陳項老師の異次元太極拳

北京「志強武館」

2004年10月の志強武館の周辺は、いつも温かい西日が建物の窓や街路樹の輪郭を縁取っていました。

その日、武館の入り口から陳項(チェン シィアン)老師(陳式心混元太極拳 第二代継承者)がゆっくりと歩きながら入ってくるのを見た時、私はなぜかその場から逃げ出したい、と感じました。

熊のような歩き方が(なんだか怖そう)

丸刈りの髪型(なんだか怖そう)

ビートたけしさん似た風貌(なんだか怖そう)

後ろにいる二人の強面の男の人達(明らかに怖そう)

とにかく理由はわからないのですが、怖そうなのです(このときばかりは私が気が小さいからではありません、ゼッタイ)。怖い怖いと思ってるものだから、陳項老師が私に向かって片手を挙げて「ニーハオ! ニーハオ!」と声をかけてくださった時、ビックリしすぎてすでにマスターしていた中国語の挨拶をするつもりが、「あああ、ど、どうも、あの」と情けない日本語を話してしてしまいました。

「好,好」(そうか、そうか)

と簡単に挨拶をしてくださった陳項老師に見つめられて、どうしてよいのかわからず、もじもじと立っていると、事務員の日本語が少し話せる女性が意気揚々と武館へ飛び込んできて、「横山さん、陳項老師は素晴らしい老師だから、ぜひあなたの太極拳の練習を見てもらうといいよ!」と熱烈にアピールをしてしまいました。

(と、と、と、とんでもない)と思った私は、「できません、できません」と手足ををバタバタさせて遠慮しますと伝えようとしたのですが、陳項老師はそんな私の態度は意に介さず「咱们一块练」(みんなで一緒に練習しよう)と仰って、お連れの男性二人と私をご自分の後ろに立つように指示し、何回か降気洗臓功を行うと、静かに動かなくなりました。あまりにも長い時間動かれないので、どうなさったのかと思い陳項老師の背中を見つめている、ふと身体から目に見えない静寂が放たれたように、現実感を伴わない柔らかさとスピードで動き始めたのです。

その後は、もう私は自分の身体が無くなったように、陳項老師の動きを追いかけました。

柔らかく重く、そして途切れることなく連続する円運動に、まるで催眠術にでもかけられたように吸い込まれた数分間、最後の金剛搗碓を終え、長い長い収功を行った陳項老師は静かに振り返り私を見ると「君はもう、この二十四式の型は学び終えているんだね、では明日から四十八式を学ぶといい」と仰って、突然「わははははは」と大きな声で笑ったかと思うと、お連れの男性二人を連れて武館を出て行かれました。

陳項老師の常人を超えた人格もさることながら、僅かの時間我を忘れさせられた体験に(何だったのだろう、さっきの時間と空間は?)と思い返してみると、陳項老師が「この二十四式はもう学び終えているんだね」と仰ったことを思い出し、(え! あれが私が最初に学んで今まで2年間も練習してきた混元太極拳二十四式だったの!?)と愕然としました。

一緒に動いていたときは、まったく別の型だと感じたのです。というよりも、ついさっき陳項老師と一緒に動いたはずなのに、何一つ型が記憶に残っていないのです。型ではなく何か別の概念から生まれているような動き。それは人それぞれの風格の違いといったものではなく、根本的な何かが違うような気がしました。

(あれは一体何だったのだろう?陳項老師は一体何を行っていたのだろう?)

私は静かな興奮を覚え、とりあえずその日は旅館の自分の部屋に戻って休みました。

~後日談~
数年後、私が一生かけて追求したいと決心した八卦掌との最初の出会いが、この陳項老師の不思議な動きの中に見たものでした。太極拳に八卦掌や形意拳などの独特の身法や歩法を加えた陳項老師の混元太極拳は、型を超え、天地の動きと一体となり、当時の私にはその一部分ですら容易に真似できるものではありませんでしたが、中国留学の初期に、このような高度な境地に至った素晴らしい太極拳家に出会い、数か月間教えを受けることが出来た体験は、後の私の学習の大きな糧となりました。

初出 2010年4月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)

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