日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

「一無所有 擁有一切」

 2006年11月、賑やかだった夏が過ぎ去り、中国北部の短い秋が訪れると、私はまた元の修行生活に戻っていました。  夏の太極拳大会後にメンタル・バランスを崩した為、必死につけた筋肉は“きれいサッパリ”落ちてしまい(もともと筋肉がつきにくい体質なので)、また一から鍛え直さなければならない罰はありましたが、それでも何とか太極拳館と、ト文徳老師のご指導と、両方のメニューを消化していました。

河南省鄭州市 陳家溝太極拳館

 夏の間は、外国人や地方から太極拳を学びに来ていた学生の為に、連日イベント満載だった太極拳館も、11月になると一気に人気が少なくなり、授業を受けているのは、私を含めて地元の生徒さんばかりでした。

 不安も、孤独も、やる気も、充実も、出会いも、別れも、復活も、一通り経験した私は、相変わらず虚弱体質なままでしたが、それでも、ちゃんと練習に取り組んでいました。

 「一無所有」

 何もありません。

 太極拳館で、教練と10数名の生徒さん達と『陳式太極拳 老架一路』を黙々と練っている時、(あぁ~、私は何も持っていないなぁ)と、しみじみ思いました。

 せっかく出会えた同志達とは束の間の3ヶ月しか切磋琢磨できず、幼い頃から体が弱かったので、人生であり得るはずの無いと思っていた武術界での金メダルを獲ったのに、己の未熟さから凱旋もできず、当然得られるはずだった日本の師匠と先輩方からの応援と励ましの言葉も得られず(自業自得だったのですが)、我ながら(あぁ~、いま、私は何も持っていないなぁ~)と全身で、しみじみと感じました。

 ところが、不思議な事に、なんだかスッキリしているのです。

 「一無所有」

 何もありません。

 でも、今、ここで、私はまだ生きている。そして太極拳の発祥の地で、教練と10数名の生徒さん達と一緒に、太極拳を練習している。

 「擁有一切」

 それが、“全て”ではないのか。

 一瞬、もの凄い幸福感に包まれました。

 価値観は違うし、反日感情もあるし、全然打ち解けられないけど、一緒に太極拳を練習する事ができるのです。

 これが、今この時が、“全て”ではないか。

 「一無所有、擁有一切」

 何もないのに、もの凄く幸せ・・・

 一瞬、本当に一瞬ですが、太極拳館で『老架一路』を練っている時、時々そういう幸せな時を感じるようになっていました。

 華々しく東京へ凱旋などしなくて良かった。否、しても、しなくても、どうせ同じ様な虚無感に襲われて、きっと結果は同じだったと思います。

 何でもいいのだと思います。自分の感性を研ぎ澄ませて、自分の心の声を聴いて、志を立てて、一生懸命に精進をすれば、きっと必ず自分が目指す“何か”は、少しずつ見えてくるのだと思います。

 ある日の午後、いつもの様にト文徳老師直々の『ト氏・八卦掌』の手ほどきが終わると、秋口になって爽やかな気温になったせいか、体力に余裕がある事に気がついた私は、太極拳館の夜間の授業にも通う事にしました。

 夜は表演隊の男の子達が、交代で教練を務めていました。

河南省鄭州市 陳家溝太極拳館 表演隊
 (河南省鄭州市 陳家溝太極拳館 表演隊の演武風景)

 何か守秘義務でもあるのか、それとも自分の練習で精一杯なのか、寡黙でプライドの高い表演隊の“小教練”達は、地元の生徒さんにも、私にも、授業以外ではあまり声をかけてきませんでした。

 授業の合間の休憩時間も、さっさと事務室に入り込んで、10分くらいは出て来ません。(今なら解ります。指導をするには大量のエネルギーを消耗するのです。自分自身のレベルを向上させながら、同時に指導に当たるのは、並大抵の情熱では足りません)

 特に私に関しては、授業中の2時間、どんなに一生懸命練習に取り組んでいても、チラリとも見てくれません。

 (まぁ、いいや、どうせ明日の早朝も、またト老師にしごかれるから、夜は気楽に太極拳を流していこう)

 そう思って、マイペースに授業に出続けた数日後、表演隊の中でも“とびっきり”プライドの高い許文軍(シュー・ウェンジュン)君が、常連の生徒さんに向かって「横山さんの“陳式太極拳 競賽套路(五十六式)”、すっげぇ格好良かったから、今度見せて貰えよ!」と言ってくれました。

 私は「な、な、な、何を、ダメです、全然ダメです、大会の時に比べたら、すっかり体が鈍ってしまいました!」と慌てて断ったのですが、この事がきっかけで、少しずつ地元の生徒さん達と、お喋りができるようになりました。

 韓国のお兄さん達の様に、いきなり“しっくり”とはいきませんでしたが、それでも少しずつ、中国人の仲間との雰囲気に慣れていきました。

 表演隊の男の子達も、十代ながら大きなプレッシャーを抱えて鍛錬をしているのかもしれません。農村から表演隊に選抜された彼らは、期間限定で学費免除の太極拳訓練を受けるのです。その代わり、その期間が過ぎても要求を満たす上達ができなかった場合、太極拳館を去らなければなりません。

 いま、中国では小学校から厳しい受験戦争が始まっています。大学を卒業しないと就職が困難なのです。彼ら表演隊は、人生を左右するその大切な時期に、学校へ通わず太極拳館で鍛錬に明け暮れているのです。

 私が職を捨てて、一切合財を投げ打って禅寺に住まわせて貰いながら本格的に太極拳の鍛錬を始めたのが、27歳の頃です。女性の27歳といえば(恐らく)多分、とても輝いているハズの時期なのです。

