私の学んだ太極拳

太極拳の源流「陳式太極拳」

世界中に普及し、愛好者人口は1億2千万人以上といわれる太極拳。その起源は「陳式太極拳」と呼ばれ、河南省温県の小さな村「陳家溝」(ちんかこう)で発祥しました。

ゆっくりと円を描きながら水が流れるように体を動かす太極拳のルーツは、天下大乱の時代に村と一族を守るため立ち上がった陳家の始祖「陳卜」が設立した「武学社」にまで遡ります。

太極拳との出会い

私が太極拳を学び始めたのは26歳の時でした。慢性的な体調不良に悩まされ、一念発起して心身の調整法を模索していた頃のことです。会社の休み時間、非常階段から空を眺めていると、突然「太極拳」という三文字が空に浮かんで見えたのです。

その後、東京の太極拳教室に通い、28歳で単身中国大陸へ渡りました。古都北京を経て太極拳発祥の地・河南省へと移り住み、武術の聖地で過ごした6年間。それはただの修行ではなく、魂を鍛え直す日々だったのです。

体が弱く、心も決して強い方ではなかった私にとって、太極拳との出会いがなければ、今日まで生きてこられなかったと思います。この不思議なご縁に、心から感謝しています。

そして何より、すべての太極拳の源流である陳式太極拳を学ぶことができたことは、私の人生において本当に大きな意味を持つ出来事となりました。

源流にしか宿らない、あの揺るぎない安心感。それはまさに、中国人が心の奥底で大切にしている「家」という概念そのものなのだと、私は感じています。

太極拳のルーツを辿る

太極拳の発祥地「陳家溝」
太極拳の発祥地「陳家溝」
太極拳の発祥地「陳家溝」にて(横山春光)
多くの資料が展示されている

太極拳発祥の地、中国河南省温県陳家溝。ここから全ての太極拳の源流である陳式太極拳が生まれました。

小さな農村ですが、子供からお年寄りまで、たくさんの人達が太極拳を鍛錬しています。また各家ごとに独自の伝承方法があるといわれており、各家ごとに少しずつその風格が異なります。

また、村内には太極拳の創始者である陳王廷(ちん おうてい)祖師を祀った記念館があり、貴重な歴史的資料や絵画を数多く展示しています。中国各地や海外からは太極拳愛好者が日々訪れ、そのルーツを辿っています。

私が留学し太極拳を学んだのは、この陳家溝が生んだ陳式太極拳四天王の一人である陳正雷老師が設立した、中国河南省鄭州市にある「陳家溝太極拳館」です。

そこでは、一般の太極拳愛好者から、専門に太極拳教練になる為の訓練を行う若者たち、また海外から太極拳を学びに来る外国人など、多くの拳友たちと共に学ぶ機会に恵まれました。そして、様々な教練の指導法を体験することで、私の太極拳人生は大変豊かなものになり、太極拳の将来に向けた可能性を知ることもできました。

太極拳の源流 陳式太極拳

陳式太極拳の特徴

陳式太極拳は後にいくつかの流派に分かれ、現代では陳式、楊式、呉式、武式、孫式という五大流派が存在します。それぞれ風格は異なりますが、太極拳の根本的な拳理はすべての流派に共通しています。

陳式太極拳の特徴は、一般的に普及している太極拳とは大きく異なり、ゆっくりとした柔らかな動きだけでなく、爆発的な発勁や、脚で強く地面を打ちつける震脚といった動作が特徴です。

20代半ばの頃、仕事のストレスで体調を壊したことをきっかけに太極拳を学び始めた私は、「そんなに激しい動きは自分には合わないのではないか」と不安に感じた時期もありましたが、雄大な黄河のほとりで生まれた陳式太極拳には、心身をリラックスさせる独自の方法があり、また螺旋運動によって全身のバランスを協調させていく動きは、身体の弱かった私にも非常に心地よく感じられました。

太極拳文化が根付く河南省

陳家溝太極拳館
陳家溝太極拳館

「陳家溝太極拳館」では、その土地に生きる人々の息づかいと、長い歴史が育んだ太極文化を日々感じることができました。

練習中だけでなく、普段の生活の中にある緊張と弛緩、運動と休息、開と合、息を吸い吐くといった動きを通じて、現地の人々から「心を穏やかに保つこと」「身体の陰陽のバランスを整えること」、そして「常に中庸であろうとすること」を学び、自然本来の生命活動のあり方を学びました。

「天人合一」(自然の本質そのものと一体となる)は、太極拳を含む中国伝統思想が目指す最高境地ですが、その境地は、何気ない日常生活の積み重ねによって目指していくものだということを知ったのです。

体からのサインに気づけるようになる

痛みの正体

しかし、そんな素晴らしい太極拳の学びの日々も、初めの頃は困難の連続でした。

懐かしく思い出されるのは、学習初期の頃、なぜか時々体のあちこちが痛くなることがありました。筋肉痛とは明らかに違う痛みに不安を感じたのですが、これは長年の運動不足や体調不良で鈍くなった経絡の滞り(未病)が刺激されて生じた痛みだったそうです。

当時は「そんなことが起こり得るのか?」と半信半疑でしたが、練習を続けていくうちに痛みは徐々に和らぎ、それと共に太極拳の心地よさを感じるようになっていきました。

感じることの大切さ

中医学には「痛則不通、通則不痛」(気が滞れば痛み、通れば痛まず)という言葉があります。「痛い」という感覚は体からのサインです。大切なのは、そのサインを自分がどう受け取るかということです。

疲労しているのに体の症状を無視して仕事を続けていれば、いつしか痛みは麻痺して体はサインを送らなくなってしまいます。無理をして会社勤務をしていた頃の私の状態がそうでした。仕事のプレッシャーから、食べなくても寝なくても寒くても暑くても、何も感じなくなっていたのです。

陳式太極拳を学び始めてからは、普段の生活でもだんだん呼吸が整ってきて、長い時間緊張をしていても以前のように眩暈がするようなことはなくなりました。蒼白だった顔色もよくなり、自分では気づかなかったのですが、身長が2センチ近くも伸びていました。

混元太極拳から陳式太極拳へと遡る

私が幸運だったのは、最初に出会った「陳式太極拳」がルーツであったことと、留学先が北京に新設されたばかりの「陳式心意混元太極拳」(通称:混元太極拳。陳式太極拳をさらに進化させた太極拳)の武館だったことです。

陳式太極拳は動作への要求が厳しく、内面よりもまず体づくりを重んじます。一方、混元太極拳は初めから内面を重視し、動作への要求は厳格ではありません。

体に必要な筋肉をつける前に内面の気の流れを確立できたため、形に支配されることなく太極拳の本質を見失わずに学ぶことができました。

その後、北京を離れて河南省で雄大な陳式太極拳を学び、体の内側から肉体へと理想的な過程を経て太極拳を習得することができました。

武術で繋がる縁を「武縁」といいますが、私の武縁は非常に幸運で恵まれていたと今でも思います。

この縁を自分だけのものにせず、太極拳を必要としている人々に現地で学んだそのままの太極拳を伝えたい、そう心から思えたのは、冒頭でも触れた源流にしか宿らない、あの揺るぎない安心感があるからです。

それはまさに、中国人が心の奥底で大切にしている「家」という概念そのものだと感じます。

それが私の学んだ太極拳です。

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)