程派八卦掌 創始者(八卦掌第二代継承者)
程廷華(ていていか)
1848年‐1900年8月14日
河北省深県程家村 生まれ。
北京の崇文門外で眼鏡店を開設し、その後大きく発展させた為「眼鏡の程」と呼ばれていた。
程廷華は幼少より摔跤(中国式レスリング)を好み、その技は非常に巧みで、後に董海川に師事し八卦掌を学んだ。
正直な人柄で真面目に練功を積み、悟性が高かった程廷華は、董海川の好感を深く受けその秘伝を得て、後に董海川の得意弟子の一人となった。
修練を終えた後、北京崇文門の外で武館を開き弟子を得る。
当時、程廷華に学んだ者は数多く、その中には「神槍の劉徳寛」「単刀の李存義」など、当時の中国武術界において非常に有名な武術家もいた。また孫禄堂(孫式太極拳の創始者)、李文彪、馮俊義なども程廷華の弟子だった。
程廷華の名声と人柄を慕って訪れる一般の学生も多く、程廷華は自ら体得した八卦掌と董海川から授かった武功を広く彼らに伝えていた。
程廷華の武功は奥深く、その技は非常に優れており、八卦掌の発展に多大な貢献と影響を及ぼし、八卦掌の重要継承者となった。
彼の学んだ掌法が他と異なった為、後に八卦游身連環掌と呼ばれ、現在に至り程派八卦掌となる。
1900年、8カ国連合軍が北京に侵攻し、放火と虐殺が繰り広げられ街は荒廃した。
ある日、程廷華が自宅である北京崇文門外の河泊厂を出たとき、巡回中の十数人のドイツ兵に遭遇した。ドイツ兵は程廷華を尋問しようとしたが、外敵への反感と言葉が理解できないという理由で拒否した。
従わない程廷華にドイツ兵は暴行を加えようとしたが、程廷華は一人ずつドイツ兵を地面に叩きつけた。
程廷華は屋根に上がりその場から離れようとしたが、辮髪が瓦の隙間に挟まり身動きが取れなくなった。逃げ出そうとしたが手間取ってしまい、その隙をドイツ兵に銃撃され絶命した。
当時、北京の武術界において大きな損失となった。
享年52歳という若さでこの世を去った、著名な中国武術家の一人である。
【程廷華の正統継承者】
程有信、程有龍、程有功、程有生、李文彪、馮俊義、孫禄堂(孫式太極拳の創始者)、など。