CHEN STYLE TAIJIQUAN

陳式太極拳

すべての太極拳は、
河南省の小さな村から始まった。

陳式太極拳は、河南省温県・陳家溝に伝わる太極拳の源流とされ、纏絲(てんし)と呼ばれる螺旋の力、放鬆、重心移動を大切に学ぶ伝統太極拳です。形を急いで覚えるのではなく、姿勢・呼吸・全身のつながりを一つずつ身体で確かめていきます。以下、その歴史と系譜、特徴と練習方法をまとめます。

太極拳の歴史

陳式太極拳の歴史「陳王廷の像」
太極拳の発祥地、河南省温県陳家溝にある「陳王廷の像」

世界中に普及し、愛好者人口は1億2千万人以上といわれる太極拳の起源は陳式太極拳と呼ばれ、河南省温県にある小さな村「陳家溝」(ちんかこう)を発祥地とする。創始者は陳氏九世の陳王廷であるとされ、約400年以上の歴史があると史書に記されている(2025年現在)

陳家の始祖 陳卜(ちん ぼく)

陳家溝の陳氏一族の歴史は、明の初めに山西から河南へ移り住んだ陳卜に始まる。陳卜は人徳と武術によって近隣の人々に敬われ、その集落は「陳卜庄」と呼ばれるようになった。後に水害を避けて常陽村へ移り、一族の暮らしの基礎を築いた。ここが、後の陳家溝である。村人たちを率いて山賊を討ち、村を守ったという逸話も伝えられている。

陳卜の生涯と、陳家溝に伝わる逸話を読む →

武学社と武術の伝承

陳卜は村に「武学社」を設け、子孫や門人に武術を伝えたとされる。農業に励みながら武術を修める営みは、一族の中で代々受け継がれていった。陳氏が繁栄し、家伝の武術でも知られるようになると、常陽村は陳氏の姓と村にある溝にちなみ、「陳家溝」と呼ばれるようになった。それから二百年以上を経て、陳氏第九世に陳王廷が現れる。

太極拳の誕生

陳王廷は家伝の拳術を土台に、各流派の武術を研究し、陰陽論や中医経絡学、道家の導引・吐納の考え方を取り入れて太極拳を創始したと伝えられている。剛と柔、内と外を調和させるこの拳術は、子孫や門人たちによって受け継がれ、後にさまざまな流派へと発展した。陳王廷は今日まで、太極拳の始祖として尊ばれている。

太極拳の開祖・陳王廷について読む →

陳式太極拳の系譜

陳氏の祖 陳卜
陳式太極拳 開祖(陳氏九世)陳王廷
第二代継承者(陳氏十世)陳所楽、陳汝信
第三代継承者(陳氏十一世)陳正如、陳恂如、陳申如、陳大鹏
第四代継承者(陳氏十二世)陳敬柏、陳継夏、陳善志
第五代継承者(陳氏十三世)陳公兆、陳秉奇、陳秉壬、陳秉旺
第六代継承者(陳氏十四世)陳長興、陳有恒、陳有本
第七代継承者(陳氏十五世)陳清萍、陳仲牲、陳耕耘
第八代継承者(陳氏十六世)陳垚、陳淼、陳鑫、陳焱、陳森、陳延熙
第九代継承者(陳氏十七世)陳発科
第十代継承者(陳氏十八世)陳照丕、陳照奎、馮志強
第十一代継承者(陳氏十九世)陳正雷、陳小旺、王西安、朱天才

開祖陳王廷陳式太極拳 開祖

陳王廷
陳式太極拳 開祖 陳王廷

1600-1680年
字奏庭

家系に受け継がれた拳法にその他の流派の技術を組み合わせ、陰陽論や中医経絡学、道家の導引や吐納養生術を取り入れ、太極陰陽論、剛柔相済を備えた太極拳を創造した。

陳王廷の出現以降、陳家溝の村人たちは広く太極拳を修め、この伝統は老若男女問わず代々受け継がれてきた。

陳王廷の祖父である陳思貴は、狄道県(現在の甘粛省の一部)典史(元朝によって設置され、明朝に続いて奉行の下にある下級官吏として設置された)で、盗賊を捕まえる中尉であった。

また、父である陳撫民は征士郎(勅令によって採用された学者のこと)を務めており、陳王廷は四人兄弟の次男であった。

第九代継承者陳発科陳氏十七世

陳式太極拳第九代継承者 陳発科
陳式太極拳第九代継承者 陳発科

1887年‐1957年
字福生、河南省温県陳家溝 生まれ。

幼い頃から父の陳延熙(陳式太極拳第八代)より家伝であった陳式太極拳を学んだ。深い功夫と高い技術の持ち主で、近代の陳式太極拳の代表的人物であり、太極拳の発展と普及に多大な貢献をした。北京国術館館長。
1928年、陳発科が初めて北京に渡った頃、北京国術館の副館長である許禹生、李剣華など、多くの武術家たちによる腕比べが行われたが、陳発科の功夫は比類なきものであった。この時のことを楊季子が詩として残している。

