日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

 2007年6月、私は壺を頂きました。

 誰に?

 鄭州武術協会と、河南電視台(テレビ局)武術世界頻道からです。

 なぜ?

 河南省で行われた、外国人を対象とした武術大会で優勝したからです。

 しかし、我々優勝選手は、ありがたい河南省の名品である磁器製の壺を抱き、呆然としていました。

 「メダル・・・、メダルは?メダルは貰えないの?壺なんて飛行機に持ち込むの面倒だよ!」

 と、皆が困惑していました。

壺

 私は2種目で優勝したので、細長い壺と、丸い壺と、2個も『壺』を頂きました。

 エアコン設備のない会場は、室温が40度を超えており、巨大な扇風機が轟々と音を立てて熱風をかき回している中、「もしかして、閉幕式の最後にメダルの授与があるんじゃないの!?」と、誰かが声を上げていましたが、彼らの淡い期待も虚しく、でっかい箱に納められた壺のみを渡され、武術大会は終了してしまいました。

 地元の選手なら、壺を頂いても嬉しいかもしれません。しかし外国人を対象とした武術大会のなのです。殆どの選手が大会が終われば自分の国に飛行機に乗って帰るのです。

 壺は・・・、あまりにも“かさばり”ました。

『河南省鄭州市境外運動員武術交流賽』授賞式の場面  しかしその時の私は、メダルも壺も、どうでもよい状況でした。大会前から39度近い熱を出していて、演武中に右ふくらはぎを痛め、立っているのもやっとだったのです。

 正直、疲れ果てていました。前日まで点滴を打ちながら大会に臨んだのです。

 付き添いで来てくれていた、ト文徳老師のお孫さんである云龍(ユン ロン)が、「壺はとりあえず俺が爺ちゃん家に持って帰ってやるから、おまえはタクシーで直帰して休め、また悪化したら電話しろ、点滴を打つから」と言うので、私はヨロヨロとタクシーに乗り込み、運転手さんに自宅の住所を告げると、気絶しそうになる意識を何とか気合で持ち直し、自宅の団地前でタクシーを降りると、エレベーターの無い建物の5階にある自分の部屋まで、階段をフラフラと這い上がり、視点が定まらず鍵穴が3重に見える所にやっと鍵を挿し込み、部屋に入るとそのまま倒れてしまいました。

丁亥年黄帝故里拜祖大典
 なぜ高熱を出したのかと言うと、この大会の一ヶ月前に、太極拳館の依頼で『丁亥年黄帝故里拜祖大典』という式典の表演団に参加する事になり、連日早朝からバスに乗り、黄河近くのイベント会場まで出向し、朝霧で体の芯まで冷えた後に、真昼のうだるような猛暑の中で隊列を組むという、予想していなかった状況に追い込まれ、おまけにイベント当日、疲労から『転身双擺蓮』という蹴り技で、右太腿の裏を損傷してしまったのです。
(左上写真は、右太腿損傷の後
      逃げ場のない状況下での一枚)


 この怪我と疲労が元となり、その後の酷暑で徐々に体調が悪化し、気合で乗り切ろうと無理な練習を続けた結果、原因不明の高熱に見舞われる事になりました。

 だったら武術大会への出場を取りやめれば良かったのですが、私はその年の8月に、念願であった『中国焦作国際太極拳交流大賽』、簡単に言うと「陳式太極拳愛好者なら、必ず一度は出場してみたい!」と思う陳式太極拳の本場の地で行われる太極拳大会に出場しようと目標を立てていたので、事前に小さな武術大会に出場して“大会慣れ”しておきたかったのです。

 退く勇気の無かった私は、体に無理をして本意ではなかった武術大会に出場し、その後3日間入院しました。

大会後に点滴を受けた診療所  「助けて、死にそう・・・」という私からの電話を受けた云龍と彼の恋人が、私のアパートまで駆けつけてくれ、ト老師が住まわれている団地内の診療所まで運んでくれました。

 そこは、とてもとても質素な診療所で、医療設備など殆ど見当たらず、高熱の中、おそれおののいた私は、「云龍、近くの大きな病院に連れていって・・・」と呻くと、「なに言ってんだよ、大きな病院は散々待たされた挙句に、ここの5倍の診察料を取られるんだぞ、点滴なんて大病院も小さな診療所も同じなんだよ、俺は小さい頃からこの診療所の先生に治して貰ってるんだから、信用して大人しく点滴打たれてろ!」

 そう言われたので、私は“まな板の上の鯉”を覚悟し、ト老師一家の“かかりつけ医”であるという健康そうな女医さんが、アンティークと言うより、只とてつもなく年季の入った古い引出しから点滴用の針を取り出し、私の腕に刺すのを虚ろな眼差しで見届けると、急に安堵感がこみ上げ、そのまま気絶してしまいました。

