日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

慢性脱水症状と白髪

 2007年7月、私は相変わらず極限状態にありました。

 集めるだけ集めた中国武術の資料VCDの中から、やっと見つけ出した“今生の師”と仰ぐ麻林城老師の連絡先は、その糸口すらまったく見つからず、私の乗った「中国伝統武術を学ぶ」為の小船は暗礁に乗り上げ、右にも左にも前にも後ろにも、どうにも動けない状態に陥り、7月の太陽と排気ガスが化学反応を起こして無防備な皮膚を刺す河南省の猛暑の下、毎日『太極拳館』での過酷な練習と、ト文徳老師にご指導頂く厳しい練功メニューを、ただ機械的に消化しているだけの日々を送っていました。

 そしてある日の午後、いつものように早朝6時前から始まる川辺でのト文徳老師監視下での厳しい朝練と、午前中の太極拳館での練習を終え、昼食を済ませ自宅のぼろアパートでお昼寝をしていると、午後の練習の為にセットしていた目覚ましが鳴り響きました。

 悪魔の呼び声の様なその音は、疲労困憊の私を束の間の気絶状態からゆっくりと現世へ引きずり戻し、重たい体に「動け」という指令を促すのです。

 その日は、特にひどい疲労感を感じていました。

 “気合い”だけは鍛え抜いていたので、正にその気合いだけでベッドから体を引き剥すと、顔に「ズルリ」という嫌な感触を覚えました。

 これは自分の皮膚が只ならぬ状態になっていると感じた私は、何週間かぶりに鏡を覗き込んでみると、頬はこけ、目は落ちくぼみ、典型的な脱水症状になっていました。その様は、ちょっと新鮮なミイラ的な風貌でもあり、顔の皮膚を引っ張ってみるとズルズルと弛んでいました。

 そして、私は幼い頃から頭髪の健康さだけは自慢だったのですが、生え際に白髪が十数本も生えていたのです。 ※2011年現在では、それらの白髪はキレイさっぱり消え失せました。

 (だめだ・・・、もう限界だ・・・)

 私はト文徳老師のお孫さんの云龍に電話を掛けると「体調が悪いから1ヶ月ほど休む!」と言い放ち、そのままベッドの上に倒れ臥し、気が済むまで寝ました。

 もう何もかもが嫌になってしまいました。

 寝ても醒めても「下功夫!下功夫!抓緊時間、下功夫!」(練習!練習!ひと時の時間を惜しむように精進しなさい!)と言われ続け、追い回される鶏のように駆けずり回り、身も心もクタクタでした。

中国河南省の屋台で  暫く眠って目が覚めた私は太極拳館に向かい、いつも何だかんだと理由を言って断っていた事務所の人たちと食事会に行く事にし、アルコール度数3%の中国の軽いビールをガブガブと飲み、小龍蝦(ザリガニ)と叫花鶏(江南名物の鶏の丸焼き)をモグモグと食べ、「我真的恨累!」(私は本当に疲れた!)と連呼し、満腹になるとまた家に帰って、もはや宿敵と化した目覚まし時計を台所の冷蔵庫の上に放り投げて、再び気が済むまで眠りました。

 しかし、眠りに就きながら私が考えていた事は、「私の練習方法は間違っている」という事でした。

 と言っても、打開策が無いのです。

 麻林城老師の連絡先は見つからず、太極拳館では一進一退の練功を繰り返し、ト文徳老師の指導には体が耐えられず、ただ消耗するだけの日々を積み重ね、自分を責め、練習方法を疑い、心の中が滅茶苦茶になっていたのです。

 翌朝ベッドの上で目覚めた私は、他にやることが無いので、また太極拳館に行く事にしました。とにかくト文徳老師の練習は1ヶ月の休暇を取ったのです。

 まだ完全に疲労が回復していない朦朧とした精神状態で、新館と老館に分かれている『陳家溝太極拳館』の新館のあるビルのエレベーターに乗ると、私の指は無意識に太極拳館のある『7階』を避け、ヨガ・センターのある『9階』を押していました。

 完全に無意識でした。思考するエネルギーですら消耗し切っていたのです。

 そしてエレベーターのドアが『9階』で開くと、そこは・・・

 ホワワワ~ン

 癒しの世界でした。

 優しい声の綺麗な受付の女性、ヨガの本場インドから来られている、深い瞳を持つインド人のヨガの先生、魂に流れ込むインドの音楽。私はそのヨガ・センターに吸い込まれるように受講の手続きを済ませると、翌日から3日間、受講準備レッスンを受ける事になりました。

 そして初日、中国人の初級ヨガ・インストラクターと一緒に瞑想をはじめた瞬間、私は愕然としました。

 それは、鏡に映った自分の坐相が、私よりも体の大きな中国人のインストラクターと比べて、とても大きかったからです。

 とっさに、

(嫌だっ!八卦掌や太極拳を諦めたくない!)

 という気持ちと、

(やっと自分のいるべき処に辿り着けた、これで楽になれる)

 という相反する気持ちが、ほぼ同時に沸き起こりました。

 本当にヨガの道を歩むのであれば、そんな簡単で楽なものではない事はわかっていました。しかし、疲労困憊の私の心と体にとって、ヨガの動きと瞑想法は、あまりにも強烈な魅力を持っていました。

 気がつけば、私は連日ヨガ・センターに通い詰め、残りの時間は按摩院に通い、ボロボロになっていた頚椎と腰を按摩してもらい、太極拳館にすら週に数回程度しか顔を出さなくなっていました。

 心の奥では「麻林城老師の八卦掌」という一粒の光は消えていませんでしたが、あの2007年7月、私はヨガ・センターで99.9%の天国に浸っていたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

ページのトップへ戻る