日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

再び鍛錬の日々へ

中国河南省鄭州市の人民公園  2006年の2月下旬、やっと孤独で仕方のなかった旧正月が過ぎ去り、太極拳館が開館しました。

 新年の第一回目の授業は、十数名ほどしか生徒さんは来られていませんでしたが、私は仲間に会えたのが嬉しくて嬉しくて、小躍りしそうな勢いでした。

 そして、すっかり足腰が鈍ってしまったのは、どうやら私だけではなかったらしく、皆さん準備運動の時点で

 「アイ~、ウ~、エイ~」

 と、声を出して呻いていました。

 教練が「大家(皆さんの意)お正月で、すっかり“食っちゃ寝”していたんでしょう、今週はボチボチ体を慣らしていきましょうか!」

 と、声をかけると、館内には笑い声が響きました。

 もちろん私も、笑いました。

 「ああ、笑ったのなんて本当に久しぶりだ」と思いました。

 初日と翌日の授業は、皆さん何となく練習をこなしていたのですが、3日目になると、惨劇が始まりました。

 「ガー!グゥゥ・・・、痛痛痛!」

 練習中に、あちこちで悲鳴が上がります。

 そうです、あの中一日置いてくる、筋肉痛の痛みが各自に押し寄せて来ていたのです。

 特に、激しい鍛錬を行っている『表演隊』という太極拳の教練になる為の専門訓練を受けている男の子達の悲鳴は、惨憺たるものでした。

 しかし、いつもは負けん気の強い子までが、ストレッチ中に我慢できずに呻いている姿に、一般の生徒さん達からは微笑ましい“クスリ”笑いが漏れ、新しい年に向けて「さぁ、今年も頑張るぞ!」という気合いムードが高まりました。

 結局、なんだかんだ言いながら、一週間もすれば、私も含め皆さん通常の体の状態に戻り、生活も練習もすっかり元の通りに戻りました。

 「嗚呼、謝天謝地!日常の何と有り難い事よ!」

 もうこれは、太極拳なしでは生きてすらいけない事に気がついた私は、上手だろうが下手だろうが、五体満足に太極拳を練習できる事に、感謝の気持ちで一杯になり、それこそ海でも近くにあったら、海に向かって叫びたいくらいに喜びの気持ちで一杯になりました。

 「状態」という言葉がありますが、本当に不思議な言葉だと思います。

 人の心と体は色々な状態に変化します。

 ある状態の時は、たとえそれが自分にとって心地よい状態であっても、その事に気がつきません。

 「人って、色々な状態に変化を繰り返しながら、自分を知っていく事ができるんだなぁ」と、その時“ふっ”とそう思いました。

 とにかく、元気を取り戻した私はバリバリと練習に取り組みました。

 ト文徳老師からは、まだいつから練功始めを行うのか連絡がありませんでしたが、どっちにしろ体をある程度つくってからでないと、ト老師のしごきには耐えられないので、私は太極拳館で伸び伸びと太極拳の練習をしていました。

 その時、痛感したのが圧倒的な脚力の不足です。

 あたりまえの事ですが、足腰がしっかりしていなければ、どんな運動もままなりません。

 そして、それまでは単純に『脚力』=『足の筋肉』だと思っていたのですが、どやら、そう単純なものではない事に気がつき始めました。

 実際に、表演隊の男の子の中には、私と同じくらい“ヒョロヒョロ体型”の子だっています。しかし、細い体でも雄大な動きを行っています。(もっとも、男性と女性の筋肉の質は違うのかもしれませんが)

 当時は、とにかく両脚をガバッと開き、架式(姿勢)を低くする練習を要求されていました。

 しかし、そのような練習では疲労が溜まりやすく、虚弱体質(私)の人には適していません。それに、そのようにして鍛えた筋肉は、わずか数日間練習をしないだけで、儚くも無残に落ちてしまいます。

 特に女性は、月に数日間、どうしても練習できない日があります。もともと筋肉がつきやすい体質の女性でない限りは、努力と報酬の均衡がとれず、心理的に挫折しやすい状態になります。

 当時の私には、型を正確に学び、その型を行うのに必要な筋力をつける練習しかできませんでしたが、しかし「太極拳とはそんなに表面的なものではない、もっと奥深い何か特別な練習方法があるはずだ!」

 「それを見つけるまでは、意地でも日本に帰るものか!」

 そう胸の中で叫びながら、“ひ弱”な両脚に鞭打って、毎日ガチガチの練習を行っていたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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