日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

北京の武館へ逃避行

 2005年の年末、もうそろそろ日本はお正月を迎えるという頃、私は河南省鄭州市のアパートの中で、ノイローゼ状態から抜け出せずに過ごしていました。

 何度か太極拳館に足を運んだ事もあったのですが、解決できない自分の練習方法の問題にまた直面するのが怖くて、どうしても入り口のエレベーターに乗る事ができませんでした。

「あんなに河南省の太極拳を羨望してやって来たのに、この様はなんだ!」

 自分でもそう思うのですが、できないものは、できないのです。

 行き詰っていた時、何かを察したのか日本の太極拳の師匠から国際電話が掛かってきました。

「一度北京の武館に戻ってみたらどうですか?初心に戻る事も、たまには必要ですよ。」

 その言葉に、こんがらがって解けなくなっていた頭の中が少し解けた気がした私は、寝台列車の切符を買い、とりあえずマクドナルドへ行ってハンバーガーを胃に流し込み、簡単に荷物をまとめると『北京・志強武館』の事務所に電話をして、翌日の夜に出発しました。

河南省鄭州駅から北京西駅への寝台列車  寝台列車の中では何も考えられませんでした。と言うより、夜の10時半頃出発し、11時には消灯するので、『寝台列車だと良く眠れる症候群』の私は、ノイローゼの疲れから一時開放された安堵感もあり、あっと言う間に寝てしまいました。

 明朝、乗務員さんが乗客が乗車の際に切符と交換しなければならない札を再び配りに乗客を起こして回っているのにも気がつかないほど熟睡していた私は、目が覚めれば、もう北京西駅に着いていました。

 そのままタクシーを飛ばして『北京・志強武館』の近くの旅館にチェックインし、朝の9時には武館の事務所を訪ねました。

 数ヶ月前に逃げるように去った私を温かく迎えてくれた事務所の職員さんと、馮志強老師の三女である秀茜先生は、ちょうどここ数日は武館は無人だというので、私に好きな時に武館に来て自主練習をしてもいいですよ、とおっしゃってくれました。

 私は猛烈にやる気が出てきました。

 毎日、朝3時間、午後2時間の自主練習を開始しました。

 武館は無人です、時々事務所の職員のおばさんが覗きに来る以外は、私一人だけでした。

 私は、とにかく何かに取り憑かれたように猛練習をしました。

 練習内容は、当時覚えていた套路、全てです。

 勿論、『北京・志強武館』は陳式心意混元太極拳の武館なので、おおっぴらに河南省の老架一路を練習する訳にはいきませんでしたが、誰も覗きに来なさそうな時は、老架一路も少し練習しました。

 今思い出しても、何故あの時、あれほど一心不乱に練習できたのか、解かりません。

 とにかく、何も考えずに規則正しい生活リズムを保ち、自主練習に励みました。

 自由、そう、自由に練習しました。

 朝練では、武館の中が寒かったので、まず少しランニングをして体を温めてから、じっくりと混元太極拳を行いました。柔らかく体に無理をしない混元太極拳の円運動で「走気」の感覚を得られました。

 しかし、その練習も暫くすると多少精神的に疲労してくるので(恐らく“走気”の感覚を追う意念の使い過ぎ)、一休みして混元太極剣(つるぎ)を行いました。河南省では練習する場所が無かったので、型を思い出すのに幾分時間が掛かりましたが、三日もすれば完全に思い出しました。

 その後、混元太極刀(かたな)を行いました。これは陳項老師に習った型なので、後の八卦掌の出会いに通ずるものがありました。(陳項老師はご自身の太極拳に八卦掌の動きを取り入れていました)

