言葉の壁

横山春光 北京で中国語の勉強

陳項老師に太極拳を学び始めた頃、私の中国語能力はまだ必要最低限の用事を済ませられる程度のものでした。

もともと周囲の人に積極的に話しかけることが得意ではない性格だったのですが、留学生活の特殊な孤独感が私を変え始めていました。

とにかく孤独でした。中国語を理解できない私を武館の方たちはまるで子供のように世話を焼いてくれて、食事も日用品も困ることはなかったのですが、自分の思いや感情を伝えられないという状況は、まるで毎日無声映画をただ座席でずっと見ているだけような、そんな寂しい心境でした。

「何でもいいから、一言でもいいから、自分の思いを表現したい」

そう心から強く思いました。

日本にいた頃は、たとえコミュニケーション能力が高くなくても、それはそれなりに表情や行動で周囲の人たちと交流ができていたのだろうと思います。でもそれは共通の文化、概念、価値観があってこそ可能な二次的な交流方法であって、文化の違う中国ではまったく通用しませんでした。言葉を使って、一から体当たりして、一から学んでいかなければならないと感じていました。

私は毎日毎日、太極拳の練習以外の時間を中国語学習に費やしました。日本にも殆ど電話をかけず、中国語の辞書と日常会話のテキストと卢春先生がノートに書いてくれたたくさんの中国語を何度も読んで復唱して、頭の中でイメージトレーニングを繰り返しました。

自己流の学習方法では短期間では効果は殆どありませんでしたが、毎晩翌日の太極拳の授業を考えると、またあの「先生の情熱的な説明がまったく理解できない」という状況が恐ろしくてとても寝ている気分にはななれず、眠くなる限界まで中国語を勉強し、そして朝早く起きてまた中国語を勉強していました。

しかし、その猛勉強の成果が現れ始めたのは半年以上も後のことで、この頃は毎日「聞き間違え」「言い間違え」「思い違い」の連続で、時にはあからさまに迷惑な顔をされることもあり、そんな失敗だらけの自分が情けなくて、惨めで、孤独で、嫌気がさして、部屋で泣いてしまうこともありました。

でも、太極拳を練習している時だけはその苦しさを忘れることができました。

どうしても寂しくなった夜は、秀茜老師が渡してくださった武館の鍵を持って武館に入り、窓から零れる静かな月の光を眺めながら一人で太極拳の練習をしました。

夜の武館の空気はいつも澄んでいて、歴代の太極拳継承者たちの写真や中国哲学の書や絵画など、伝統の智慧の結晶があちこちに鏤められていました。その雰囲気に包まれると、私はいつも心の底から奮い立たされ勇気が湧いてきました。

「私は、今を生きているんだ」

そう思えることは、幼い頃からずっと感じていた自分自身の存在の希薄さを打ち破るような、絶対的な感覚でした。

初出 2010年5月

つづく

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この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会会長。八卦掌と太極拳と気功の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年

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