型を覚えられない

陳項老師に陳式心意混元太極拳四十八式を学び始めてから、私は迷走の日々を送っていました。

この太極拳を学べるという幸運とその計り知れない価値は重々承知していたのですが、まず肝心の型が抽象的過ぎて、どうやって覚えたらいいかさっぱりわからないのです。

陳項老師の行う柔らかく重厚な円運動は、どこからどこまでといった型の区切りがなく、動くスピードも内面の気の流れに沿って時には速く、時には穏やかに、そしてある時は深く深く丹田に入っていくので、どうやってそれを学んだらいいのか当時の私には皆目検討もつきませんでした。

陳項老師の後ろについて一緒に動けば、初心者の私でもその深遠な太極拳の喜びを僅かにですが感じることができました。でもそれは、心地よい水流に浮かんで流れのままに身を任せながら舞っている木の葉のようなもので、その流れが止まれば心地よい時間も終わってしまいます。

「どうやったらあの心地よい流れを生み出せるのだろうか?」

中国語も殆どわからず、ひたすら何回も何回も教えられた型を繰り返し練習することしかできなかった私は、次第にスランプ状態になってしまいました。

横山春光の中国留学記|単鞭
2004年10月北京志強武館にて

例えば太極拳の基本歩法の「弓歩」「四六歩」「虚歩」ですが、陳式心意混元太極拳は内面の感覚を非常に重要視するので、外形(型)への要求がそれほど厳格ではありません。陳項老師に質問をして歩法を修正してもらおう思っても、ほんの少ししか手直しを受けられませんし、そんな微妙な手直しをしてもらったところで、未熟な私にはそれがどうして正しいのか身体で感じることができません。私が納得のいかない顔をしていると「あとは自分の感覚で立ちなさい」と言われるのです。

太極拳を始めるまで殆ど運動をしたことがなかった私にとって、「内面の感覚」というものがどんなものなのか、正直言ってまったくわからなかったのです。

練習をしていても自信がなくなった私は、正確な動きが学びたいと強く思いました。

つま先を外へ何度開くのか?腕をどの角度で上げるのか?どの動きが誤りで、どの動きが正しいのか?何も分からない初心者の私にはっきり指し示して欲しい!陳項老師に対して分不相応な要求をしているとは思いながらも、スランプ真っ只中の私は抑えきれずに焦燥感を募らせていました。

しかし武館に通っている多くの中国人学生たちが、陳項老師から個別に太極拳を学んでいる私に「君が羨ましい」「私もチャンスがあれば是非とも陳項老師に学んでみたい」と入れ替わり立ち替り語りかけてくるのです。

「一体私はどうすればいいんだろう、私は陳項老師から太極拳を学ぶ能力がないのではないだろうか?」

滞在期間の残り時間に追われ、自分が思っていたように学べない焦りから、それまでは魅力的に感じていた「気」とか「巡り」とか「丹田」といった目に見えないものを表現する言葉にすらアレルギーを感じ始めていた私でしたが、その数日後、そんなちっぽけな迷いが全て吹っ切れるような光景を目の当たりにするのでした。

初出 2010年5月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)

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