日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

ストイックな練功と表演服

中国河南省鄭州市金水河の河辺  2006年3月末、先日の大失態も2日ほどで収まったのか、打って変わって大変お元気そうなト文徳老師より「だんだん日の出も早くなってきたから、早朝“もうちょっと”早めにおいでなさい、ほほほ」との、ご連絡を頂きました。

“もうちょっと”って・・・

 それまでは、朝の7時過ぎに練功場所である河辺に到着していればよかったのです(真冬でしたので)。それが春が近づくと、今度はとうとう6時には河辺に行かねばならぬ事になってしまったのです。

 当然、朝ご飯なんて食べる時間はありません。また聞く所によると「早朝練功は空腹で行うのが良い」との事で(胃の悪い人は牛乳などを軽く飲んで胃壁への刺激を避ける)、私はどっちにしろ連日の疲労で、早朝から何か食べる気にもなれませんでしたので、毎朝目覚ましがなると、「うりゃ!」と気合を入れて、顔も洗わず(洗ってすぐ外に出ると敏感な肌が排気ガスに触れるのがイヤなので)、寝惚け眼で薄暗い鄭州の大通りを渡り、練功場所へ向かいました。

 毎朝、たっぷり、たっぷり、排気ガスを吸いながらト文徳老師の御言付け通り、走り込みをしました。

 もう、「身体に悪い」とか、そんな優雅な事を言っていられる状況でない事は、すでに己自身より何度も知らしめられていたので、恍惚とした精神状態のまま、走り込みをし、ストレッチをし、ストイックかつ単調極まりない基本功を繰り返しました。

 ト文徳老師の眼光は『怠け心・発見レーダー』を搭載しているので、私は必然的に体力の限界が来たら『心のスイッチをオフにする』という技を習得しました。

 そうすれば、体からの「もう限界だ、運動を止めてくれ!」のサインを無視できるのです。

 いや、そんな大事なサインを無視してはいけないのですが、仕方が無いではありませんか、相手は“かの有名な『中華武林百杰』の一人に選ばれた大武術家・ト文徳老師”なのです。

 「排気ガスが苦しいので走れません」なんて、言えません。

 そんな毎朝の唯一の楽しみは、練功後の朝ご飯でした。包子(バオズ=肉まんの様なもの)や、熱干麺、豆腐脳、各種お粥、油条(揚げパン)などなど、中国の朝食メニューは豊富です。午前中は更に太極拳館へ行かなければならないので、そんなにお腹一杯食べる訳にはいきませんでしたが、それでも朝食はひと時の安らぎでした。

 毎朝、排気ガスで煤けた顔で、貪る様に朝食を食べました。

練功後の朝食(河南省鄭州市)

 朝食を食べ終えると、一旦自宅のぼろアパートに帰って小休憩し、午前中は太極拳館へ行って太極拳の練習をしました。

 私の留学ビザの発行元である『河南中医学院』へは、昨年の暮れに“職業技能・初級按摩師”とやらの資格を取って以来、ごくたまに中国語の授業に顔を出すくらいで、殆ど通わなくなっていました。

 毎日、毎日、同じような単調な日々を送っていましたが、それでも一日がとてつもなく充実していました。

 ト老師は私の「虚弱体質」というネガティブ思想を、吹っ飛ばして下さいました。

 『陳正雷太極拳館』の教練の方々と生徒の皆さんは、一人ではとても取り組めない単調な太極拳の基本功である纏絲勁(てんしけい)と、套路(型)の反復練習の“場”と“意力”を、私に与えて下さいました。

 寝ても覚めても西暦2006年の中国武術界の息吹の中で、私は30歳という時間を過ごしていたのです。

 そして、それは時に、タイム・トラベルをしている感覚にも襲われるのでした。

 数千年の歴史を持つ中国伝統思想の結晶である『中国武術』、そして宮崎県の片田舎から東京に夢を抱いて飛び込んだ田舎娘、夢破れて自暴自棄になっていたOL時代、全てが混沌としていて、何度も生まれ変わっている様な錯覚に陥る事がありました。

 そんな日々を送っていたある日、太極拳館の常連の生徒さん(40代くらいの“おじさん”)に、「横山さん、君ストイックすぎるよ、他の外国人みたいに、もっと仲間を食事に誘ったり、カラオケに行ったり、ダンスをしたり、買い物をしたり、エンジョイしないと精神的に参っちゃうよ!」と言われました。

 そんな事言われたって、誰を食事に誘ったらいいのか解からないし、カラオケやダンスをする気分にもなれないし、買い物といっても、たまに本屋に行って格安で売られている色々な武術のVCDを買うくらいで、他には練習以外、特に興味のある事もありません。

 そんな私に呆れたその“おじさん”は、私と同い年くらいの広東省から太極拳館に学びに来ていた女の子を連れて、太極拳の表演服なる物を作りに行こう、と誘ってくれました。

 さすがの私も、この誘いには乗りました。

 “太極拳の表演服”、なんだか凄く必要な気がします。

 さっそく、そのおじさんと広東訛りが可愛らしい小暁(暁ちゃん)と3人で、まずは安く表演服を作ってくれる、という服装店へ行ってみる事にしました。

 しかし、このお店は大ハズレで、出来上がった表演服は寸足らずもいい所だったので、私たち(太極拳の表演服を作り隊)のリーダーであるおじさんは怒って代金を返金してもらい、他のお店を探してくれました。

 そうして見つかった武術服店の店長だったのが、後(2011年現在)に至るまで、末永くお付き合いをさせて頂いている、解姐(親愛の情を込めて“解”姐さんと呼んでいます)でした。

 解姐は幼い頃から武術を学んでおり、なんと武術の審判員の資格まで持っているのです。ですから、どんな場面に、どんな拳種に、どんな表演服が最適か!?熟知しているのです。

 解姐が作ってくれた私たち(太極拳の表演服を作り隊)の表演服は、どれもピッタリで、おじさんも広東省出身の暁ちゃんも大満足しました。

 それ以来、『太極拳の表演服を作り隊』は解散してしまったのですが、私は定期的に一人で解姐の武術服店に通うようになりました。

 私はどちらかと言うと職人気質な性格なので、同じく口数の少ない典型的な職人タイプの解姐が好きになったのかもしれません。

 表演服は注文してから仕上がるまで、早くて2週間、解姐が忙しい時期は2ヶ月ほどかかります。

 忘れた頃に掛かってくる解姐からの「春光さん、あなたの表演服できたわよ」という電話越しの声で、何度心が癒されたかわかりません。

 武術漬けのストイックな日々の唯一の心のオアシスが、解姐とのアーティスティックな会話と、解姐が作ってくれる表演服でした。

 排気ガスに塗れた現代中国で、解姐が作ってくれる中国古典デザインの表演服の一つ一つは、まさしく私の心の中に咲いた、泥中之蓮のようでした。

解姐が作ってくれた中国古典デザインの表演服(横山春光)

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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