冬東と故宮博物院

北京へ渡った2004年9月20日から3か月が過ぎ、ビザ更新のために一時帰国を1か月後に控えていた年末、ようやく北京の朝陽区に部屋を借りた私は、そのあまりの不快さに毎日辟易していました。

部屋は新築マンションのだったのですが、まだ建物全体の工事が完了していなかったので、朝9時から「ガリガリガリガリガリッ!!! ドドドドドドドドッ!!!」と部屋の四方八方から振動を伴う爆音が鳴り響いていたのです。

「ああ、こういう状況だから格安で借りられたんだろう……」

と悟った私は、騒音は我慢することにしたのですが、水道水が飲める状態ではないことには困り果てました。

巨大な建物に張り巡らされた新品の水道管を巡って私の部屋の蛇口へと流れ着いた水は、プラスチックとゴムを合わせたような強い臭いをたっぷり含んでいて、ガス火で沸かしたとしても匂いが消えることはなく、飲料水にできないのはもちろん、顔を洗う時やシャワーを使う時は「苦痛」という二文字以外は何も思い浮かびませんでした。

水道代を覚悟して、何日か水を大量に放出してみたのですが、臭いは弱まるどころか強くなっていくばかりです。

壁の塗料もまだ完全に乾ききっていなかったのか、長時間部屋にいると頭痛がしてくるので、窓なんか開けたくないのに(12月の北京は氷点下)堪り兼ねて換気のために窓を開けると、今度は屋外の排気ガスが部屋の中に流れ込んできます。

「うああ、もう発狂してしまうかもしれない、発狂したら太極拳の練習ができないなぁ、困るなぁ、どうしよう」

と極限状態のなか室内でもんどり打っていると、河南省に住んでいる知り合いの息子さんから電話がかかってきました。

「喂! 我是冬東,这周末我去北京。如果你有时间我帯你去故宮吧!」
(もしもし!  トントンです、週末北京に行くんだけど、もし時間あったら故宮博物院を案内してあげるよ!)

トントンとは小名で本名は程仁徳といいました。小名(シャオミン)とは中国の古い習慣で、子供が小さいときにつけるニックネームです。冬東の意味は、幼い頃のある年の冬、父親が日本へ留学に渡ったので、冬に東へ旅立った父との絆を守る意味で小名を「冬東」としたそうです。中国語の発音では「ドンドン」なのですが、日本の友人たちは彼を「トントン」と呼んでいました。

しかしこのトントン、180cmを優に超える身長と推定体重100kgの恵まれた体格をしていて、武術なんて練習しなくても生まれつきの強者、おまけに仏頂面で愛想笑いを一切しない性格なので、(えー、二人で故宮に行くの、怖いなぁ)と一瞬思ったのですが、どうやら父親の言いつけで私を故宮観光に接待しなければならないらいしく、断るのも気が引けたのと、部屋にいても異臭で苦しむだけなので、思い切って行くことにしました。

数日後の週末、待ち合わせの志強武館の門に現れたトントンは、絵に描いたような仏頂面のまま私を見つけると、ニコリともせず挨拶をしてくれました。

武館で仲良くなった按摩学校の生徒たちとは180度雰囲気の違うトントンは、その見事な恰幅で私を故宮に連れていく道中の人混みも満員バスの押し合いも物ともせず、そしてピクリとも表情を変えず、仁王のような面持ちで大型車のようにずんずん進んで行きました。

おかげで私は後を付いていくだけで済んだのでとても歩きやすかったのですが、ずっと歩きっぱなしのトントンが気になって(もうずいぶん歩いているけど、全然疲れないのかなぁ……)と心配していると、突然「もう足が棒みたいに疲れた、春光(トントンは私を春光と呼んでいました)は痩せてるからいいかもしれないけど、僕は体重が重いから余計に疲れるんだよ」と意外にも弱音を吐きました。

