八卦掌第三代継承者(程派第二代)
程有信(ていゆうしん)
1895年‐1970年 6月29日 午前10時
字湘亭
北京武術界の中で三大老拳師の一人と呼ばれており、身体が小さかった為「矮爺」という愛称で呼ばれていた。
幼少より武術を学び、程派八卦掌創始者である父(程廷華)の教えを深く受け、家伝の八卦游身連環掌の基本功法を授けられた。日々練功する父のもとを離れず、行如龍、発力如虎、換式如鷹と例えられる身法の全てを心と身体に深く焼き付けた。
父の死後は、天津に住む兄の程有龍のもとに移り、さらに練功の日々を送った。
その後、武功は大いに高まり、同時に大槍の劉徳寛、単刀の李存義の武功の精華を得て自身の功夫を更に高めた。
程有信は非常に努力家で、毎夜一日も欠かすことなく精進し、卓越した武術の功夫を身につけた。
繰り出す技は稲妻の如く早く、相手は防ぐ余裕も持てなかった、当時の程有信は「以武会友」(武の道を歩み友と交る)の精神を重んじていたことから、北京と天津の武術界で程有信に悪評を立てる者はいなかった。
1958年夏に北京で全国武術大会が開催されたとき、大会終了後に東北チームの監督及び教練数十人が、程有信のもとへ訪問し腕試しを試みた。
程有信が構えた瞬間に、教練は空中に舞い上がり、程有信は次の瞬間その手を掴み引き戻した。
驚いた教練は学生と共に跪き、程有信に師事したいと申し出た。
当時、程有信は北京の公私合営のアクセサリー店(現在の北京通州区“北京花絲工廠”)に勤めており、そこで働いていた従業員が後に程有信の素晴らしさを語っている。
程有信は生涯弟子に対して非常に厳格であり、技の伝授は慎重を極めた。
特に、家伝の八卦掌の精髄とも呼べる奥伝は宝とされ軽率に人に伝えることはなく、1940年にある外国の軍人が大金を積んで程有信の八卦刀法を見たいと申し出たが、その望みは叶わなかった。
生涯で百人近い弟子に八卦掌を伝授するが、最後に正式な入室弟子となったのは僅か数名であった。
【正式な入室弟子】
許立坊、孫志君.許繁増、段炳章、銭文章、張栄利、など。