嫌いなことを一つやめてみる

会社を休む

本当にやりたいことを見つけて、心から望む生活を実現するのは、とても難しいものです。

「中国武術留学記」「生い立ち」を書きながら改めて思い出したのですが、私が20代の頃は「自己啓発」とか「自己実現」という言葉が社会でもてはやされていて、「自分らしい生き方を見つけなければならない」というプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。

学生の頃ならまだしも、社会人になって一度でも挫折すれば、そこからまた好きなことを見つけるのは容易なことではありません。

私は20代の頃、派造社員としてウェブ制作の仕事をしていましたが、3か月ごとの契約更新で、常に成果を出し続けないと契約を打ち切られるというブレッシャーから、心身の休まる暇がありませんでした。

もう限界だと思った私が最初に取った行動は、朝の通勤途中で会社に電話を掛けて「すみません、今日は体調不良で休みます」と伝えて、なんとなく原宿駅で降りてあてもなく竹下通りを歩いたことでした。

そのとき感じたことは「なんて自由なんだ!」という解放感でした。

何年も追い詰められいたせいか、ただ歩いているだけで涙腺が緩んで心臓がドキドキしましたが、ふとお腹が空いていることに気がつき、大戸屋という定食屋さんに入って焼きサバ定食を食べました。

ご飯を噛みしめながらポロポロと涙を流して分かったことは「休みたい、お腹が空いた、ゆっくりしたい」という切羽詰まった身体の欲求は、嫌なことを止めてみないと気がつかないのだということでした。

嫌いなことをやめてみる

その日以降、私は毎日一つずつ嫌いなことをやめていきました。

生活するために必要な会社勤めや、もともとの自分の性格は簡単には変えられないので、まずやめても深刻な影響がなさそうな小さなことから始めてみました。

職場でのランチの誘い、契約更新のためのアピール残業、身だしなみのための肌に合わないメイクなどです。

「体調が悪いのでランチは行けません」と言ったり、同僚がまだ仕事をしているのに定時で帰ったり、思い切ってすっぴんで出社したり、自分にとって嫌だったことをやめて、楽なことをしてみると、意外と周囲の人は受け入れてくれて、恐れていたような大ごとにはなりませんでした。

自分を苦しめているのは自分自身

「世間は意外と自分を包容してくれるんだ、とそれまでの緊張感が緩んで拍子抜けした私は、徐々に調子づいて嫌なことをやめることに抵抗を感じなくなっていきました。

そして最終的に「自分を追い詰めたり苦しめたりしているのは、他の誰でもなく自分自身なんだ」と気がついて、自分を傷つけるのをやめることにしました。

それからは、嫌いなことをやめようと特に努力しなくても、自然体で過ごせるようになり、心が軽くなって体調もどんどん良くなっていきました。

捨てることで見つかることもある

人間関係や環境は変えられないけど、自分自身は変えられるんだ、ということに気がついて実践できたのは、「今日も一つだけ嫌いなことをやめてみる」を積み重ねた結果だと思います。

大切なことを見つけるのは難しそうですが、嫌いなことを手放すのはちょっと頑張ればできそうな気がしませんか?

本当に小さなことですが、私の人生はこの時期に大きく変化して、あっという間に人生を懸けてでも学びたい太極拳に出会って、中国に渡って大好きな太極拳の世界に飛び込むことができました。

今でも油断すると無理をして疲れてしまうこともありますが、そんなときはいつも「自分は変われるんだ」ということを思い出して、深呼吸をして肩の力を抜くことにしています。

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)

目次