日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

ト氏八卦掌のルーツを辿って

 2006年12月、もうすぐクリスマスという頃、小路はある一つの問題を解決しようとしていました。

 それは『ト氏 八卦掌』の『系譜』を整理する事です。

 なんでも、海外(特に欧米)で武術館を開くには、勿論“功夫”も必要とされますが、どの流派の何と云う武術を継承しているのか?というルーツ、つまり『系譜』が非常に重視されていると言うのです。

 カナダへ渡り、武術館を開き、中国の伝統武文化を守り続けようという目標を抱いている小路にとって『ト氏 八卦掌』の『系譜』は、とても重要な問題だったようです。

 そもそも、小路はいきなりト文徳老師に巡り会えた訳ではありません。最初に出会ったのは、中国の公園なら必ず数チームは練習している『簡化24式・太極拳』だったそうです。

 しかし『簡化24式・太極拳』は、1954年に中国政府が太極拳普及の為に再編した套路で、それに満足しなかった小路は「では、その太極拳のルーツは一体“何式太極拳”なのだ!」と疑問を抱き、まず『陳式太極拳』に辿り着き、そこで、私と同じ河南省鄭州市の『陳家溝太極拳館』に暫く通っていたそうですが、本質をなかなか学べない“もどかしさ”から、河南省中の武術家を探し始め、ト文徳老師に出会ったそうです。

 小路は「俺はト老師の眼に惚れたんだ!」と言っていました。私も同じくト老師の“壮絶なまでの純粋な武魂”に魅入られた一人です。

 私は“中国語が母国語ではない”というハンディがあったので、とにかく体を使って動くことで武術を学んでいましたが、小路はインターネットと古本屋で発掘できる資料を駆使して学びを進めていました。

 ある日、小路は「やっとト老師から何処で八卦掌を学ばれたのか聞き出せた!」と興奮気味に私に言いました。

 ト老師は、それまでずっと「わしの八卦掌は、わしが習得してきた色々な武術の良い特徴を取り入れて、自分なりの八卦掌に造り変えたからルーツは無いんじゃ」と仰っていたのです。

 しかし、小路にとって『系譜』が無いことにはカナダへ渡っても、武術館を開くことができません。彼は、諦めずにト老師に「いつ、どこで、何という名の老師に八卦掌を学ばれたのですか?」という質問を繰り返し、やっと聞き出すことに成功しました。

 小路は「俺は明後日、その村に行く!自力で『系譜』を探してくる!」と宣言しました。

 私はとっさに「私も連れて行って!」と言っていました。

 ト老師も、小路の情熱に根負けしたのか、我々の“『ト氏 八卦掌』ルーツ探しの日帰り旅”を許可して下さいました。

・・・

 早朝夜明け前に出発し、長距離バスを乗り継いで『馬坂村』に着いたのは午前10時過ぎでした。

 小路は、レンガ造りの家が立ち並ぶ、黄土色一色の、まるで乾燥した迷路の様な『馬坂村』を歩きながら、屋外で作業をしている村人を見つけると、「この村で八卦掌という武術を継承している方はいませんか?」と、聞き込みを始めました。

 何人に聞いても「知らない」と言われ、それでも諦めない小路の背中を見ながら、私は(中国北部の農村とは、こういう所なんだ)と改めて実感しました。日本の農村は自然豊かなイメージがありますが(私も農村育ちなので)、中国北部の農村は、土地自体が貧しいのです。乾燥して土が痩せているのです。水とは本当に命と呼べるものなんだ・・・、と思いながら歩いていました。

 屋外で作業をしている人に聞いても情報を得られないと判断した小路は、今度は古い家を探すと、直接庭へ入って行き、その土地に長く住んでいるであろうと予想される村人に聞き込みを始めました。

『馬坂村』のお爺ちゃん  その家はレンガ造りではありませんでした。土台はレンガでしたが、木や竹を使った風格のある母屋と、小さくはありましたが手入れの行き届いた野菜畑が、「清貧」という美徳の言葉を私に思い起こさせました。

