中国最古の気功法「華佗五禽戯」(かだごきんぎ)
華佗五禽戯は古代中国後漢の晩期に神医と呼ばれた名医・華佗によって創造され、約1800年の歴史があると伝えられています。
現在に伝えられている中国気功や中国武術の鼻祖(ルーツ)と呼ばれ、のちに発展した数多くの気功・武術の門派に、その思想と運動体系の影響を及ぼしました。
虎・鹿・熊・猿・鳥の五つの動物の型から構成され、それぞれの動物の動きに内蔵機能・生理機能の働きを調整する効果が含まれています。各動物の特徴を表現したストーリーがあるので、とても楽しく練習することができる中国気功です。
五禽戯との出会い
私が河南省で陳式太極拳館に通っていた頃、日本に帰国する覚悟ができずに「中国武術を学ぶこと」ということに迷っていた時期がありました。
ある朝、いつものように冴えない気分で太極拳館に向かう準備をしていると、テレビに鹿の動きを真似た気功法の映像が流れていました。動物が好きだった私は興味を持ち、その番組を最後まで観ることにしました。番組は15分ほどで終了しましたが、それが中国最古の気功法である五禽戯(ごきんぎ)でした。
気功に詳しい中国の友人に頼んで調べてもらうと、五禽戯は中国の後漢の晩期に神医と呼ばれた名医・華佗(かだ)によって創始されたことがわかり、発祥の地である安徽省に正統継承者がいらっしゃるということでした。
五禽戯のルーツを辿る
私はいてもたってもいられなくなり、すぐに連絡を取ってぜひお会いしたいと伝えてもらい、翌週には、中国四大薬都の一つであり、三国志に登場する曹操や華佗の故郷でもあり、華佗五禽戯の発祥地でもある安徽省亳州市へ赴きました。
はじめて訪れた亳州市は、至る所で漢方薬の香りが漂い、薬材市場では様々な生薬が活発に取引され、独特の文化的雰囲気のある魅力的な街でした。

董文煥老師との出会い
第五十六代継承者である董文煥(とう ぶんかん)老師にお会いすることができました。
はじめて董文煥老師にお会いしたとき、お弟子さんは私に「董老師はもう90歳を超えていますが、その内気は未だ健在なんだよ」と言うと、董老師の站椿功(たんとうこう、じっと立つ功法)を拝見する機会を与えてくださいました。
それは「站椿功の姿勢に入ると数秒も経たないうちに、下半身の関節や骨が鳴り出す」というものでしたが、私がこの現象を目撃するのは二度目でした。
一度目は、同じく90歳を超えていらっしゃるト文徳老師に初めてお会いした際に見せていただいたのですが、しかし当時、まだ見識の浅かった私は大変失礼ながら「加齢によるものでは」と疑ったこともありました。
このときは、さすがに二度目ということもあり「気」という存在を信じざるを得ませんでした。
董文煥老師の体から発せられ、床から骨振動のように伝わってくるその音は、その場にいる誰もが息をのむような迫力でした。
高身長が故の苦労
董文煥老師は、もともと形意拳の達人でした。その修行時代には感動的なエピソードがあります。
若かりし日の董文煥老師は身長が180センチ以上あり、形意拳を学ぶには長身が不利だったそうです。
身長が合わないという理由で対練の相手をしてくれる仲間に恵まれず、董文煥老師は一人黙々と苦練を重ね、功を積み、最後には師匠の一番弟子となりました。
そこまで苦労して習得した形意拳ですが、董文煥老師は生まれ育った土地に約1800年にわたり受け継がれている五禽戯を継承する重大な使命を感じ、後にこの中国最古の気功法『華佗五禽戯』の継承者となったそうです。
即効性のある五禽戯の効果

