牟礼分水取水口と水神の祠

牟礼分水取水口

井の頭公園で太極拳の練習を続けていると、季節によって地面の硬さや湿り気、空気の匂いや肌触りが変わることに気づきます。そんな中で、公園の南端にある「牟礼分水取水口」と、その近くにひっそりと祀られた「水神の祠」は、「水」にまつわる気になる場所の一つです。

吉祥寺や三鷹の歴史について詳しいわけではありませんが、井の頭弁財天について調べてみたときと同じように、地域の成り立ちを知ると、普段歩いている道の見え方が少し変わる気がして、この場所の由来を調べてみました。

緑に隠れた「取水口」

「牟礼分水」は、江戸時代は延享2年(1745年)に牟礼村(玉川上水と東八道路に挟まれたエリア)が玉川上水からの分水を許可され、農業用水として整備された水路だそうです。通称「牟礼田んぼ」という農地に昭和のはじめまで給水されていたそうです。現在はほとんどが暗渠化されており、地上から水路の姿を直接見ることはできません。

玉川上水沿いの遊歩道を歩いていると三鷹市教育委員会が設置した説明ボードが目に留まります。しかし実際には「玉川上水沿いの木々が茂っている時期は、取水口がほとんど見えない」ので、存在は知りながらもなかなか実物を見ることが困難です。かろうじて取水口の下流側にある「分水堰」を見るのがやっとですが、夏場は特に、緑の壁のようになっていて、注意していないと通り過ぎてしまいます。

そして、分水堰にはなぜか階段がついています。用途はよく分かりませんが、管理のために降りる必要があったのか、あるいは水量調整の作業用だったのかもしれません。歴史に詳しくない私には推測の域を出ませんが、こうした小さな構造物にも、当時の生活の痕跡が残っているようで興味深いです。

ようやく見つけた「取水口」は、意外にも小さく、初めて目にしたときは「この大きさで牟礼一帯に十分な水量が供給できたのだろうか」と思ってしまいました。

牟礼分水取水口
牟礼分水取水口

ただ、当時の玉川上水は今よりも水量が豊富だったと聞きます(現在の15倍ほどの水量があって水難事故も多く「人喰い川」と呼ばれていたそうです。「松本訓導殉難の地」はここからやや上流にあります)ので、この小さな取水口でも十分だったのかもしれません。

現在の取水口は明治43年(1910年)に改修されたもので、分水堰は対象14年(1925年)頃設置されたものだということです。

水神の祠

取水口の近くには、小さな水神の祠が祀られています。

初めて祠を見た当初は牟礼分水のことは知らなかったので、「グラウンドの近くになぜ祠があるんだろう? 何のための祠だろう?」と不思議に思ったものですが、好奇心を抑えられず公園案内所で尋ねてみたところ、「水神の祠」というらしいことが分かりました。

水神信仰は、水の恵みと危険の両面に向き合うための地域の知恵で、牟礼分水のような人工水路では特に重要だったのだろうと思います。祠自体は簡素ですが、地域の歴史を考えると、そこに込められた祈りの重さは小さくありません。

小さな祠は樹々に囲まれてひっそり佇んでいますが、木枝をくぐって祠の前に立つと、賑やかな井の頭公園西園のグラウンドのそばにありながら、周囲の空気や音がわずかに変わるように感じます。車の音が遠のき、空気の流れが少し柔らかくなるような感覚で、太極拳の練習で心と身体が整っているときは特にこの微細な感覚が心地よく、個人的にとても気に入っています。

現在の牟礼分水と祠

牟礼分水は昭和40年(1960年)に廃止され今では実用的な役割を終えていますが、地域の歴史を知るうえで重要な手がかりです。水神の祠は今でもお掃除やお供えをする方々がいらっしゃるので、信仰が生きているようです。

個人的な感想にすぎませんが、この祠の前に立つと、なぜかアニメ『夏目友人帳』の「露神の祠」のエピソードを思い出してしまいます。あの物語に出てくる、誰にも気づかれずに静かに佇む祠の雰囲気とどこか重なるものがあり、祠の前まで来たときには祠の奥にある樹を見上げてしまいます。そして祠のお供えが新しくなっているとホッとするのです。

地域の自然や人の歴史を少し知ると、土地の成り立ちが少しだけ立体的に見えてきます。小さな歴史的遺構であってもその土地の記憶が刻まれていて、想いを馳せると土地と身体のつながりを感じやすく心も整いやすくなるようです。

この記事を読んで興味を持たれた方は、井の頭公園西園や三鷹の森ジブリ美術館に出かける際に、そっと足を運んでみてはいかがでしょうか。

スポット情報

名 称牟礼分水取水口・分水堰、水神の祠
所 在 地東京都三鷹市下連雀1-1 ※井の頭恩賜公園「西園」の「ほたる橋」南側付近
アクセス吉祥寺駅から徒歩約20分

※記事の内容は執筆時のものです

この記事を書いた人

吉祥寺カンフーライフ代表/指導員
青森県出身。東京大学教育学部卒。
一般企業に就職したしたものの行政書士試験合格を機に退職し、東京大学大学院で中国教育行政史を研究。その後、教育法務や企業法務に携わりながら中国思想を学ぶ。
40歳を過ぎて中国武術の論理的な学習法に出会ったことでカンフーライフに目覚める。初心者でもわかりやすい指導法が得意。