 家の中から出て来たのは、ごく普通のお爺ちゃんでした。

 突然の珍客に少し驚いているご様子でしたが、ほのぼのとした声で、「ほいほい、何の御用ですか?」と、藁でできた出入り口の仕切りを「ザラザラ」と開けながら、ゆっくりと歩いて来られました。

 小路が「この村で以前、“張福善”という老師が滞在され、八卦掌という武術を教えていた事があると聞いたのですが、ご存知ないでしょうか?」と尋ねると、お爺ちゃんは急に笑顔になって、「おお、おお、知っとる、知っとる、懐かしいのう、あの頃は何やらあっちこっちから武術を学んでいる者が来て、張老師に八卦掌を教えてもらっていたよ。わたしも隅っこで一緒に練習していたよ」と笑顔で答えてくれました。

 私が(わ~、本当に見つかった!)と、のん気に驚いていると、お爺ちゃんは「ウチのボロ屋の中に、当時の写真があるから、観て行ったらいいよ」と言って、家の中へ案内してくれました。

 お爺ちゃんの優しい雰囲気に癒されながら家の中に入ってみると、な、なんとっ、家の壁には鍬や鎌に混ざって“本物の槍”が飾ってありました。

 小路は小声で私に「おい、あの槍に付いてるフサ、あれは本物の牛の尻尾の毛だぞ、今じゃみんな化学繊維の表演用の派手なフサばかりだ、あれは本物の武器だ」と言っていました。

 お爺ちゃんは、当時の貴重な写真を観せてくれると「今でもその武術館が残っているから案内してあげよう」と言って、私達を武術館の館長さんのご自宅に案内してくれました。

 館長さんの家は、さすがに大きく近代的でした。小路と館長さんは当時の状況について話し込んでいましたが、私は相変わらずニコニコしているお爺ちゃんの様子を見て、癒されていました。

 館長さんが武術館に案内して下さると言うので皆で行ってみると、これまた本物の刀や剣が、まるで農機具の様にゴロゴロと立て掛けてありました。

 小路は目的を殆ど果たした様で、あとはト老師の学んだ八卦掌が、実際どの様な動きであったのかを見たかったらしく、館長さんに「演武を拝見させて頂く事は可能でしょうか?」と、お願いをしていました。館長さんは「自分は当時子供だったので、あまり憶えていないから、先輩なら詳しい動きを憶えているから・・・」と言って、お爺ちゃんに演武を頼んだのです。

『馬坂村』のお爺ちゃん
 (お、お爺ちゃん、90歳を超えているのに、大丈夫かなぁ)

 と、余計な心配を私はしたのですが、遠慮がちに八卦掌の演武を始めたお爺ちゃんは、じわじわとオーラを放ち始め、寸分たがわぬ正確さで八卦掌の技を繰り広げていったのです。

 (おおおっ!凄い、お爺ちゃん、格好いい!)

 中国は広いです。

 『馬坂村』は河南省でも殆ど知る人がいない、小さな小さな村なのです。そして、そんな小さな村で、質素に一人暮らしをしているお爺ちゃんが、「私はただ練習するのが好きだから、毎日かかさず取り組んでいるだけだよ」と言って、深い功夫と境地を持っているのです。

(人間って、なんて偉大なんだ!)

 興奮した私は、演武を終えたお爺ちゃんの姿に見入っていると、なななななんとっ!館長さんがお爺ちゃんを相手に『散手』(自由組み手)を始めたのです。

『馬坂村』のお爺ちゃんと館長さんの散手

 そしてお爺ちゃんは、もう50歳は過ぎている館長さんを、まるでやんちゃな男の子でもなだめる様に、ヒラリ、ヒラリと身をかわして技を決めていったのです・・・

 お爺ちゃんの動きは「習った事を憶えている」、というよりも「体が自然に反応している」という様な自然な動きで、私は素直に大感動をしました。

 ちょっと“はしゃいで”しまって、照れたご様子の館長さんが、「そこの女の子、君は何の武術を学んでいるんだい、我々にもちょっと観せてもらえないかな?」と言うので、小路の顔をチラリと覗うと(ここは受けるべきだ)という顔をしていたので、私は未熟ながら、陳式太極拳をちょっとだけ演武させて頂きました。