北京において約30年間に渡り陳式太極拳を伝承し、その武徳の高さから北京武術界より「拳術大師」「太極一人」と称され、記念品として銀の盾を授与され、分野の人々の注目を浴びた。

第十代継承者陳照丕陳氏十八世

陳式太極拳 第十代継承者(陳氏十八世)陳昭丕
陳式太極拳 第十代継承者 陳照丕

1893-1972年
字績甫、河南省温県陳家溝 生まれ。

解放後、全国武術協会の会員を務め、「全国太極拳名家」の称号を授与された。

1958年、陳式太極拳の伝承活動のため北京から故郷である陳家溝に帰った。

現在、陳家溝出身の有名な陳式太極拳の人材は皆、彼の弟子、あるいは彼の孫弟子である。

文化大革命中、太極拳を含む武術の練習は反乱運動や派閥活動として中傷され禁止されていた。陳照丕は殴られ町中を引き回されたが、80歳近くの老齢であっても屈せず、後に太極拳は毛沢東の『語録拳』に編集された。

第十代継承者陳照奎陳氏十八世

陳式太極拳 第十代継承者(陳氏十八世)陳昭奎
陳式太極拳 第十代継承者 陳照奎

1928年1月24日-1981年5月7日
陳発科の息子。

4歳で父親とともに北京に渡り、7歳で父親より陳式太極拳を学んだ。

陳式太極拳理論に精通し、擒拿(組み技)や技撃法に精通し、絶妙な攻防技を得意とする。

1960年代初頭、父親の遺産を伝承するために北京での仕事を辞め、上海体育宮に赴き太極拳を教えた。彼の卓越した武術は上海武術界に衝撃を与えた。

その後、上海や南京などで100以上の陳式太極拳教室を開講し、学生は数千人に及んだ。当時、上海と南京の新聞記事として大きく取り上げられた。

第十一代継承者陳正雷陳氏十九世

陳式太極拳第十一代継承者(陳氏十九世)陳正雷
陳式太極拳第十一代継承者 陳正雷

1949年5月17日
河南省温県陳家溝生まれ。
陳式太極拳「四天王」の一人

河南省武術協会副主席
河南省武術管理中心副主任
河南省太極健身培訓中心総教練
国家武術高級教練
中国武術協会委員
中国十大武術名師の一人
中国武術段位・九段(最高段位)
国家級無形文化遺産「太極拳(陳氏太極拳)」代表性伝承人

幼くして父を亡くし、母の再婚後は、父の正妻に育てられた。病を抱える育ての母を気遣いながら、貧しい暮らしを支えた。

8歳より太極拳を学ぶ。小学校を卒業したその年、陳式太極拳第十代継承者である陳照丕が引退し、陳家溝で太極拳を教えるために故郷に戻った。

陳式太極拳の特徴

全ての太極拳の源流

陳式太極拳の最も代表的な特徴は、現在世界中に普及している太極拳の源流であり、全ての流派の太極拳は陳式太極拳から派生したものである、ということである。

中国伝統思想と医学の体系化

河南省温県の陳家溝を発祥地とし、開祖である陳氏九世の陳王廷が代々伝えられてきた家伝の拳術に、古代導引術と吐納術、易経の陰陽理論と伝統中医学の経絡学を導入し創始された陳式太極拳は、身体を鍛えるだけではなく学習初期の段階からまず初めに内面を修めるという特徴を持つ。中国の歴史が作り上げた中国伝統思想と医学が説いた中庸(バランスの取れた最も良い状態)を直接人体で体現していく学習体系を持っている。

多様な円運動と豊富な型

陳式太極拳は全ての動作を「纏絲勁」(てんしけい)と呼ばれる螺旋運動で行うことが、他の武術には見られない特徴的な違いである。

功夫の基礎となる動作は一路と二路と呼ばれる套路(型)から構成されており、一路は柔を主とした雄大で大車輪のような円運動を特徴とし、柔の鍛錬を重ねて剛の力を生む。二路は一路で培った剛柔の力を運用し、高速で力強い動作を多く含む。

また多種多様な武器法や推手などの鍛錬方法があり、豊富な型を持っている。

史料と拳書が存在する

太極拳の全ての動作は人体生理学に即しているだけでなく、大自然の法則とも完全に一致している。また、第八代継承者(陳氏十六世)陳鑫が『陳氏太極拳図説』という書を残しており、後の継承者たちによって整理され確立された拳理と鍛錬方法は非常に完成度が高く優秀であり、拳書が残されていない多くの中国伝統武術の貴重な指南書となっている。

陳式から派生した流派

楊式太極拳

創始者 楊露禅(1799年-1872年)
河北省永年 生まれ
陳長興(陳式太極拳第六代継承者)に師事し、陳式太極拳を学んだ後、王府で改変した太極拳を教えた。その太極拳を息子である楊班侯と楊健侯が更に改変を加え、孫である楊澄甫が定型し、現在広く普及している楊式太極拳を完成させた。

