日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

陳式太極拳「老架二路」

 2007年1月14日、私は中国河南省の自宅で31歳になりました。

 そして私は既に気づいていました、私にはト文徳老師の八卦掌を習得する事はできない・・・、と。

 ト文徳老師は、天才です。

 河南省という武術の盛んな土地に生まれ、幼い頃から体も強く、武術家の素質にも十分に恵まれ、そして色々な老師方に師事し、その天才的直感と超人的体力で、武功を高められた方です。また“牛”と例えられるほど純粋な努力家でもあり、そして武術界という形式的な枠にも囚われず、興味があれば『重量挙げ』の大会などにも出場し、プロの選手を抑えて優勝してしまうほどの“器の大きな”人物だったのです。

 しかし、それも私が知り得る“ト文徳老師”という人格と武功の一部分に過ぎません。一体、ト老師のその生涯の歴史の厚さは、果たしてその全貌は、どれ程のストーリーと、流した汗と、そしてト老師が出会った数限りない武術家たちとの切磋琢磨があったのか?

 それは、到底私などが想像できるものではありません。

 中国には、「女性の心というものは、海に落とした針のように探ることが難しい」という諺がありますが、当時の私は、「ト文徳老師の武功は、宇宙の果てを想像するよりも難しい」という諺を勝手に作ってしまうほど、学びは暗礁に乗り上げていました。

 晩年の成熟した師に教えを請うには、それ相当の功夫がなければ学べなません。私には、今自分の目の前で、心を尽くし指導をして下さっている、ト老師の“言わんとするところ”、つまりト老師の武功の核心となる“それ”を理解することが出来なかったのです。

 私は朝から晩まで考え続けました。ト文徳老師に対して申し訳ない気持ちと、これからの自分の方向性について、練習をしている時以外は、ずっと考えていました。

烩面  ト老師のご自宅の前には、老舗の河南省名物である『烩面館』がありました。烩面(ホイ・ミィエン)とは、羊スープの中に“きしめん”のような麺と、春雨と、麺状に切った硬い湯葉と、羊肉と、香菜(パクチー)が入ったものです。

 食べながら、そして食べ終わってからも、私はずっと考えていました。

 中国に来て、一つだけ助かった事があります。それは「完璧主義者」という自分の性格が、中国では認められる、という事です。

 日本では“完璧主義”という言葉は、一般的に否定的なニュアンスで使われる事が多いですが、中国では「愛完美」といって、完璧を愛し追求する事は、積極的で良い態度であると評価されるのです。