『馬坂村』で陳式太極拳を演武
 「うん、腰が緩んでいて、なかなか良いじゃないか、頑張ってしっかり精進しなさい!」という館長さんからの有り難いお言葉を頂いた私は、なんだか恥ずかしくて、モジモジしてしまいました。

 寒いし、着ぶくれしてるし、カルチャーショックで、頭が「ポーっ」としていたので、なんだか急に自分が小さな子供に戻ったような気分になったのです。

 とにかく、目的を果たした小路は大満足で、私も高名無き隠居者の凄腕お爺ちゃんに会えた感動で胸が一杯で、『日帰りト氏八卦掌ルーツを辿る旅』は無事終了し、記念に皆で写真を一枚撮りました。

『馬坂村』にて記念写真
 (『馬坂村』にて記念写真、右から館長さん、お爺ちゃん、小路、私)


 そしてお礼を述べて帰ろうとしていた私達に、お爺ちゃんは「ちょっと待ってて、持ってくるものがあるから」と言って、颯爽と自転車で行ってしまいました。


 小路は、自転車を乗りこなすお爺ちゃんの姿を見て、「嗚呼、現代の人々が長生きをする為には、本当にこうやって毎日練習することが必要だ!」と言って、歓声を上げていました。

 暫くして、また颯爽と自転車に乗って戻ってきたお爺ちゃんは、どこかの商店で買ってきた沢山の“お菓子”を大きな袋で2袋も持ってきてくれました。

 きっと、大切な貯金のお金で、遠方より訪れた私達の苦労を労ってくれようとしたのです。

 小路は「大先輩、そんな気遣いは無用です、お邪魔したのはこちらの方なのですから、これは持って帰ってご自身で召し上がってください」と何度も丁重にお断りしたのですが、お爺ちゃんはどうしても渡そうとしてくれて、渡したり渡し返されたりの繰り返しでした。

 これも中国の習慣の一つです。私はただ見ている事しかできませんでしたが、中国人の情の厚さをひしひしと感じました。

 なんとかお爺ちゃんの好意を「受け取らない」という礼節で収めた私たちは、改めてお礼を述べると、日没前に長距離バスを乗り継いで、河南省鄭州市へ戻りました。

 この日をきっかけに、私がずっと違和感を感じていた“何か”の正体が少しずつ明らかになってきました。

 それは系統性でした。

 つまり、ト文徳老師の八卦掌は、ト文徳老師の学んできた武術の集大成なのです。それは八卦掌以外の功夫も含まれいてる、という事です。

 小路は『ト氏 八卦掌』のルーツを見つける事ができて満足していました。小路にとって、ト文徳老師は探し求めた末に、やっと出会えた師だったからです。

 しかし、私は違いました。私は自分が願い求めた縁とは違う縁(日本の師匠の紹介)で、ト文徳老師に出会えたのです。

 それは“兆し”であり、その縁にずっと甘んじていては“己の歩むべき本道”は見つからないのです。

 北京の馮志強老師の武館を去った理由。

 ト文徳老師の八卦掌を学んでいる時の、自分の体の違和感。

 陳正雷老師の太極拳館で学んでいる時の、見い出せない方向性。

 色々な不協和音が、少しずつ私の中に自覚として現れ始めました。超一流の素晴らしい老師方に学ぶ機会を得ていながら、あまりにも自分が盲目的である事に気づき始めたのです。

 “縁”、全ては縁がなければ出会えません。

 しかし、どのような縁を求めているのか、それは自分自身で必死に考えなければ、光陰の如く速やかに流れ行く日常の中に見失ってしまいます。

 私には、いつ目にしたのか憶えていませんでしたが、ある確かな八卦掌の動きに対する“イメージ”がありました。

 『龍』のような八卦掌・・・

 それが自分が求めている動きではないだろうか。いつしか、そう強く信じるようになっていました。

 しかし、当時の私には、何処へ行く事もできませんでした。

 期は、まだ私を河南省に留め、多くの事を学ぶよう試練を用意していたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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