陳式太極拳

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歴史

陳式太極拳の歴史「陳王廷の像」
太極拳の発祥地、河南省温県陳家溝にある「陳王廷の像」

太極拳は河南省温県の陳家溝を発祥地とし、その創始者は陳氏第9代目の陳王廷であるとされ、300年以上の歴史があると伝えられている。

陳式太極拳の起源は、その祖先である陳卜にまで遡ることができる。

研究によると、陳卜はもともと山西澤州郡(現在の今晋城市)の出身で、後に山西洪桐県に移住した。その後、明朝洪武5年(西暦 1374 年)になると、河南懐慶府(現在の沁陽市)に移った。

陳卜は忠実な人柄で武術の腕も高く、人々に深く尊敬されていたため、陳卜の住んでいた場所は「陳卜庄」と呼ばれ、現在まで至る。

当時の「陳卜庄」の地形は比較的低く、頻繁に洪水に見舞われていたため、陳卜一家は再び十里離れた常楊村に移り住んだ。村の中に南北に走る深い溝があったため、後に陳家溝と呼ばれるようになった。

陳卜は陳家溝に定住した後、土地を耕し作物を植え裕福になった。その後陳家は6代目まで繫栄し、7代目で分家するようになった。

家を守り地域の治安を維持する目的で、武術社を設立し伝承活動を始めた(諸説あり)

1711年、陳氏第10代「陳庚」は、陳卜の石碑を建立し、その歴史を記録し始めた。

300年の年月の中で、その詳細の多くは歴史の中に消えてしまったため、陳氏第9世 陳王廷まで遡るしかない。

陳王廷は別名「奏庭」と呼ばれ、明末から清朝初期の人物で文武両道であり、河南省および山東省の人々から広く尊敬されていた。

晩年に引退した後、家系に受け継がれた拳法にその他の流派の技術を組み合わせ、陰陽論や中医経絡学、道家の導引や吐納養生術を取り入れ、太極陰陽論、剛柔相済を備えた太極拳を創造した。

創始者の名が陳であったため、この太極拳は陳氏太極拳と呼ばれ「五套太極拳」「炮捶一路」「双人推手」「長拳108式」「双人推手」、そして刀や槍、棒、剣などの武器法が含まれる。

時間の経過により、陳王廷の著書の多くは失われ、現在残っているのは「拳経総歌」「長短句」のみである。

この詩の前半にはこう書かれている。

「あの頃、強固な鎧と武器を身に付け、敵の勢力を一掃し、数々の危険を潜り抜けた日々は過ぎ去り、私は年老いた。手元に残ったのは『黄庭』一冊だけだ。忙しいときには畑を耕し、暇があれば拳を創造し、空いた時間は弟子や息子、孫に教える。龍となるもよし、虎となるもよし」

陳王廷の出現以降、陳家溝の村人たちは広く太極拳を修め、この伝統は老若男女問わず代々受け継がれてきた。

今でも言い伝えれていることわざに「陳家溝を訪れたものは皆、功夫がつく」という言葉がある。

系譜

始祖 陳卜
第9世 陳王廷(陳氏太極拳 創始者)
第10世 陳所楽、陳汝信(陳氏太極拳第2代)
第11世 陳正如、陳恂如、陳申如、陳大鹏(陳氏太極拳第3代)
第12世 陳敬柏、陳継夏、陳善志(陳氏太極拳第4代)
第13世 陳公兆、陳秉奇、陳秉壬、陳秉旺(陳氏太極拳第5代)
第14世 陳長興、陳有恒、陳有本(陳氏太極拳第6代)
第15世 陳清萍、陳仲牲、陳耕耘(陳氏太極拳第7代)
第16世 陳垚、陳淼、陳鑫、陳焱、陳森、陳延熙(陳氏太極拳第8代)
第17世 陳発科(陳氏太極拳第9代)
第18世 陳昭丕、陳照奎、馮志強(陳式太極拳第10代)
第19世 陳小旺、陳正雷、朱天才、王西安(陳式太極拳第11代)

特徴

全ての太極拳の源流である陳式太極拳は、一路と二路と呼ばれる套路(型)から構成されている。
一路は柔を主とした雄大で大車輪のような円運動を特徴とし、柔の鍛錬を重ねて剛の力を生む。
二路は一路で培った剛柔の力を運用し、高速で力強い動作を多く含む。
全ての動作を「纏絲勁」(てんしけい)と呼ばれる螺旋運動で行うことが、他の武術には見られない最も特徴的な違いである。

練習方法

一、目標を明確にする

二、陳式太極拳の文化を学ぶ

三、健康維持の要点を理解する

四、適度に練習し正確さと成熟を目指す

五、よく考え改善し、正しい方法を求める

套路名称

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