 気がつくと、云龍が診療所の空いたベッドに横になって、テレビを観ていました。

 私は「謝謝(ありがとう)」と声を掛けようと思いましたが、喉に力が入らず、またそのまま眠ってしまいました。

 次に眼を覚ますと、云龍の恋人が晩御飯を作って持ってきてくれていました。私の体を考えてくれた食べやすい薄味の野菜料理で、「あ、ありがど~、う~」と泣きべそをかいて2人にお礼を言うと、「泣くな!がー、見っとも無い、夜市で売られてるハムスターより弱そうだ!」と云龍に言われ、既に何を言われても平気になっていた私は、実はシャイな云龍と彼の恋人に、何度も何度も「ありがど~(正確に言うと搾り出したような声で、謝謝~!謝謝~!)」を連発していると、恋人は照れて退散してしまい、逃げる機を逸した云龍は、女医さんを呼んで「あと何日で治る?」と話を逸らしていました。

 中国では近しい間柄では「謝謝」や「再見」という言葉は使いません。仰々しい感じがするので嫌がられます。私はそれを知っていてわざと「謝謝」を連発して、云龍たちを困らせてみたのです。いつも冗談口調の云龍たちには、かえってその方が気持ちが伝わると思ったからです。

 その頃、私は既に「必要であれば中国人を装い」、また「都合がよければ外国人の特権を使って茶目っ気を出してみる」、という程にまで中国の生活に慣れていました。

 数日後、なんとか一人で生活できるまで回復した私は、ト文徳老師のお宅に置かせて貰っていた、例の『壺』を2個担いで自宅に持って帰ると、暫く置き場所を探し、自宅の様子が武術関係の資料と書籍と、あとは大量のVCDで埋まり尽くしている事に気がつきました。

 私には、コレクターの趣味はありません。

(なんだ!この部屋は!)

 熱を出しきって冷静になったのか、自分の部屋の有様を見て、鬼気迫るものを感じました。

 思い起こしてみると、半年以上の間、私は毎晩練習が終わると、家に帰って寝るまでの間、それらの資料やVCDを食い入るように観ていたのです。

 そして、落ち着いてもう一度、窓辺に2m以上に及ぶ長さで“ずらっと”並べてあった大量のVCD群を眺めてみると、最近観ていた映像は、既にかなり絞られている事に気がつきました。

 「!」

(そうだ、あの老師だ!)

 私は突然、ずっと心のどこかに引っかかっていた“何か”が鮮明になった様な気がしました。

 とりあえず、壺は食卓の上に置いたまま、テレビとDVDプレーヤーの電源を入れると、『八卦功夫』というVCDを再生しました。

 ・・・

(この方だ、この老師の動きだ、これが私の求める八卦掌の動きだ)

 『八卦功夫』というタイトルのVCDに収録されていた、中国武術協会規定の八卦掌の套路や、各流派の伝統八卦掌・器械(武器)の演武の中から、やっと一人の老師を発見しました。

 そして、繰り返しその老師の演武を観ていると、数ヶ月前に買って来て2~3回しか観ていなかった八卦掌の教材VCDシリーズを思い出し、急いでその一枚を再生してみると、正に『八卦功夫』のVCDの中で見つけた老師のものだったのです。

 老師の名は・・・、麻林城(マー リンチェン)老師。

 瞬間!大きく大きく膨らんだ期待と、そして同時に(見つかったからといって、この老師に指導をして頂けるとは限らない。一般の学生を受けて入れて下さるのだろうか?そして中国は果てしなく広い。もし麻林城老師が河南省から遠く離れた所に住んでおられた場合、私はこの河南省と陳式太極拳と、そして沢山の思い出を全部捨てて、行った事も無い土地へ、一人で赴けるのだろうか?)

 いつも即断即決の私が、その時ばかりは決断を下せませんでした。

 しかしそれは中国へ渡り、初めて100%純粋な自分自身の意思で「この老師に学びたい!」と思った瞬間だったのです。

 私は「100%」に拘っていました。99.9%では駄目なのです。それでは何の為に全てを投げ打って中国に来たかわからないのです。だからそれまでは、どの老師について学んでいても、ずっと一般学生の身分をわきまえて学んでいました。残りの人生、あと自分に残された命の時間とエネルギーの全てを懸けて学びたいという師を見つけるまで、周囲に何を言われようが、絶対にそれだけは守り続けていました。

 自分が思っていた以上に河南省と太極拳に対しての愛着があり、それが即断を下せない理由になっている事に少し狼狽しましたが、暫くして心が静まると、そうではない事に気がつきました。河南省や太極拳から離れがたい、という感情は本意を隠しているダミーのような保護膜で、実際には、「これ以上の老師は考えられない」という麻林城老師との“縁が結ばれない事への恐怖心”が、私の決断を妨げていたのです。

 単身で中国に渡り、死ぬ思いで見つけ出した「100%」に正面から向かい合った時、私の心は恐怖に震えたのです。

 しかし私は行動を起こしました。まずは麻林城老師が映っているVCD以外は、すべて押入れに仕舞い込みました。もう、どの老師が自分の探すべき師なのか、答えが出たからです。そして空いたスペースに、とりあえず壺を置きました。

 “かさばる”以外、何のメリットもないと思っていた壺でしたが、置き場所を捻出する為に、思わぬ頭の整理をしてくれました。

 次に私は、最終的に麻林城老師との縁が繋がるかどうかを“看天意”(天に委ねる)こととして、まずは人事を尽くす為、当時殆ど情報を公開していなかった生粋の伝統武術家・麻林城老師の連絡先を探し始めたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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