生い立ちを書きました

横山春光(幼少期)母親と一緒に
横山春光「幼少期」母親と一緒に

先週の1月14日に誕生日を迎え、いよいよ49歳になりました。自分でもよくこの年まで生きてこれたと感心する一方で、半世紀生きたということはそれなりに自分史ができたということでもあると気づきました。

そこで昨日、自身の「生い立ち」を書きました。

書いた理由としては二つあります。

一つ目は、私の性格かもしれませんが、人と接するときは等身大の自分で接したいという思いがあり、それは生徒さんに対しても同じなので、普通ならありえない長期間の中国武術歴や自分の独特の感性なんかを少しでも知ってもらえたらいいな、という思いです。

二つ目は、ありきたりかもしれませんが、今どこかで苦しい状況にあって、もうどうにもならないとギリギリの心境になってる人がいて、それでも何か希望はないかとインターネットを検索して、何かのキーワードでこのページを開いたときに「大丈夫、世界は思っているよりとても広くて、自分を好意的に迎えてくれる場所はある」と伝えられたらいいな、という思いで、これは中国から日本に帰国した2010年から変わっていません。

若い頃からずっと、あまり親しくない人に不用意にこういう話しをすると「重い」と言われてきましたが、さすがにもう慣れました。

過去にも自分史的なものを書こうとしたことがあるのですが、当時はまだまだ苦しみの中だったり、変化している真っ最中だったりで、うまく書けませんでした。

今回は(昨日書いたばかり)勢いで一気にダイジェストを書けたので、当会の田中代表にリーガルチェックとして読んでもらったところ「とてもいいです、ぜひ公開してください」と背中を押してくれたので、カミングアウトと言うと大袈裟ですが、いまこの勢いで公開しないとまた何年も二の足を踏んでしまうと思い決意しました。

柱の部分だけ一気に書いたので、これから少しずつ書き足していくと思います。

私の人生は母との関係で大きく左右されたと思います。

母は父からのDVに苦しんでいました。祖母に孫達の面倒は自分が見るからと離婚を勧められ、離婚したところ直後に祖母が他界したことで、人生が一気に追い詰められてしまいました。

その後、私と弟は普通に受けられたはずの保護と愛情を受けられず、大人になるために必要な心の成長がうまくできませんでした。

うまく成長できなくても時間が経てば社会に出て親の苦労は理解できます。

しかし私が経験したことは、心と体は自然由来のもので、人間が社会で生きていくためのマニュアルを無理やり頭にインプットしても、身体はその通りには動いてくれないということです。

私がどんなことがあっても(教室の大成功とか、大転落とか、大怪我とか、病気とか、自信喪失とか)それこそ50歳を前にしても、やっぱりどうしても学ぶことを止めることができない理由は、太極拳や八卦掌などの中国伝統武術が、私の心と体を自然な状態に戻してくれるからです。

この真実だけは、私の人生約50年かけて証明してきたことなので、皆さんに自信を持って伝えることができます。

太極拳が身体に良いことは、太極拳の存在を知っているかぎり世界中の誰でも知っていることだと思います。

あたりまえのことなのですが、やっとこの年齢になって真っ直ぐに言えるようになった気がします。

とりとめもありませんが、今日からブログはじめます。

私の経験が、中国武術愛好者や、これから興味を持つかもしれない人の何かの役に立てれば幸いです。

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)

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