 そして中国へ渡り2年が過ぎ、私は30歳になっていました。

 「人生で最も大切な時期を、太極拳というものに懸けている」という、たった一つの共通点で、許文軍くんは私の事を応援してくれたのかもしれません。

 だって、当時の私の『陳式太極拳 競賽套路(五十六式)』は、お世辞にも「すっげぇ格好良い」とは言えなかったからです。

 つらい思いをして良かった、と思いました。

 意外な人からの応援の言葉が、素直にとても嬉しかったからです。

 ・・・

 秋も深まり、夜明けが遅くなってくると、ト老師の早朝練習のボリュームも減ってきました。

 その代わり、午後の“しごき”が、ボリューム・アップ!しました。

 しかし、救われたのは、ずっと「ト老師と私だけ」という“一対一”の逃げ場のない指導状況下に、新たに小路(シィァオ・ルー)という私と同い年の男性が加わったのです。

 彼はなんと10年間軍隊に入隊していたそうで(中国の軍隊の訓練は凄まじいそうです)、しかし軍隊の中の理不尽な規律や“新人いじめ”に嫌気がさし、退隊した所、『経済発展』真っ最中の現代中国の伝統文化の崩壊の有様を見て「これは大変だ!」と並々ならぬ危機感を感じ、身の振り方に悩んだ末、出した結論が「中国伝統武術を習得し、カナダへ移住し、海外で中国伝統文化を継承していく!」というものだったのです。

 小路は、朝から晩まで『ト氏・八卦掌』の特訓をしていました。

 では、どうやってその手続きや通訳等、必要な条件を整えるのかというと「奥様が賄う」という事らしいのです。

 (10年も軍隊にいて、退隊して間もないし、一般社会にも馴染めないと言っているのに、どうやって結婚相手を探したんだろう?やっぱり、許婚とか、お見合いとか、かしら?)

 恋愛とはまったく縁のなかった私は、好奇心から小路に奥様との“馴れ初め”を尋ねてみると、な!なんとっ!

 インターネットで知り合ったそうなのです・・・

 彼の雷神のような容貌と、インターネットで知り合った女性と結婚する、という“現代風の”イメージにあまりにもギャップがあったので、私は驚きました。

 そして、驚いたのは、それだけではありません。

 小路の八卦掌の練習の様子は、まるで、映画『スター・ウォーズ』シリーズの『R2-D2』(ロボット)の様だったのです。

 (『R2-D2』だ!『R2-D2』八卦掌だ!)

 そう言えば、韓国のお兄さん達に聞いた話を思い出しました。2年間の徴兵から帰ってくると、暫くはラーメンを食べるのも“カクカク”した動きになるそうです。

 ラーメンを、まず真っ直ぐ垂直に持ち上げて、それから水平に口に運ぶそうです。(本当らしいです)

 小路は10年間も軍隊にいたのです、その“四角四面”ぶりと言ったら、歩いているだけで「ウィ~ン、ガチャン」という、聴こえるはずのない音が聴こえて来る程でした。

 しかし、さすが軍隊で鍛え上げられた精神力と体力。彼は、休むことなく大量の練習をこなしていました。

 ト老師は、小路に向かって、

 「練習熱心で、結構、結構・・・。少々“不順暢”(スムーズではないの意)じゃが、練習の量をこなせば柔軟になってくるじゃろう」

と指導されていました。

 かくいう私は、いつまでたっても虚弱体質なまま、ひょろひょろ・ひょろひょろと、うまく脱皮できなくて“もんどり打っている”小蛇のような動きで、無尽蔵に体力のある小路を横目に、必死に八卦掌の練習に取り組んでいました。

 そんな両極端な私と小路でしたが、年齢が同じという以外にも、もう一つ共通点がありました。それはお互い母子家庭で育った、という事です。

 ある日の午後、ト老師が急用で出かけられた時に、小路は私に向かってこう言いました。

そ、そんなこと言われても 「片親で育ったら内向的な性格になるんだよ、君もそうだろ。だから結婚相手は明るくて、天真爛漫で、でも繊細な気遣いができて、包容力がある人じゃないとダメだ。絶対にそういう人じゃなきゃダメなんだよ、いいかい、解ったかい、そういう男を見つけなきゃ、君はダメだね・・・」

 その時の私の心境  →
 中国人は、とかく『婚姻問題』に関して親切です。お天気の話でもするように婚姻の話をします。上海や北京などの大都市は晩婚化の傾向がありますが、地方となると女性の結婚適齢期は23歳前後だそうです(日本も同じようなものかもしれませんが)。30歳の女性が結婚もせず一人暮らしで武術の鍛錬に明け暮れている、という状況は“異常”だったのです。

 小路は、新婚ホヤホヤで気分が高揚しているのか、元からそういう性格なのか、事あるごとに私の結婚相手について「あーでもない、こーでもない」と議論をふっかけてくるので、私は閉口しました。

 ある日、堪り兼ねた私が「小路は良い奥さんを見つけたんだね。小路は女性を見る目があるんだね・・・」と言った瞬間、小路は突然!“雷神”のような容貌を豹変させ、それはそれは“デレデレ”と、奥様のノロケ話を延々と始めたのです。

(い、意外な反応!)

(ってゆーか、ノロケ話をしている時の小路って“カクカク”してない!)

 つまり、小路は友達がいなかったので、10年間という長い軍隊生活を経て、やっと手に入れた自分の夢と、新婚ホヤホヤの溢れ出さんばかりの喜びを、誰かに聞いて欲しくて仕方がなかったようです。

 そんな両極端な私と小路の珍コンビでしたが、ト文徳老師の元、『ト氏・八卦掌』習得への日々を、新たにスタートさせたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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