 ト老師など、それはもう典型的な「超・完璧主義者」です。それに比べたら私の“完璧主義指数”はまだまだ低いと感じる事ができ、私は思う存分「完璧主義者」な自分を肯定する事ができました。  そう、私は日本で散々「君は完璧主義だからいけないんだよ、もっと妥協する事を覚えなければ、社会では生きていけないよ」と言われ続け、文字通り生きていけなくなったのです。  中国では、思いっきり完璧主義者でいけました。  完璧主義、ゴー!ゴー!です。  私は何度も日本の太極拳の師匠に国際電話を掛け、同じ質問を繰り返しました。  「私の今までの経験と、31歳という肉体的条件では、ト文徳老師の八卦掌を学ぶことは不可能です。しかし私には学びたい八卦掌の具体的な動きのイメージがあります。どうか他の師を探すことを許しては下さいませんでしょうか?」  しかし、日本の太極拳の師匠の答えは、いつも同じでした。  「確かに、90歳になられた現在のト文徳老師に、今の春光さんが技や理論を学ぶ事は困難かもしれない。しかし“本物の武術家”の眼、呼吸、風格、これを見ておく事は、今後の春光さんの将来に大きな影響をもたらします。本物の武術家が放つ最後の光を見る事ができる・・・、その期に恵まれた春光さんは強運です」  私は(もうそれは十分見ました!何も学べないのが苦しいのです!)と幾度か叫び出しそうになりましたが、結局は素直に聞きました。自分がまだまだ未熟である事は解っていましたし、『志』を成し遂げる為に必要な“縁”というものは、本当にその志が熟した時でないと回りださないことを嫌と言うほど経験していたからです。  しかし、準備は怠りませんでした。私は暇を見つけては、鄭州市で一番大きな書店へ赴き“八卦掌”と名のつくVCDを買い漁り(一枚200円くらいなので)、また太極拳館で生徒さんにマニアックな武術専門VCD店などの情報を聞きつけると、噛み付いた様にしつこく付きまとって連れて行って貰ったりしながら、とにかく八卦掌の映像を集めまくりました。  インターネットには頼りたくありませんでした。ウェブの仕事をしている時に受けたストレスに対するアレルギーが、まだ消えていなかったからです。  一方、太極拳の練習にも変化が起こり始めました。  太極拳館の教練陣は、一定期間ごとに入れ替わります。ちょうど私が“毎日朝から晩まで考え続けて”行き詰っていた頃、地方から張喜群という名前の教練が訪れ、私が受講可能だった夜の枠で『陳式太極拳・老架二路』の班を開講し、この練習内容が当時の私にピッタリ合致していたのです。  私は、それまで太極拳は『老架一路』と『単剣』に絞って練習に取り組んでいました。『新架一路』と『新架二路』も少し授業を受けてみましたが、自分には『老架一路』で十分だと感じたのです。  私は全ての太極拳のルーツである『老架一路』が好きでした。  大きく雄大で、伸び伸びとした風格が、私の心と体を強くしてくれたからです。  『単剣』は体力的には辛かったですが、その無骨で飾り気の無い動きが、私に(これをやらなければ、剣がただ美しいだけの舞いになってしまう)という危惧感を与えた事と、なぜか自分の評価に反して、大会で良い成績を挙げる事ができたので、外せませんでした。  『老架二路』は激しい動きが多いので、自分には無理だと思っていました。しかし演武を観るのは大好きでした。男らしくて、力強くて、威風堂堂とした『老架二路』の風格は、見ているだけで心が元気になるからです。  最初は(型だけでも真似してみようかな?)という気持ちで受け始めた張喜群教練の『老架二路』の授業でしたが、“ぼくとつ”とした人柄の張教練の指導法は、無駄がなく、実に『老架二路』の風格を良く表現して下さり、私は知らず知らずの間に『老架二路』に夢中になっていました。  毎晩、夜になったら太極拳館に出向き、ひ弱ながらも『老架二路』に打ち込みました。  しかし張教練は、私を一度も“ひ弱”だとは言いませんでした。むしろ「やれば出来る!」と言って、真剣に指導して下さいました。  月が替わり、新しい生徒さんが入ってくると、「横山と、あと数名は、隅で老架二路の自主練をしていなさい」と言って、新しい生徒さん達への指導が終わると、私達の動きを見て、細かい指導をして下さいました。  「ドッカン!ドッカン!」という豪快な『老架二路』の動きでしたが、疲れるというより、雑念が吹っ飛んで、気分爽快でした。  なんだか、もう何も考えずに、とにかく思いっきり飛んだり跳ねたり拳を打ち出したりしていました。  そのうち、仲間ができました。  気がつくと、私を合わせて5名ほどでしたが、毎晩同じ顔ぶれのメンバーで『老架二路』を練習していました。  ・・・、仲間ができたのです。  でも私は知っていました、仲間とは、ずっと一緒にいられる訳ではないことを。  太極拳館の教練には「本館を発展させる為に、各地に派遣される」という任務がありましたし、生徒さんも一定期間を過ぎると太極拳館を去っていきます。私は2年目にして既に“老学生”(古い学生)だったのです。

マントウ(馒头)と炒菜  しかし、だからどうする訳でもありません、ただその時を、一生懸命に打ち込むだけです。

 私は、食欲旺盛になり、大好物のマントウ(馒头)と、ビタミンたっぷりの野菜料理(炒菜)を自炊し、元気一杯つかの間の仲間との充実した太極拳の時間を楽しみました。

 (中国北部の主食は米ではなく小麦です。私はどうやら毎日米を食べなくても平気なようで、特にマントウは私の体質に合っていました。熱々のマントウと、生姜や葱で香りをつけて炒めた野菜は、質素でしたが最高に美味しかったです)

 張喜群教練は、間違いなく素晴らしい教練でした。彼を慕って学んでいた生徒さん達も、誰一人私を“日本人”だとか“ひ弱”だとか、特別な目で見ませんでした。

 張喜群教練の『老架二路』班では、出来るとか、出来ないとか、そういう概念が存在せず、ただ純粋に学ぶ楽しさと、動く喜びがあったのです。

 私は思う存分に練習をしました。

 楽しいひと時でした。

 そして3ヵ月が過ぎると、張喜群教練も、仲間も、去りました。

 別れは、もう慣れていました。

 仲間内だけで張喜群教練の送別会をしましたが、私は少しだけ泣いて、そして張教練に「なに泣いてるんだ、泣くエネルギーがあったら、今すぐここで『老架二路』を練習しろ!」と叱られ、仲間は笑い、私も笑いました。

 同じ道を歩んでいるから、心から泣き、心から笑い合えるのだと思います。

 達人になれずとも、高名を得られずとも、平凡な人生しか送れずとも、孤独にはなりたくないと思いました。

 寂しさが私の行動の原動力だったとしても、孤独にはなりたくないと思いました。

 ある一つのイメージ、ある動きのイメージ。

 それに出会う事ができれば、自分は孤独ではなくなるのではないか?

 その“動き”に、私は太極拳や八卦掌という名前をつけたくありませんでした。

 きっと、生命が、生命本来の動きを求める、そういう至極シンプルな衝動ではないのか?そんな気がしたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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