スパイスカレーとの出会い
私とスパイスカレーとの出会いは10年前の夏に遡り、きっかけは毎年悩まされていた夏バテをどうやったら克服できるかを考えたことでした。
当時、患っていた過労と鬱症状に暑さが追い打ちをかけ、心身共に限界を迎えどうにもならなくなってしまったので、しかたなく教室を1か月間休んで自宅療養することになりました。しかし、2週間が経過しても体調は戻らず、練習もできないまま困り果てていたところ、偶然ラジオから「今日は暑いので、みなさんカレーを食べましょう!」という声が聞こえてきました。その瞬間はピンとこなかったのですが、翌朝になって暑いからと素麺を茹でて食べようとすると、冷たい素麺を飲み込んだ途端になぜか気分が悪くなったことに気がつきました。
休暇中でなければ無理にでも食べるところなのですが、今は回復のための休養期間なのだと思い直し、その日は珍しく朝から体調が良かったのにも関わらず、冷や素麺を食べた瞬間に気分が悪くなったことを不審に感じ、「もしや、これが原因では?」と考え、せっかく作った素麺でしたが箸を置くことにしました。
時間だけはたっぷりあったので、ご飯を炊きながらカレーを作ろうかどうか迷ったのですが、市販のカレールーでは胃もたれするのが心配だったので、たまたま興味本位で買い置きしていた缶タイプのレトルト・タイカレーを温めて食べてみました。すると、気分も体調もあっという間に回復したのです。
「レトルトカレーでこんなに効果があるなら、スパイスカレーを自分で作れば、もっと劇的な効果が得られるのでは!」
と思い立ち、amazonでレビューの高いレシピ本を取り寄せ、来る日も来る日もスパイスカレーを作って食べ続けたところ、休暇の終わる頃には外出も練習もできるようになっていました。
この出来事以降、自宅のキッチンには様々なホールスパイス、ホールから挽いたパウダースパイス、そして自家製ガラムマサラが並んでいます。
中国でも香辛料に助けられていた
中国に住んでいた頃は武術修行で精一杯で、なかなか薬膳まで学ぶ余裕がなかったのですが、スパイスを研究するようになって、中国で食べていた香辛料について改めて理解を深めることができ、「あの時、あの場所で〇〇という料理を食べたら元気になった」という思い出の味の再現にも役立ちました。
実は、中国に渡るまで私は食が細く、量だけではなくニンニクやネギ、辛い料理や香辛料の効いた食べ物が食べられなかったのです。20代の頃、職場で中華料理のケータリングを食べた際、激しい動悸と目眩に襲われ倒れてしまったこともありました。もちろん外食のカレーも苦手でした、三日くらいダメージが残っていました。
太極拳を学ぶためには香辛料アレルギーをなんとしても克服しなければ、と覚悟を決めて中国に渡り、現地で原因を突き止めてみると、アレルギーではなく食べ合わせと調理法の問題だったのです。その後、現地の人々から民間療法を学ぶうちに、むしろ何でも美味しく食べられる大食漢へと変身しました。
日本は他のアジアの国々と比べて気候が穏やかで新鮮な食材が豊富です。そのため、日本料理には香辛料を強く効かせて食欲を刺激するような料理が少ないのが特徴です。一方、気候が過酷な地域では、単なる栄養摂取以上に、季節や体調に応じた食材選びや調理法が重要になります。気候の厳しい国ほど食と香辛料の研究が進んでいるのだと思います。
猛暑日の増加と共に普及した本格カレー
あれから10年が経ち、当時は敷居が高かったスパイスカレーも今では身近な存在となりました。本格的なカレーを簡単に美味しく作れるレシピが増え、気軽に立ち寄れる専門店も多くなり、日本の夏の食文化には欠かせないジャンルに成長しています。カレーなしでは夏を越せない私としては嬉しい限りですが、さらに興味深い個人的な発見は、10年前まで敬遠されていたパクチー(香菜)が、令和の今では一般のスーパーで気軽に購入でき、「パクチニスト」というパクチー愛好家を表す言葉まで生まれていることです。もちろん私も生粋のパクチニスト!でも中国人でもパクチーが嫌いな人はたくさんいます。
カレーに含まれる各種スパイスには、食欲増進、消化促進、抗炎症作用など、さまざまな効能がありますが、私が特に気に入っているのはカルダモンのリラックス効果です。精神安定作用や脳の血流を改善する効果があると言われていて、カレーに爽やかな香りをプラスしてくれますし、暑さでモヤモヤしている気分がすっきりします。さすが「スパイスの女王・カルダモン」と称されるだけあります。
塩とスパイスの関係
夏野菜をたっぷり使った美味しいスパイスカレーですが、秋になって涼しくなると嘘のように食べたいと思わなくなるのも面白いです。
スパイスは塩と出会ってはじめて香りが引き立つため、スパイスを多く使えば使うほど塩も必要になります。そうなのです、夏にスパイシーなカレーを食べたいと思ったときは、減塩など考えてはいけなのです!塩の足りていないカレーはいくらスパイスや具材を入れても、暑さで脳がエラーを起こしているのではないかと疑うほど味がしません。
よって、汗をかかない涼しい季節には体が過剰な塩分を求めないため、頻繁に食べたいと感じなくなるのではないかと思います。
毎年、酷暑のニュースを耳にするたびに憂鬱な気持ちになりますが、スパイスの世界に思いを馳せ、人体や季節の移ろいの不思議を感じながら、キッチンで新たな発見を重ねています。