日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

求学の心

三度目の帰国(北京から成田行きの飛行機)  2006年4月27日、私は河南省鄭州市の空港から北京空港を経由して、虚ろな精神状態のまま飛行機を乗り継ぎ、成田空港に到着しました。

 10日間近く、ほとんど喉を通らなかった食事も、飛行機の中では嘘のように機内食を平らげました。

 成田空港に着いてすぐ、私は悪夢から醒めたような気分に襲われました。

 成田空港に着いてすぐ、私は悪夢から醒めたような気分に襲われました。

 清潔な成田空港内を歩きながら、東京から遠く遠く離れた鄭州での武術漬けの生活を思い出すと、まるで地獄から還ってきたような、悪い夢から醒めたような気分になりました。気がつくと背中がブルブルと震え出しており(もう、二度とあの生活に戻る気にはなれないかもしれない・・・)という嫌悪感に近いものすら感じました。

 中国で生活している時の、「私はデフォルト(日本人)の状態で中国全土の人々に忌み嫌われている」、というあの疎外感。そして逃げ場のない排気ガス。練習と食事だけの単調な生活。どんなに努力しても友達のできない孤独。

 (なぜ、私はあのようなストイックな生活を送っていたのだろう・・・)

 ショック状態で、何も考えられませんでした。

 そんな私を迎えてくれたのは、私が太極拳の世界に足を踏み入れるきっかけとなった『太極道交会』の先輩方と、ずっと庇護してくださっていた元師である山口博永禅師でした。

 ちょうど私が帰国して数日後に、太極道交会の合宿が行われるとお聞きし、私も参加させていただくことにしました。

 “武術漬けの生活から負け犬のように逃げ返ってきた自分が恥ずかしい”、という自我など、とうに崩壊して微塵もありませんでした。

 ただただ、「日本人に会いたい!」という人恋しさで一杯でした。日本語を話したい、同じ文化を根底とした価値観の空気に触れたい・・・

 もともと日本にいた頃は対人恐怖症だったはずなのに、いつの間にか、すっかりと忘れていました。

 合宿はとても楽しくて、二泊三日という短い時間でしたが、皆さんが帰っていく最終日になると、寂しくて寂しくて、もっとずっと一緒に時を過ごしたいと思いました。

 でも、皆さんには、それぞれの生活があるのです。日本では中国の武館のように、毎日同じ仲間と顔を合わせて何時間も練習に取り組む、という習慣も条件もありません。

 私は、なぜか急に中国の生活が恋しくなって来ました。

 確かに中国で武術修行の日々を送るには、大きな精神的ストレス、そして肉体的ストレスに耐え抜かなければなりません。でも、一生そんな生活が続くわけでもないのです。

 耐え抜いて、本当に学ばなければならないものを探し当てて、それを学んで、そして、その時が来れば私はまた日本に帰って来れるのです。

 きっとその時は、新しい自分になって、日本の地で自分の描いた夢を生きることができるのです。

 私は、初心を思い出しました。

 私が太極拳を学び始めてまだ間もない頃、「私はこの道で生きていく!」そう直感したのです。

 決心ではありません、計画でもありません、直感したのです。

 当時の師も、先輩方も、仲間も、友人も、みんな私の身を案じて反対しました。

 「太極拳の先生になるのはいいけど、それだけじゃ食べていけないから、ほかに収入の得られる仕事をしながら、兼業で太極拳教室を開いたら?」

 皆さん、そう言いました。

 しかし、私の心の中では、

 「否」

 強く反発するものがありました。

 過去の経験が、私に強い意思を持たせたのです。

 私は18歳で実家の宮崎県から「音楽でこの心の中の衝動を表現したい!」という夢を抱いて上京したのですが、まったく才能が無く“夢を追うフリーター”という、不安定かつ貧乏な生活から非常に苦しい思いをしました。

 それを見兼ねた友人が「2番目に好きなことを仕事にしたら? 1番好きなことを仕事にしようとすると苦しむから」というアドバイスをしてくれ、私は3年も足掻いた後に、とうとう観念して、それを実行したのです。

 そして結果は、叶わぬ夢を追いかけて苦しんでいた時よりも、更に苦しくなりました。

 「生きる為に食うのか、食う為に生きるのか?」

 食う為だけに働く生活を送るなかで、私の魂は屍のようになりました。

 「心がゾンビのようになって、死ぬその瞬間までの時間をカウントダウンしながら生きるくらいなら、叶わぬ夢で苦しんでもいい、血を流しながらでもいい、輝いた心で生きたい!」

 その時に、私は痛感したのです。

 「肉体が快適に生きていても、本当にやりたいことを追い求めなければ、非常に苦しい人生になってしまう・・・」

 そう痛感した数ヶ月後に、私は太極拳という人生で2度目の夢を見つけました。

 その夢は、あらゆる思考、あらゆる方法、あらゆる試行、あらゆる失敗、ありとあらゆる兆し、それら全てを正面から受け止め、そして全身全霊で追い求めた末に、私の心の奥から湧き出て来たものだったのです。

 「生きるとは、自分が信ずることを貫くことだ!」と身に沁みて痛感していた私は、誰の忠告も聞き入れませんでした。

 太極拳の専門の先生になって、食べれるとか、食べれないとか、そんなことはどうでもよかったのです。

 明日はどうなるかなんて、誰にも解かりません。今、一番心が感動することを、日々行って生きていたかったのです。

 「私は太極という一本の道を生きていく」

 人生、幾度本当にやりたいことにめぐり会えるでしょうか?

 私は夢をあきらめた後の、あの虚しく死に向かってただ時間を費やしていく日々の恐ろしさを経験していたのです。

 中国留学を途中で逃げ出し、日本に帰ってみて改めてその時の初心を鮮明に思い出しました。

 そうして、1ヶ月とちょっとの帰国の時を過ごした後、2006年6月14日、私はまた河南省鄭州市へ戻ったのです。

 太極拳の故郷、私の生きる道を指し示す、光のある場所へ。

太極拳の思想を描いた壁絵

 鄭州空港に着いてすぐ排気ガスの臭いがしましたが、今度は体の全細胞が免疫力を高めて戦の準備をしているかの如く、私の心身を支えてくれているのが解かりました。

 後に現在の師となる伝統八卦掌 第五代 正統継承者の麻林城(ま りんじょう)老師は、私のことを身内の武術界の仲間に、こう紹介してくださったそうです。

「横山は小柄な女性だが『求学』の心は誰よりも強い、自分の全生涯を懸けて学ぼうとしている、私と同じだ、私はその心に共鳴し、感動した」

 私の人生の中で、最も嬉しかった言葉です。

 そして麻林城老師は、「日本人に我々中国人の伝統の技を伝えるなんて!」と反対をした仲間に、「私には彼女の志に報いる義務がある、それが私が師より受け継いだ中国伝統武術の精神である」と公言してくださったそうです。

 しかし、その麻林城老師に出会えるまでの数年間、私は河南省鄭州市において、駆けずり回りながら、七転八倒、紆余曲折の闇雲修行の日々を送らなければならなかったのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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