武式太極拳

創始者 武禹襄(1812年-1880年)
河北省永年 生まれ
楊露禅に太極拳を学び、その後、陳清萍(陳式太極拳第七代継承者)より陳式太極拳を学んだ後、武式太極拳を創始した。

呉式太極拳

創始者 呉鑑泉(1870-1942年)
河北省大興県 生まれ
楊露禅と楊班侯より太極拳を学んだ呉全佑の息子である呉鑑泉が創始した。

孫式太極拳

創始者 孫禄堂(1860年12月22日-1933年12月16日)
河北省完県東任家瞳村 生まれ
郝為真(武式太極拳第三代継承者)より太極拳を学び、程廷華より八卦掌を学んだ。後に太極拳・八卦掌・形意拳を融合し、独特な開合動作と高い姿勢、巧みな歩法の特徴を持つ孫式太極拳を創始した。

普及・競技のための套路

簡化太極拳(制定拳)

1952年、毛沢東は体育の振興と国民の体力向上を呼びかける題辞を寄せた。こうした時代背景のもと、太極拳を広く学べるように教材の整備が進められた。普及のために編成された套路には、次のようなものがあり、それぞれ成立時期と構成が異なる。

簡化太極拳(二十四式)
1956年に中国の国家体育運動委員会が、楊式太極拳をもとに編成した。重複する動作などを整理し、初めて学ぶ人にも取り組みやすい套路として広く普及した。

四十八式太極拳
楊式を中心に複数流派の技法を取り入れ、1976年に編成された。1979年には教材が刊行されている。二十四式からさらに学びを深めるための套路として親しまれている。

八十八式太極拳
1950年代に楊式太極拳の大架をもとに整理された套路。まとまった構成の中で、楊式の動作や特徴を学ぶ教材として受け継がれている。

競技太極拳(競賽套路)

中国国家体育運動委員会と武術研究院の専門家たちにより、陳式、楊式、武式、呉式、孫式の 5 つの伝統太極拳流派の競技用套路を創編した。
陳式太極拳五十六式
楊式太極拳四十式
吴式太極拳四十五式
武式太極拳四十六式
孫式太極拳七十三式

練習方法

一、練理不練力(理を練って力を練らず)

「理」とは太極拳の道理であり原理のことである。太極拳で練るのは大道、すなわち太極の陰陽転換における「陽極まれば陰生じ、陰極まれば陽生ず」という原理である。

太極拳は剛の中に柔を宿し、柔の中に剛を宿し、剛柔が互いに調和している。虚が極まれば実を生じ、実が極まれば虚を生じ、虚実は転換する。精神を集中させ、意で気を導き、気で身を運び、意が至れば気が至り形が従うという練習を通じ、一つの動きが全体の動きとなり、全身が互いに従い、内外が合一する。練習の際は規律に従い、自然の流れに任せ、成果を急いではならない。

「力」を練るというのは気力を鍛えることを指すが、この種の練習は部分的な力を大きくするものの、その力は不器用で固く、しなやかさに欠け、太極拳家が好まないものである。

二、練本不練標(本を練って標を練らず)

「本」とは本源、根本を指し、すなわち「腎中の元気」と「下盤の功夫」のことである。

腎は元陰元陽を蔵し、先天の根本であり、気を発する源である。腎気が充足すれば五臓が養われ、肝、心、脾、肺、腎がそれぞれの働きを果たし、そのため精力が充実し、力は満ち、反応が敏捷となり、全身が協調する。内気が充実することが本源の一つである。

二つ目は、全身を放松させることを基礎とし、気を丹田に納め、湧泉に沈め、上盤が機敏で、中盤が活発で、下盤が安定し、地に根を下ろすことを指す。

「標」とは身体の各部位の力と硬さを鍛えることを主な目的とする部分的な練習方法を指す。太極拳は内功拳であり、内外ともに修練するが、内を練って元を培うことを主とし「根を培い源を潤す」「その根を培えば枝葉自ずと茂り、その源を潤せば流脈自ずと長ずる」のである。

三、練身不練招(身を練って技を練らず)

「身」を練るとは全体の功力を練ることであり「招」とは攻防の技の意味である。

太極拳を始めたばかりの人は、往々にして各技法の使い方を知ることに夢中になる。もし技の形だけから太極拳の用法や内容を解釈し理解しようとすれば、太極拳の真髄を得ることはできない。

太極拳の練習には、套路に熟達し、動作を正確にし、固さを取り除いて柔らかさを求める過程を経なければならず、それによって全身が呼応し、内外が一致し、内気が充実し満ち溢れ、功夫が身に付く。

太極拳は主に自身の全体的な功力を訓練するものであり、実際に相手と対峙する際には客観的な状況に応じて、己を捨てて相手に従い、臨機応変に反応し、一つの技や形にこだわることはない。

内気が充実すれば、全身はまるで気で満たされた球体のようになり、どこに触れてもすべてに反応し、どこに触れてもそこから打撃を繰り出せる。拳論が述べるように「完成の域に達すれば、敵がどのように来ようとも自然に対応でき、考えるまでもなく、おのずと方法が生まれる。」

套路名称