 そうして思う存分、自由に、誰の目も、誰の評価も、誰の束縛も、恐らく自分自身を縛るもの全てを忘れて、ただ練習しました。

 体の中が、どんどん、どんどん、充実してきます。

 ある瞬間、体が要求したのか、河南省の老架一路の動きをやってみたくなりました。

 何かに促されるように、起勢から単鞭まで行った直後、

「嗚呼、これか!」

 言葉には出来ませんが、なぜ自分が河南省へ行きたかったのか、太極拳の発祥の地であるとか、全ての太極拳の源流であるとか、そういう表面的な理屈ではなくて、感覚として必要性を思い出したのです。

 北京に来て自由になったと思っていたのは、間違いでした。問題は場所ではなく、自分が自分を縛っていたのです。

 人には感情があります、人間関係や、置かれている環境や、それまでの経験が、物事を判断しようとします。それが必要な時もあれば、逆に自分自身を縛ってしまう事もあるんだ、という事を、またもう一度痛感させられました。

 もう○○式太極拳、という“こだわり”は無くなりました。ただ自分の感覚をいつも研ぎ澄ませていよう、そう思いました。

 その時の北京での滞在期間中、北京市内のタクシーの運転手さんや、食堂の従業員の人達から、河南省出身者の悪評をたくさん聞きましたが(河南省は、過去幾度となく繰り返した黄河の氾濫により難民が増え、地方へ移り住んだ河南省出身者が窃盗や詐欺をして生計を立てていた時期があったので、評判が悪いのです)、しかし私は気にしませんでした。

 そんなこと言っていたら、過去に日本兵が中国で行った事の為に、私だって中国にいる事なんでできません。

 人は、今の時代を精一杯、生きていくのだと思いました。

 その時の北京での滞在は2週間に及びました。途中、馮志強老師にもお会いして、励ましの言葉まで頂いて、中途半端な立場で武館を使用させて頂いている事が申し訳なくなったので、もう少し自主練習を続けたかったのですが、お礼を言って河南省に帰りました。(もちろん武館の人には河南省に帰るとは言えませんでしたが)

 人間は精神のみで形成されているのではないか!?と思う程たくましい足取りを取り戻した私は、意気揚々と河南省鄭州市に向かう寝台列車に乗り込み、早朝には鄭州駅に着きました。

 ここまでは、良い話なのですが、人生、そうすんなりとは参りません。

 早朝なのに大混雑をしている鄭州駅のタクシー乗り場へ並び、順番を守らない中国の習慣のせいで1時間もタクシーに乗れず、数日間北京で気分が高揚していた為か、酷い疲労感に襲われ、やっと捕まえたタクシーにトランクを乗せると、何故か運転手が“物凄い勢い”で私を罵倒し、トランクごと路上に引きずり出され、唾まで吐かれ、私は何がなにやら訳がわからず、アパートに帰る手段も無く、路上に倒れ付し、張り詰めていた糸が「プツリ」と切れ、路上で「オウオウ」と大号泣しました。

 「ひどいよー、なんて事するんだよー、どうせ私は嫌われ者の日本人だー!こんなに頑張っているのに、どうしていつも酷い目にあうんだー!」

 それはそれは、腹の底から泣きました。

 そして、気が済んだ私は、突然泣き止み、スクッと立ち上がり、何事も無かったかの如く、駅とは反対の方向に歩き始め、難無くタクシーを拾い、アパートに帰宅し、水量の非常に少ないシャワーを浴び、太極拳館へ練習に向かいました。

 2週間も失踪し、突如、太極拳館に現れ、真面目に授業を受けている私を見つけた知り合いのおじさんは、

「アイヨ、横山、きみ何処で偷練(こっそり特訓する事)してたんだい、えらく上達してるじゃないか!?」

 と感嘆の声を上げ、体育会系でいつも厳しい態度の鄭冬霞(ジェン ドンシャア)教練(女性)も、

「横山は外見は柔だけど、中身は剛だよ、最初に見た時にわかってたよ、そもそも弱い女の子は此処には来れないからね」

・・・

 私は本気でこの河南省という厳しい環境で、這いずり回ってでも太極拳を学んでやろう!と思ったのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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