2004年12月のある土曜日、私は陳項老師のプライベート練習会に参加していました。
あくまで練習会であって、正式な授業は志強武館で受けることになっているので、陳項老師のご自宅近くの公園に集まった仲間たちは、それぞれ自主練習に励んでいました。ただ練習後は立ち話をすることが多く、その日も陳項老師は一通りいつもの練習内容が終わると、おそらく太極拳の理論であろうお話を真剣な口調でお弟子さんたちに説いていました。
私はもちろん「听不懂」(ティン ブ ドォン 聞き取れない)ので、聞くでもなく練習するでもなく、近くに立って話が終わってみんなが歩き出すのを待っていました。
しばらくして話を聞き終えた仲間が一人一人と帰って行くと、最後に陳項老師とマイケルさんというアメリカ人が残り、私を含め三人だけになりました。
陳項老師は私を見ると、厳しい声で、
「◇#□%#◎ 太极拳 ○※&□◇#△ 皮毛 学不到 ◎△×%#※!」と話されました。
(??? なんだろう? 太極拳? 何か教えてくださっているのかな? ありがたいけど聞き取れない)
と申し訳なく思っていると、今度はさっきより更に強い声と身振りを加えて繰り返されました。
私は(これはただ事じゃない、絶対聞き取らなきゃいけない)と緊張し、全身全霊を込めて言葉に集中すると、
「外国人、中国人、不理解、太極拳、ピーマオ、学不到、ピーマオ、学不了」
「不是、文化、要、理解、中国人、太極拳、ピーマオ、学不到!」
ところどころ単語が聞き取れたような気がしたのですが、意味が分かりません。
らちが明かない私を見た陳項老師は、ご自身の上着の袖をめくって前腕を私に見せると、皮膚を引っ張り、毛を指さし「皮毛」(ピーマオ)と説明してくださいました。
人間は特殊な環境で追いつめられると第六感が働くのか、言葉より先にその意味が頭に流れ込んできました。
「もし外国人が中国を訪れ、太極拳の型だけを学び、中国人とはなにかということを学ばなかったのなら、太極拳の皮や毛ほども学ぶことはできないだろう」
突然の情報量に私は頭がフリーズしそうになりましたが、まさかそんなに厳しくて難しいことを今の私に諭すはずがないと思い直し、きっともっと優しい言葉に違いないと緊張を緩めようとすると、陳項老師はそれを感じ取られたのか、それまで聞いたことないような大きな声で、
「你明白吗? 连皮毛都学不到。 这一点儿皮毛都学!不!到!!」
(わかっているのか? 少しも学ぶことはできないんんだ。この細くて微かな毛ほども学べないんだぞ!!)
と念を押されました。
とどめを刺された私は、予期せぬ叱責に不意を打たれて泣きそうになり、しかし叱責されるようなことをしたという身に覚えもないので、ショックと困惑でどういう感情になったらいいのか分かりませんでした。
陳項老師は引き続き「中国文化を学んでも駄目だ、中国に関する本を読んでもまだ駄目だ、中国人とは何かを学ばないといけない」と私に言い続けるので、私は「老师,我知道了。老师,我……,知道了」(老師、わかりました。老師、……わかりました)と繰り返し、その日はどうやって帰ったか覚えていなくらいのショックを受けました。
しかし、旅館に帰って一人になると、なんかだ理不尽なような気がしてきたのです。
「私はまだ北京に来て3か月しか経っていないし、中国語だっていま一生懸命勉強している真っ最中なのに、中国語や中国文化を飛び越えて、いきなり中国人を理解しろだなんて、無理難題だよ」
「そもそも、太極拳は世界の財産で人類共通の財産だって教わったもん。その境地に至るのに、どうしてわざわざ現代中国人を理解しなくちゃいけないの? 表面的なことすら学べないって極端じゃないの? そうだ、きっと私が何か気に入らないことをしたに違いない」
と疑念が渦巻いて止まらなくなりました。
なんだか訳が分からないまま、さりとて私にはどうすることもできず、モヤモヤしたまま次お会いできるときに様子を伺うことしかできそうにありませんでした。
初出 2010年6月
つづく