師を敬う
中国伝統八卦掌とは本来、師弟関係のもとで伝えられ、師と弟子が一対一で口伝や体伝を用い伝承するものです。武術性が高ければ高いほどそれは厳格で、もし大勢の学生がいる前で「老師、この動きでどうやって相手を攻撃するのですか?」という質問をしたとしても、師はまず真剣には答えてくれません。もし弟子の力の目的が正しくなければ、周囲の人々だけではなく本人を傷つけることにもなりかねないからです。
師は弟子の悟性、品行、目的、功夫、性格を見て、どの方向性に向かって進むのかを判断し指導します。
明師(道を正しく理解している師)につき、敬い、心を尽くし、謙虚に鍛錬に励むことが、伝統八卦掌を学ぶための入門の一歩となります。
目的を正す
師を求めるには、まず自らの鍛錬の目的を明確にさせることが先決です。武術には「養生」「芸術」「護身」「精神の修練」など、幾つかの目的があります。これらは本来一つのものですが、まず現時点での自らの目的を明確にし、その目的に合った師を求め、そして目的に沿った指導を受け、学んでいくことが大切です。
まず目的を明確にし、それから礼を尽くし師の教えを学びます。異なる目的を持った指導者や練功者に出会っても、決して恐れたり軽視したりしてはいけません。それは全ての目的は、いずれ一つの「天人合一」という同じ境地に達することとなるからです。
中庸の道を歩む
明確な目的と、求める師を得られたら、自らを戒め謙虚に鍛錬に励みます。しかし、過度の運動や、過酷な精神状態は自らを傷つけることになりかねません。疲れたら休息をとり、十分な気力と体力を保ち鍛錬に臨むことが大切です。功夫とは養うものであり、決して疲労・消耗の鍛錬を経て得られるものではありません。運動と休息のバランスをとり、中庸の道を歩むことが大切です。
良友を求める
どんなに高い目標を持っていたとしても、時には迷い、挫けそうになることもあります。しかし、その苦しみが私たちを成長させる糧ともなります。そしてそのような経験を仲間と分かち合うことで、さらに深い人格を育てることができるのです。良友を求め、互いに切磋琢磨し、時には助け合うことが鍛錬を続ける秘訣にもなります。
武徳を重んじる
古代中国で生まれた「武」という字は、本来は「争いを止める」という意味を持っていました。(武は止と戈を合成して作られた字。戈は武器の一種で、戈を止めるという意味)本当の武術の達人とは、争わざるべく戦いを止める、という武徳を持った人なのです。
長期に渡る鍛錬を経て、師より受け継いだ技と精神を正しい方向へ向け、大自然の法則と一体となって生きることが、私たち練功者の進むべき道なのです。
また武徳を離れての高い功夫は存在し得ません。力は自らを戒める為に使うもので、無闇に相手を傷つける為にあるのではありません。力は自らの強い精神を育み、精神を「道」へと導きます。
いかなる時にも「武徳」を重んじ、鍛錬に取り組み、周囲と協調していくことが、伝統武術を学ぶ上で非常に大切なことです。
2007年北京にて、八卦掌第五代継承者(程派八卦掌第四代継承者)麻林城(ま りんじょう)老師よりご教示いただいた八卦掌論です。
(訳:横山 春光)