日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

同志現る

 2006年7月、私は物凄いオーバーワークの日々を送っていました。

 早朝6時までには、鄭州市を流れる金水河の広場へ向かい、ト文徳老師の『怠け心・発見レーダー』にロックオンされながら、武術の基本功を7時30分頃まで行います。それが終わると朝食を済ませ、9時には太極拳館へ向かい、ジュアン君とヘソ君と一緒に太極拳の授業を受けます。

 それから昼食を食べに2人を安い食堂へ案内し、2人の体調を見ながら料理を注文します。

 実は、この事で2人が喧嘩をした事がありました。

 いつも「僕は何でもいいよ、ジュアン氏と横山さんが食べたいものを頼んで」と言っていたヘソ君に、ジュアン君が怒ってしまったのです。

 「横山さんは、とても疲れているのに僕達のために色々と考えてくれているんだ、それなのに“何でもいいよ”なんて、横山さんがもっと疲れちゃうじゃないか!」

 ジュアン君と私の性格は似ていたので、ジュアン君はたぶん私が色々と考え過ぎて疲れてしまう事を心配してくれたのでしょう。

 その一件から、ヘソ君は毎回食事の時に「僕は今日はお魚が食べたい」「今日はお肉が食べたい」と、具体的に言ってくれるようになりました。

 お昼ご飯が終わると、私は午後にト文徳老師より八卦掌の指導を受ける準備の為に、自宅に戻って短い休憩を取ります。

 その時点で私の体力は尽き果てていましたが、何とか午後3時間のト老師の“しごき”を終えると、またジュアン君とヘソ君を晩ご飯を食べに食堂に案内し、その後は2人が滞在していた寮の近くのグラウンドで、太極拳大会出場の為の練習をしました。

 大会に出場する為には、必ず2項目以上の套路をエントリーしなければなりません。一つは拳(太極拳)、もう一つは器械(武器)若しくは推手です。

 ジュアン君は『伝統陳式太極拳』『伝統陳式太極単剣』『推手』をエントリーし、私は教練に勧められて『伝統陳式太極拳 競賽套路(五十六式)』と『伝統陳式太極単剣』をエントリーしました。

 陳式太極拳の特徴である“剛の勁”に自信が無く、すぐに落ち込みやすい性格の私に、ジュアン君は漢方医である母親から伝授されていた呼吸法と、心の調整法を教えてくれました。そして私は、武器の苦手だったジュアン君に剣の型を教えました。

河南省鄭州市のグラウンドにて韓国人の友達ジュアン君と一緒に太極剣の練習

 ヘソ君は、私と日本語も中国語も話せないジュアン君の通訳、ビデオ撮り係り、そしてムードメーカーになってくれ、3人が一丸となって短い一夏を精一杯過ごそうとしていました。

 連日気温は40度を超えていましたが、私達はそんな猛暑をも上回る熱い心を持っていました。

 そんなある日、ヘソ君がこう言いました。

 「横山さん、日に日に“やつれて”きてるよ、ジュアン氏も髪が伸びすぎだよ、2人とも練習ばかりしてないで、たまには買い物に行って気分転換でもしよう!僕もジュアン氏も、いい加減に散髪しないと不味いよ・・・」

 そう言えば、ヘソ君はパーマをかけていなかったので、あまり気になりませんでしたが、ジュアン君は例の韓国パーマが伸び放題になっていて、せっかくの精悍な顔立ちも、台無しになっています。

 「よしっ!じゃぁ、明日は一日練習を休んで逛街(街をぶらぶらする事)に行くかぁ~!」

 ジュアン君はそう言いましたが、私は練功を休むとト老師のご機嫌が悪くなるので、グズグズ迷っていました。

 そんな私の様子を見たヘソ君は、小さな声で「みーちゃん(私の幼い頃のあだ名です)目の下にクマができてるよ、もう何日鏡を見ていないの?」と呟きました。

 (はっ!)