董文煥老師は初対面の私の顔色を見て「あなたは脾虚のようだから「熊戯」をよく練習するとよい」と言って、自ら「笨熊晃体」(ほんゆうこうたい)を指導して下さいました。
「満腹になった熊が体を揺らす」という動作なのですが、私は自分の肩関節があまりに動かないことに愕然としました。
私は太極拳や八卦掌だけでなく、中国でインド人の先生にヨガを学び、インストラクターの資格も取得していたので、体の柔軟性には自信があったのですが、なぜか熊の動作では肩の関節がほとんど動きませんでした。
その事実に衝撃を受けた私は、「笨熊晃体」を何度も繰り返し練習していると、徐々に全身が温かくなってきて、気分が良くなってきました。
実は、その日は急な体調不良に見舞われて、腹痛と貧血で立っているのがやっとという状態だったので、短時間で即効性のある華佗五禽戯の効果に再び驚いていると、付き添いで来てくれていた友人も「あれ、さっきまで青白い顔をしていたのに、血色が出てきたね」と言っていました。
それからは定期的に董文煥老師の元を訪れ、華佗五禽戯の動作だけでなく、亳州市に根ざす漢方薬の歴史など、多くのことを学びました。
大自然への回帰
私は太極拳や八卦掌が属する内家拳(練習過程においはじめに内面を重視する)と呼ばれる中国武術を学び、その過程でたくさんの疑問や悩みに直面しました。
華佗五禽戯は現在に伝えられている中国気功や中国武術のルーツであることから、太極拳や八卦掌が誕生する遥か昔の1800年前に遡ることができます。
いつもプレッシャーと背中合わせの留学生活でしたが、五禽戯の故郷を訪ね、五つの動物になりきる時間は、ただ動くことが楽しい、学ぶことが楽しい、というシンプルな喜びがありました。
古代中国、まだ近代医学が登場する遥か昔、華佗が民の健康を願って編み出した原始の動きには、とても純粋な感動がありました。
私たちは弱く、だからこそ自然界と共に生き、学ばなければ本当の健康は得られないと感じました。
董文煥老師から頂いた言葉
2009年9月9日、私は董文煥老師のご自宅の庭先で「中国亳州華佗五禽戯健身養生館」の日本支部の認定試験を受けました。


認定書の授与式の後、董文煥老師は私に二つのお言葉をいただきました。
一つ目はのお言葉。
あなたが帰国をしたら、必ず専門の指導者となるよう私と約束してください。
そして、二つ目のお言葉。これは今もなお、私にはその奥に秘められた境地を理解することが残念ながらできていません。
いいかい、花は咲くときが来たら咲けばよい、そして、散るときが来たら散ればよい。
なにも、必死に枝にしがみ付いて、咲き続けなければならないことはないのだよ。
それは、養生法を極めた達人だけが知り得る、命を達観した境地なのかもしれません。
一生を懸けて、この言葉を知るために学び続ける価値があると、本能が頷いた瞬間でした。
その3年後に董文煥老師はご逝去され、私はそのお言葉の意味を尋ねる機会を永遠に失ったまま、今もなお考え続けています。
養生のその先に待つ命の終わり、決して止まることのない時間に対して、人はどのように生きていけばいいのかを教えてくださった董文煥老師の教えを、私は一生忘れることはありません。
華佗の思い〜医道の真髄〜

外科医でもあった華佗は、「麻沸散」という麻酔を最初に発明し外科手術を行なったと伝えれれています。そして、手術後の患者の早期回復のために、リハビリ法として五禽戯を取り入れ、自ら指導にあたっていました。貧しい人々が必死で集めたお金で命を救っても、術後の状態が悪ければ命を落としてしまうからです。
さらに華佗は、医道を追求する中で、手術に頼らずに済むよう、病気の予防法として五禽戯を無償で広めたと伝えられています。
悠久の時を経て現代まで伝承されてきた、古代中国の名医・華佗が創始した五禽戯。
この伝統的な健康法は、現代においても心身の調和と健康維持に大きな価値を持ち続けています。
それが私の学んだ五禽戯です。


