REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

你说了算 〜決められない〜

北京の冬

2005年5月、初めて体験する北京の春は強烈で、日本のように緩やかに四季の変化を楽しむ余裕はありませんでした。

寒かった冬が過ぎ去り、公園には春の陽気が訪れ、桃源郷のように見事に剪定された桃の木が一斉に花を咲かせたと思いきや、あっという間に散ってしまい、北京市に差し込む正午の太陽は、すでに初夏の熱気を帯びていました。

その変わり目はダイナミックで、気温や植物の変化だけではなく、天と地が「ゴゴゴゴゴッ」と音を立てて動いているような、巨大な潜在的流動を感じました。

おだやかな夏への移行を予想していた私のペースは狂ってしまい、突然忙しくなった武館の動向にも、心を掻き乱されていました。

そして、冬の間の集中力は消え、私は地に足が着かなくなっていました。

思うように上達しない中国語会話、そのせいでまったく進展しない混元太極拳の学習。さらに毎日毎日、全神経を集中して中国語を理解しようと努力しなければならないせいで精神的にクタクタになり、焦りと疲労が溜まっていきました。

ある時、志強武館で陳項老師に混元太極拳の新しい動作の指導を受けていたとき、なかなか覚えられないことに焦った私は、いつも通学中のバスの中で無意識に耳にしていた現地のスラングを、意味も分からないまま、誰に言うでもなく何度も呟いていました。

そのスラングは非常に強い罵り言葉(脏话と呼ぶ)で、英語に例えると「F… y…」(書けません)という意味だったのですが、それは後から知ったことで、その時はただなんとなく、普段の生活で見かけた情景から「焦ったり失敗したときに使う言葉」だと潜在意識に学習して、口をついてしまったのです。

神聖な武館内で、しかも授業中に、私はそれを連発していたのでした。

陳項老師は私のスラングを聞いた瞬間、顔を真っ赤にして走って来られて「横山! 不能这么说!」(ホンシャン! そんな言葉を使ってはいけない!)と慌てて私を注意しました。しかし、私は陳項老師の中国語の意味が分からずキョトンとするばかりで、とにかく最悪な状況でした。

どんなに礼儀正しくしようと思っても、どんなに中国人の真似をしようと思っても、やはり私は从头到尾(徹頭徹尾)外国人なのです。中国の民間の日常生活の中では、きれいな言葉も、そうでない言葉も混在しています。その区別もつかないまま、私の頭は無意識に感じたものを無作為にインプットしてしまうのです。

苦労して身につけた中国語に自信をなくした私は、教科書の言葉なら安全だろうと思い、必要な用事は紙に書いて筆談で伝えることにしました。しかし、一晩かけて書き上げた中国語の文章も、相手に渡すとただ一瞥されて「何書いてるか分からないよ、言葉で説明して」と言われてしまいます。仕方ないので拙い中国語で説明しようとしても、自信をなくしていたせいで前より一層話せなくなり、相手に困惑され、用事も伝えられず、日々自分の状況がどうなっているのか、把握できなくなりました。

そして、唯一の励みであった混元太極拳の授業も、授業スケジュールが分からなくなってしまいました。

もうすでに、混元太極拳四十八式、混元太極剣、混元太極刀の套路は習い終わっていました。

それでも私は太極拳を学びに中国へ来たのですから、武館に行きます、行けば練習します、たまに老師がいらっしゃれば混元太極拳の動作を教わります、教われば授業料が発生します。しかし授業スケジュールを把握できなくなったその頃、私は学費が一体どれくらいかかっているのか、誰に聞いても分からなくなりました。

毎月月末にその月の授業料を払うのですが、とうとう秀茜老師に、

「你说了算」
(授業料をいくら払うかは、あなたの自由でいい)
と言われてしまいました。

「いくらでもいい」と言われても、いくら払えばいいのかわかりません。考えても考えても、わかりません。

中国の常識や風習がわからない私には、どうしたら良いのか理解できない苦しさしかありませんでした。

「今月の授業料がいくらなのかわからない」と頭を抱える私、「いくらでもいい」と言い続ける武館側、双方分かり合えぬまま、私は仕方なく手帳を見直して、そこに書き留めてあった不完全な記録から、授業時間を総計することにしました。

手帳の中の記録は、ある日は個人授業、ある日はグループ授業、ある日は途中から個人授業、そしてある日は個人授業の予定が飛び入り参加が入ってグループ授業。予定の時間通りに始まったり終わったりすることも、まれな状況でした。

もう何が何だか分からないので、無理やり数字だけ出して、恐る恐る事務所に授業料を払いに行くと、ちょうど秀茜老師がいらっしゃったので「自分の手帳の記録を頼りに、授業時間を計算して持ってきました」と身振り手振りで伝えながら、学費の入った封筒を渡しました。

すると、誰もいない部屋で、秀茜老師は私を激しく叱責しました。

「なぜ私にこんなものを渡すの? 私は金銭のために太極拳を教えているわけではない。自分をそういう風に思っているなら、もう教えない」

という内容のことを、私に強くおっしゃいました。

驚いて「对不起」と謝罪の言葉しか言えず、学費の入った封筒も受け取ってもらえなかった私は、なす術もなく自宅に帰りました。それから数日、部屋から出られませんでした。

その間に、陳項老師のご自宅へ、手紙を持って伺いました。手紙を渡して、その場で話せば、きっと分かってもらえると思っていたのです。

玄関のチャイムを鳴らすと、通されたのは、いつも食事をご馳走になっていたダイニングのテーブルでした。しかし、陳項老師は手紙を読むと、困惑した顔をされました。

そんなはずはないと思って手紙を見てみると、アメリカのことを「美国」ではなく「米国」と書いてしまっていました。すでに知っていたはずの言葉を間違えるほど、私は焦っていたのです。

「言葉を勉強しなさい。私たち家族は、横山の話を理解できない」

そして、もう個人的には教えられないこと、自分にはほかの仕事があること、公園の練習にももう来なくていいこと、これからは武館でグループ授業を受ければいいことを告げられました。

帰り道は放心状態で、泣きそうになっていました。

私は約8か月間に及ぶ『北京・志強武館』で過ごした日々について、何日も考えました。

北京市内にマンションを借りて週に数回武館へ通う学習方法。自分の立場、武館の立場、老師方の立場、そして混元太極拳のこと。

今までのように陳項老師や秀茜老師に混元太極拳を学びたいと、何度も思いました。それから、北京にきてからずーっと頭にかかっていた靄を晴らしたいとも思いました。

毎日必死に考えました。

初出 2010年8月

つづく