日本中国伝統功夫研究会

私たちの会は八卦掌の鍛錬を通じ「天人合一」の境地を学ぶ会です

迷いと決心

 2007年8月下旬、中国焦作国際太極拳交流大賽への出場を果たした私は、自宅に帰るとソファーに横になり、銀色のメダルを眺めていました。

 (銀色も、なかなか綺麗なものだなぁ)

 日本で最初に通っていた太極拳教室(三浦方圓先生の敬心道場)の先輩である江崎さんという恩人からも、「楽してもらった金より、苦労して獲った銀のほうが、よっぽど重いっ!」というメッセージを頂き(私はとても良い先輩を持ったなぁ)と、しみじみ思いました。

 さて、これからどうしようか?

 麻林城老師には「8月以降に連絡して下さい」と仰って頂いていたのですが、よくよく考えてみると“8月以降”という事は、8月では早すぎるような気がしました。

 中国武術界の夏は、大会やイベントが目白押しです。きっと麻林城老師もまだお忙しいだろう。秋になって落ち着いてから、改めてご連絡を差し上げよう・・・

 焦って電話を掛けて、また断われてしまったら相当落ち込むであろう事は明白だったので、私はしばらく心身を整えるため、ヨガ・センターに通いながら、太極拳館へは行かず、公園で自分なりの工夫をした太極拳と気功の練習に取り組むことにしました。

 ところが、ヨガ・センターに通うようになると、私の心はまた迷い始めたのです。どう考えても、武術よりヨガの方が自分に合っているとしか思えないのです。

 インドの先生は母国語以外は英語しか話せません。日本で100万円ほど使って英会話学校に通ってもまったくマスターできなかった私が、必死に先生の言葉を理解したいという執念から、僅か1ヶ月ほどで簡単なコミュニケーションがとれる様になりました。

中国でインドの先生にヨガを学ぶ

 ある日、インドの先生はこうおっしゃって下さいました。

 「あなたは、もうポーズの練習を行ってはいけない。体は歳月と共に衰えていく、でも魂は歳月と共に成長していくことができる。ポーズの練習を止めて瞑想をしなさい」

 そしてまた、こうおっしゃって下さいました。

 「もしあなたが真理の世界に触れたとしても、それを言葉にして表現してはいけません。それは微笑と共に、祈りの歌と共に、世界を優しく振動させるのです」

 ヨガのポーズを禁じられた私は、素直に自宅で瞑想する事にしました。そして残りの時間は、公園で太極拳や剣や気功の練習をしました。

河南省鄭州市にある公園で剣の練習  9月と10月はあっという間に過ぎ去り、11月を迎え、それでも私は迷っていました。

 その間、インドの先生方と共に、ヨガのイベントにも出場しました。

 そして河南省の『河南商報』という新聞社の取材や、河南電視台(テレビ局)の取材も受けました。

 この頃、私の周りには様々な流れが渦巻いていました。

 日本から中国伝統武術を学びに来た横山春光というメディアのイメージ。麻林城老師の八卦掌という可能性。そして、ヨガの瞑想法による解放の世界。

 私はそれらの選択肢に恐ろしさすら感じるほど迷いに迷っていました。

 そんな私の迷いを打ち砕いてくれたのが、一匹の猫でした。

 その仔は典型的な食あたりによる末期の衰弱状態でした。中国の残飯は香辛料が多く含まれているので、それらを食べた野良猫はお腹を壊してしまうのです。私は何度も公園や街角で、極限の空腹状態から苦しそうに唐辛子が沢山入った残飯を食べる猫を見てきました。

 その姿があまりに痛ましく、私は偽善者の罪悪感を抱えながら、バッグにキャットフードを常備させていました。

 その仔はある日の夕方、私の住んでいたアパートの一階の住人が飼っていたブルドッグに吼えられ、私の胸に飛び込んで来ました。

 私が抱き上げると、その仔の下半身は汚物で湿っていました。

(このまま動物病院に連れて行っても、獣医さんに診てもらえないかもしれない)そう思った私は、その仔を家に連れて帰り、温かいお湯で下半身を拭いて、一番新しいバスタオルで小さなベッドを作ってあげると、仔猫用のキャットフードを買いに走りました。