ちょうど故宮近くの繁華街まで来ていたので、途中で狗不理(ゴウブリー)という天津名物の小籠包のお店に立ち寄り、テーブルの上に蒸篭の山ができるほどたくさん注文すると、トントンは「これは以前はすごく美味しかったんだけど、今はまぁ普通だね、とくに特色はなくなった」と言い始めました。

その時は(なんだか後ろ向きな話をするなぁ)くらいにしか思わず、気にせずにトントンと一緒に小籠包をお腹いっぱい食べたのですが、そのあと故宮博物院にたどり着くまでの道のりで、トントンのネガティブトークが炸裂し(万里の長城なんて坂ばかりで疲れるだけだ、黄河なんてただの泥っぽい河だ、パンダなんて寝てばかりで可愛くない、等)、すっかり期待感ゼロになってしまった私は、故宮を見ても「似たような赤い門が沢山あって、似たような字が沢山書いてあって、屋根の上には似たような小動物の飾りが沢山あって、どこもかしこも龍のモチーフばかり」という以外は、何の印象もなく、何の感動も覚えられませんでした。

二人でさらっと館内を見て廻り、あっという間に観光は終了し、出口に近づいたにも関わらず何の反応もない私を見たトントンは、さすがに「エンジョイする」という言葉を思い出したのか、「あっちに記念写真を撮るところがあるから、記念に一枚撮ったら!」と言って、観光客向けの小さな写真館に私を案内してくれました。

そこでは仮装をして写真を撮るらしく、壁に飾られている派手な衣装を見て気後れした私はあまり気がのらなかったのですが、せっかく私を楽しませようと(たぶん)思ってくれているだろうトントンをがっかりさせてはいけないと思い、店員の女の子にされるがままに衣装を着せられ、おとなしく写真に納まりました。

2004年「故宮」にて記念写真(横山春光)
2004年「故宮博物院」にて記念写真

撮影中に「この衣装は昔のお姫様の衣装だよ!」とカメラマンのおじさんに言われた私は、ちょっぴり嬉しくなったので、帰りのバスの中でトントンに写真を見せながら「これは何ていうお姫様の衣装なの?」と聞いてみると、「知らない方がいいよ、そのお姫様はすごく残酷で国民に恨まれていたから」と言われ、私のかろうじて上りかけていたテンションは、またすっかり下がってしまいました。

なんだか故宮って全然面白くなかったなぁ、と思いながらトントンと別れ、引越したばかりのマンションへ帰ってくると、部屋のドアを開けた瞬間に部屋の中から「モワァ~~~!」と塗料の臭いが噴出しました。

すっかりシックハウスを忘れていた私は本能的にドアを閉め、骨を刺すような底冷えのする廊下に立ち尽くしましたが「いや、でも帰るところはここしかないのだ」という現実を思い出し、ドアの背に隠れる体勢でもう一度ドアを開けると、多少薄まった塗料臭の隙間を縫って部屋に入り荷物を置くと、壁を拭くためのモップを買うべく極寒の北京の街へ繰り出したのでした。

~後日談~
その後、別の機会に今度は違う友人と故宮博物院へ行ったことがあるのですが、その友人は「故宮に来れるなんて一生に一度あるかないかだよ!」と大はしゃぎで、見るもの全てに感動し、故宮のムードに浸り、壁に書かれている一つ一つの字体に「現代人はこういう字は書けない!」と感心し、彫られている数々の彫刻を熱心に見入り、古い通路から吹かれてくる風を何度も深呼吸し、最後には感極まったのか涙を浮かべていました。その姿に甚く感銘を受けた私は、ようやく故宮博物院の醍醐味を感じることができたので、トントンはなぜあんなに冷めているのだろう、と不思議に思ったのですが、実はトントンは両親の反対を押し切って大学で心理学を学んでいたらしく、人間の心に深く関心を持っていたので、私は人を一面で判断してはいけないな、と反省しました。

初出 2010年7月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)

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