模索のど真ん中にずっぽりと落っこちてしまい、「中国語を使いこなせるようにならなければ!」と改めて痛感し、「お金を払えば教えて貰えるのではない、自分が学ぶ心を磨かなければ何も学べないのだ。」という事を知ったのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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