董文煥

第五十七代継承者 董文煥

1920年10月-2012年

安徽省毫州市十八里鎮に生まれる。

15歳より武術を学び、当地の武術の名師であった譚継林(1896-1975、魏崗鎮前譚楼)に10年間教えを受け、形意拳の真意と華佗五禽戯を授けられる。
著書に『華佗五禽戯』を執筆。国家無形文化遺産「華佗五禽戯」の重要継承者に選ばれ、国家体育委員会から英雄賞などを受賞し、その功績は『中国民間武術家辞典』に収められている。


中国各地を問わず育成した学生は武術教練として武術界の各教育現場で活躍している。その数は、何伝志、孫乾坤、田青華、石万英など30数名に及ぶ。

生涯に渡り、生まれ故郷となる中国四大薬都亳州市の農村に住みながら農業を営み、その傍ら武術を学び深く五禽戯を研究してきた。無私に弟子を導き、功を立て徳を積み、拳芸に優れ多くの人々に称えられてきた。

1979年

1988年
例年の夏季休暇を利用した、武術の短期訓練班を創立。また市体委は、例年の春節(旧正月)にこの武術短期訓練班の人員を組織し、武術表演を行っている。
1982年固鎮県で開催された安徽省五運会組織委員会の招待を受け、開幕式に参加し華佗五禽戯を表演。また同時に、国家体委が開催した老拳師会議に参加する。
1983年阜陽地区を代表し、滁州で開催された安徽省第一期武術工作会議に参加する。
1984年毫州市で開催された全国建安文学会議において、学生を率い華佗五禽戯を表演し、会議に出席する専門家や学者達の関心を引いた。
1986年全省老拳師を代表し、徐州で開催された全国武術観摩交流大会に出席する。またその台上で華佗五禽戯を表演し、国家体委より雄獅奨牌を授かる。
1987年毫州市で開催された国際華佗学術研究会に、学生を率いた十数名で 華佗五禽戯を表演し、会議に出席する専門家と学者達の関心と称賛を受ける。
1990年『毫州武術』に2項の武術事績を掲載される。
1991年『安徽省武術人物伝』の中で『大刀王董文煥伝奇』という題で、董文煥の事績を収録される。
1992年『安徽体育報』は『半分世紀的追求—記毫州市武協副主席董文煥』と題して、その実際的な武術事業の事績を掲載する。
1992年毫州市と譙城鎮の幹部と共に、国家武術院副院長の蔡龍雲に同伴し、全国武術之郷選出の評議に参加し、十八里鎮が毫州市を代表し選ばれる。
1994年『阜陽体育志』に2項の武術事績を掲載される。
1995年『武魂』、『老人天地』、『中国農村体育』、『中国体育報』などの新聞雑誌が、華佗五禽戯の事績の研究を報道する。
1995年毫州市組団を代表して、河北省で開催された第一期国際“形意拳”交流大会に参加し、老年組において五行拳で一等奨、形意大槍で三等奨を獲得する。
1997年河南省周口地区の武術大会に参加し、老年組の大刀で一等奨、太極拳、太極剣で各二等奨、伝統拳術で二等奨を獲得する。
1997年『中国民間武術家辞典』の上巻に、武術事績を掲載される。
1998年毫州市において、安徽省第二期県市委書記討論会が開催され、大会の委託を受け指導員を担当し、華佗の記念館において会議に参加する人員の為、華佗五禽戯を伝授する。
2002年中央電視台社教中心文化特別テーマ部が毫州市に訪れ、華佗五禽戯をテーマとしたテレビ番組を撮影する。


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