日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

挫折

中国河南省鄭州市の街並み  2006年4月、私は相変わらず毎日ハードな練功の日々を送っていました。

 それは、逃げ場の無い排気ガスとの戦いでもありました。

 最短距離で練習場所から家まで帰る以外、一秒たりとも外に居たくありませんでした。

 精神的ストレスなのか、肉体的ストレスなのか、それとも環境的ストレスなのか、もう何がなんだか解かりませんでしたが、とにかくジワジワと積み重なってくるストレスを、日々、感じ“ないように”努力していました。

 当時、ト文徳老師よりご指導を頂いていた練功内容は、体能訓練(体力アップ)と、基本功(ストレッチや体全体の動的バランスを培う総合運動)と、“眼法”でした。

 そして、その中で、一番、一番、一番、疲れたのは、“眼法”でした。

 走り込みは、途中からランナーズ・ハイになれるので、ある意味楽です。ストレッチなんて、伸ばしながら顔を伏せて半分寝てました。

 しかし、“眼法”ばかりは、ト文徳老師の武功の真髄でもあるので、それはそれは厳しく仕込まれました。

中華武林百杰 ト文徳老師

 毎日毎日、「うーん、やっぱり顔がダメじゃ、また敵を見ておらんじゃないか!」と叱られ、私が「ト老師!すみません、こうでしょうか!」と何度も反復して練習していると、ト老師はいつも痺れを切らし、スイッチが入ってしまいます。

 ト文徳老師には、口癖があります。

 それは「よいか!よーく見ておれ。相手がこうきたら・・・」

 「我就是这样!!」(わしゃ、こうやるんじゃ!!)

 「我就是这样!!」

 「我就是这样!!」

 「我就是这样!!」

 もう誰もト老師を止められません。

 「はいーっ!」

 私も負けずに殺気立ってト老師の動きを模倣してみるのですが、未熟な私は殺気立てば立つほど、気が上がり、すぐにクタクタになってしまいます。

(どうしてト老師は90歳なのに、あんなに凄いのだろう、きっと超人なんだ、そうに違いない)

 当時の私には、ただただ圧倒されるばかりでしたが、ト老師のスパルタ・メニューの効果は、太極拳の上達という結果で現れました。

 河南省の太極拳館には、毎月中国全土の各地より、色々な人達が太極拳を学びにやってきます。

 地元の生徒さん達は、私が日本人だという事を知っているので、特に私の太極拳に関して何も言いませんでしたが、地方から来たばかりの生徒さん達は、私を見ると「ねぇ、あなた陳家溝の人でしょう?教練になる為にここで学んでいるの?何年太極拳を学んでいるの?上手ねぇ」と尋ねてくるのです。

 陳家溝は太極拳発祥の地なのです、老若男女、村全員の人達が家伝の陳式太極拳を習得しているのです。

 私はいつも「あわわわ、いえいえ、違います、違います、私は陳家溝の出身ではありません」

 と、弁解をしていました。(勿論日本人だとは言いませんでしたが)

 そんな光景が日常的になると、地元の生徒さん達は面白いと思ったのか、「ねぇ、この子、どこの出身に見える?」と新顔の生徒さん達をからいはじめました。大抵は香港人か南方人、若しくは大陸(中国)以外の出身の中国人だと勘ぐられるのでしたが、私は日本人だと言いたくなかったので、笑って誤魔化していました。

 私は自分でも知らない間に、一見すると中国人に見えるくらいの語学力と雰囲気を身につけていたのです。

 それもその筈、ト文徳老師は現役時代、河南省武術協会の総教練を務め、多くの若き武才のある“苗子”(人材)を育成し、かの有名な陳式太極拳四天王の一人“陳小旺老師”を陳家溝より発掘した功労者でもあるのです。

 そして、なんとっ!あの中国の武術映画の大スターである“ジェット・リー”(中国名 李連杰)がっ!師匠と共に、ト文徳老師のご自宅に挨拶に来た事があると言うのです。(その時、ト老師のご自宅の前には大行列ができていたそうです)

 道理で急激に上達する筈です、と言うより、上達しなければおかしいです。私はそのご自宅の前でト老師ご本人より直接しごかれていたのです。

中国河南省鄭州市の街並みに売られていたハムスター  しかし、人生そうは簡単にいかないのです。(簡単いってくれれば、どんなに良いのやら)

 鄭州市の街角で、よく売られているハムスターよろしく、機械的でストイックな生活を送っていた私は(それは私が望んでそうしていたのですが)、どうやら心と体は「NO」サインを出したらしく、重度のノイローゼ状態になってしまいました。

 はじめは徐々に食欲が無くなり、仕舞いには一口も食べられなくなり、前回の教訓を活かして北京の武館に充電期間と称し10日間も逃避行し自主練習をしたのですが、今回はまったく調子が戻らず、鄭州市の自宅に戻ると廃人の様にベッドに横になり、一週間寝たきりになりました。

 寝室の電灯は切れたままでした、買いに行く気力がずっと起きなかったのです。  夜は灯り替わりにテレビを付けて、音量を無音にして、ただベッドに仰向けになっているだけの有様でした。  天井がグルグル回って、真っ暗な中に銀河の様な幻覚が見えました。  ・・・  死の匂いがしました。  自分勝手に頑張り過ぎて死んでしまっては、本人は満足でも、お世話になった多くの方々に大変ご迷惑をお掛けしてしまうので、  そう、私は非常に無念ではあったのですが、着の身着のまま、一旦日本へ帰るという苦渋の決意を下したのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

ページのトップへ戻る