 その仔は黄色い小柄な体をしていて、私が家に戻った時には、安心したようにバスタオルの中で眠っていました。

 私が指でキャットフードを口元に運ぶと、少しだけ口を開けてくれたので、そっと口の中に入れてあげると、一生懸命に呑みこんでくれました。

 私はきっと助かると信じていたのです。すでに夜の8時を過ぎていたので、翌朝動物病院に連れて行って点滴を打ってもらえば、回復すると思っていたのです。

 しかし、明け方その仔の姿を見た私は、自分を殴りつけたくなりました。その仔の背骨は硬く反りはじめていて、口の中は氷のように冷たくなっていました。

(手遅れになってしまった、私の甘い考えでこの仔を死なせてしまう)私は半狂乱のようになり、その仔をバスタオルごと抱くと、タクシーに乗り動物病院に行きました。タクシーの中で何度も何度も「生きて!死なないで!」と話しかけました。動物病院の受付に着くと「お願いです!すぐに手当てをしてあげてください!私が悪いんです、昨日はまだ元気があったんです!」と叫ぶと、獣医さんが出てきて下さり、その仔の容態を見て、私に「ごめんね、この仔はもう手遅れだ、体温が無くなっている、もう命が無いんだよ」と言いました。

 私は「だってまだ呼吸があります、生きているんです!助けてください、お願いします、お願いします!」と言って泣きじゃくりました。

 「点滴、点滴を打ってください、私がお腹を壊して衰弱した時は、いつも病院の先生は点滴を打ってくれます、そうすれば回復します、お願いです、手当てをしてください!」

 獣医さんと動物病院のスタッフの方々が私を哀れんで、「僕たちは、この仔がいま楽になるように麻酔薬を打って安楽死させてあげる事しかできないんだ。君が望むなら、僕たちは最善の方法でこの仔を楽にしてあげたい」

 と言ってくれました。

 その仔の死を知った私は、それから一時間も病院の受付で大声で泣き続けました。

 病院の人たちは誰一人私を追い出そうとはしませんでした。

 「対不起、対不起、是我不好」

 ごめんね、ごめんね、その言葉しか出てきませんでした。最後の力を振り絞って私の胸に飛び込んで来てくれたのに、私の甘い考えから助けてあげられなかった。

 獣医さんがその仔を連れて病室の奥に入っていった後も、私は泣き続けました。その仔の柔らかい毛の感触が悲しくて悲しくて、もう一度温かかったその仔の体を抱きたくて大声で泣きました。

 泣く力が尽きて放心状態になると、隣におばさんが座っていて、私の背を撫でてくれていました。

 「大丈夫?お家まで車で送ってあげるよ」と言って私をアパートまで送ってくれました。

 おばさんは心配だからと言って、私の携帯電話の番号を聞くと、やはり家に帰っても泣き続けていた私に電話をしてくれました。

 「大丈夫です、ありがとう」

 私はおばさんにそう答えると、一人でいるのがつらかったので、ヨガ・センターに向かいました。

 泣きすぎて腫れてしまい開かなくなった目をこじ開けて、ヨガ・センターの受付の女性に挨拶をして更衣室に入った時、(こんな風に楽になってはいけない!)と強い抵抗を感じました。

 私はもっともっと苦しんで、命と死に寄り添い、生きていかなくちゃいけない!

 私はヨガ・センターを出ると、自宅に戻り、携帯電話の電話帳から麻林城老師の電話番号を見つけると、電話を掛けました。

 「麻老師、我想学八卦掌」(麻老師、私は八卦掌を学びたいです)

 「好、可以、你来吧」(わかりました、それでは来なさい)

 私は幸せなど要らない、死んでゆく小さな命たちと寄り添い、命の意味を見出したい。

 麻林城老師の八卦掌には、命がある!

 全ての迷いを振り切り、私は麻林城老師の元へ行く決意をしたのです。

つづく

ニーハオ、北京!

一度目の帰国

再び北京へ

二度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

三度目の帰国

太極拳発祥の地 -河南省-

八卦掌への道

八度目の帰国

八卦掌への道(中盤)

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