陳式太極拳開祖
陳王廷(ちんおうてい)祖師
1600-1680年
字奏庭
祖父である陳思貴は、狄道県(現在の甘粛省の一部)典史(元朝によって設置され、明朝に続いて奉行の下にある下級官吏として設置された)で、盗賊を捕まえる中尉であった。
父である陳撫民は征士郎(勅令によって採用された学者のこと)を務めていた。
陳王廷は四人兄弟の次男であった。
乾隆19年(1754年)に書かれ、道光2年(1822年)に改訂された『陳氏家譜』は、陳王廷の名で「王廷、別名奏庭」と記されている。
晩年に引退した後、家系に受け継がれた拳法にその他の流派の技術を組み合わせ、陰陽論や中医経絡学、道家の導引や吐納養生術を取り入れ、太極陰陽論、剛柔相済を備えた太極拳を創造した。
創始者の名が陳であったため、この太極拳は陳氏太極拳と呼ばれ「五套太極拳」「炮捶一路」「双人推手」「長拳108式」「双人推手」、そして刀や槍、棒、剣などの武器法が含まれる。
時間の経過により、陳王廷の著書の多くは失われ、現在残っているのは「拳経総歌」「長短句」のみである。
この詩の前半にはこう書かれている。
「あの頃、強固な鎧と武器を身に付け、敵の勢力を一掃し、数々の危険を潜り抜けた日々は過ぎ去り、私は年老いた。手元に残ったのは『黄庭』一冊だけだ。忙しいときには畑を耕し、暇があれば拳を創造し、空いた時間は弟子や息子、孫に教える。龍となるもよし、虎となるもよし」
陳王廷の出現以降、陳家溝の村人たちは広く太極拳を修め、この伝統は老若男女問わず代々受け継がれてきた。