 突如、我に返った私は「行こう!街へ出よう!行くのだ!人の心を取り戻すのだ!」とノリノリになって、早速その日の午後、ト老師に「明日は一日休みを下さい」とお願いをしてきました。

 翌日、3人で練習をサボって街へ繰り出しました。

 2人とは3ヵ月間共に過ごしましたが、練習をサボったのは、この日一日だけでした。

 繁華街へ出て、ジュアン君とヘソ君の散髪任務を完了すると、随分気分が晴れやかになってきました。

 ヘソ君が行きたがっていた中国の書店を見物し、それからあても無く鄭州の街をぶらぶらと歩いていると、2人が私に何か楽しい事をさせてあげたい、と言ってくれました。しかし、私は何も思い浮かばなかったので「う~ん」と頭を抱えていると、ジュアン君が「ダメダメ!今日は横山さんに何も考えさせちゃダメ!考え込むのが悪い癖なんだから、今日は僕達だけで考えてあげよう!」と言ってくれました。

韓国風酢豚と八卦掌オムライス  2人は太極拳館に隣接してある寮に私を招いてくれると、韓国料理を作ってくれました。

 ヘソ君が、たぶん日本では『酢豚』という料理だよ、と言っていたので、私はお礼に主食のオムライスを作りました。

 オムライスの仕上げに、私がケチャップで『八卦掌』と描くと、ジュアン君とヘソ君は飽きれた顔をして「みーちゃんの頭の中には、武術の事しかないんだね・・・」と言っていました。

 この日、ファンタジー作家のヘソ君が、私に折り入ってお願いがあると言うので聞いてみました。

 中国に来ても、一日の半分は小説を執筆しているらしく、その合間に「どうしても、アイスコーヒーが飲みたい!」と言うのです。

 寮の近くに専門のコーヒー店はあるけれど、目が飛び出るほど値段が高いし、粉末のコーヒーはコンビニで安く買えるけど、2人が滞在している寮には冷蔵庫が無いので、ぬるいコーヒーしか作れないと言うのです。

 私はその日に保冷容器を買うと、自宅の冷凍庫で氷を作り、一日に一回、自転車に乗って氷を2人に届けるようになりました。(私はカフェイン過敏症なので、2人と一緒にアイスコーヒーを楽しむ事はできませんでしたが)

 ヘソ君とジュアン君は、私がビックリするほど感謝してくれ、「どうして、こんなに良くしてくれるの?」と聞いてくるので「私も中国で太極拳を学ぶのにとても苦労したから、2人の気持ちが良く解るから、あたりまえだよ」と答えると、その日、2人は私が帰った後、長い間語り合ったらしく「横山さんと兄妹の契りを交わそう」と決めたそうです。

 中国も韓国も、非常に人情の厚い国です。一度妹と決めたら、それは一生実の妹のように大切にする、という事なのです。

 翌日ジュアン君は、「今日から僕達を“オパ”(お兄さん)と呼んで欲しい、勿論みーちゃんが望めばだけれど・・・」と言いました。

 “春光”は、私の最初の師匠に頂いた、道を歩む為の法名です。“みーちゃん”は私の幼い頃のあだ名です。

 そして、ヘソ君はこう言いました、「でも、それは僕たちが中国にいる間だけだ、僕たちが韓国へ帰ってしまったら、みーちゃんは、また一人でここで頑張らなきゃいけない、僕は男だけど、僕なら耐えられない、でもみーちゃんはきっと耐えられる、僕たちの事をいつまでも懐かしく思っていたら、みーちゃんの修行の邪魔になってしまう、だから兄妹になるのは今だけだ、でも僕達は一生君のような勇敢な妹がいたという事を忘れないよ」

 私は泣かないように歯を食いしばりました。

 (泣くな!ここで泣いたら心が折れてしまう!弱くなってしまう!泣くな!)

 情に厚いジュアンが「私のオパ(お兄さん)になりたい」と言い、心優しいヘソが「自分達がいなくなった時に私が倒れないように期間限定にしよう」と言い、夜明けまで語り合って決めた事だと言うのです。

 時間は流れて行きます、ずっと変わらないものなど無いのかもしれません。

 でも、心がキラリと輝く瞬間、その瞬間は、私は永遠だと思っています。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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